⒂なぜ仏教がインドで急速に広まったのか~バラモン教から距離を置く大国の誕生と新興商人の勃興
【仏教入門・現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⒂
なぜ仏教がインドで急速に広まったのか~バラモン教から距離を置く大国の誕生と新興商人の勃興
前回の記事「⒁仏教が生まれたインドの時代背景~古代インドの宗教バラモン教の歴史と世界観とは。カースト制についても一言」ではブッダが生まれる前のインドの宗教事情についてお話ししました。インダス文明から遡ってお話ししたことで驚かれた方もおられるかもしれませんが、話を聞いてみると「ほお!なるほど!」と頷いていただけたのではないかと思います。
やはり歴史の流れと時代背景は大切です。
今回の記事ではいよいよブッダが活躍するまさにその時代についてお話ししていきます。ブッダも時代背景を離れて生まれてきたわけではありません。まさに時代がブッダを望んでいたとも言えるでしょう。
ブッダが生まれた紀元前5世紀頃のインドの国内事情
さて、前回の記事でもお話ししましたが、インドでは紀元前1500年頃からアーリア人がインドに侵入し、徐々にその勢力を強めインド内部へと広がっていったことをお話ししました。上の地図の茶色い線は山脈、左側の水色の線がインダス川、右側がガンジス川のおおよその流れを示しています。そして赤い四角のエリアがアーリア人の侵入口となっています。
ここで再確認ですが、インドは南を海に、北と東西を山脈で囲まれているため、基本的には外部から閉ざされた独立空間となっています。ただ、その中でも唯一の隙間が赤い四角で囲んだカイバル峠のエリアになります。ここからアーリア人が侵入し、インドに入っていったということで、必然的にアーリア色が強くなるのがデリー周辺などのインド北部になります。つまりインド北部から中央部にかけてがアーリア人支配が強固な土地で、バラモン教の最も盛んな地域ということになります。
そしてこのインド北部からアーリア人は徐々に東や南に進んでいくのでありますがそこには大きな障害がありました。それが高温多湿の熱帯性気候と疫病の存在でした。
上の地図を見て頂いてもわかりますように、地図の色が明らかに違いますよね、
ウィリアム・H. マクニールの『疫病の世界史』でも指摘されていたのですが、インド北部はヒマラヤ山脈などの高所地帯で険しい環境ではありますが、マラリアなどの病原体が跋扈する熱帯地方のジャングルとはまるで気候が違います。アーリア人はジョージアやイラン、アフガニスタンなどを経由してやって来ていますので、どちらかというと乾燥地帯の人々です。そんな彼らが最も苦しんだのが熱帯気候の疫病の存在だったのでした。
上の地図で丸く印をつけていますように、ブッダが初転法輪をしたサールナート(地図のワーラーナシー近郊)や悟りを開いたブッダガヤ(地図のパトナー近郊)はインド北部であるデリーとはかなり距離が離れています。
そして青く囲ったエリアがブッダの大まかな活動範囲ですが、やはりこう見てみてもインド北部とはだいぶ距離があることがわかると思います。ここがポイントです。
つまり、ブッダの活動していた地域というのはアーリア人が立ち入りにくい場所であり、彼らの支配体制がインド北部に比べて弱かったということになります。さらに言えばこの地域はアーリア人と現地住民との混血も進み、純粋にアーリア人とその他の人々という区分けそのものも段々と難しくなっていきます。となればアーリア人の宗教たるバラモン教の力もこの地方では比較的弱かったということができるでしょう。
鉄器の使用と大国の出現
そしてこれに付随してもう一つ大きなポイントがあります。それがインドで紀元前1000年頃から始まった鉄器の使用でした。
この鉄器の使用により農産物の生産量が飛躍的に伸び、余剰作物が蓄積されるようになっていきました。
これにより各地で富の蓄積が進み、各地の王侯貴族、武将たちの財力も増し、他を従える大きな勢力となっていきました。
こうして台頭してきたのがマガダ国やコーサラ国などの大国です。マガダ国といえばブッダと会談したビンビサーラ王の国ですし、コーサラ国もブッダの生国を従えた大国です。これらのインド東部地域は特に土地も豊かで気候も良く、生産高が豊富でした。
こうして北インドなどのアーリア人勢力とはまた別の巨大な王国が出現したのでありました。
これによりアーリア人的なバラモン教を国家の中心に置くシステムとは別の宗教や思想を導入する余地が生まれることになります。バラモン教はあくまでアーリア人の支配システムを支える宗教観がベースです。バラモン教の神々に祈ることでアーリア人の勝利をもたらし、国が繁栄するという考え方ですね。
ですがアーリア人の少ないインド東部の国々では必ずしも全面的にそうした世界観が受け入れられていたわけではなく、東部独特の土着の宗教や文化がありました。そうした背景がある中、バラモン教の神に祈ることよりも自分たちの実力で国を大きくし、戦いに勝利していくという考え方が強くなっていきます。つまり、「バラモンの神に祈っても何も起きないではないか。戦に勝つには武力、財力、己の知恵才覚こそ必要なのだ」という合理的な帝王学が求められていきます。
こういうわけでこの地では新たな世界観、社会秩序をもたらす宗教思想を求める土壌ができていきました。
そしてこの大国の登場の他にもうひとつ重要な存在がこの時代に現れることになります。それが新興商人でした。
貨幣経済の発展と新興商人の登場
先ほどもお話ししましたように鉄器の使用は富の増大をもたらしました。富が増大するにつれ商業も発展していきます。これにより富裕な新興商人も多数登場してきました。ブッダ在世時にはすでにインドで貨幣経済が浸透していたとされ、かなり活発な経済活動が行われていたようです。
そして商業が盛んになると街と街との行き来も増えます。そうなると道路の整備も必要になってきます。ここでも鉄器は役に立ちました。従来より簡単に木を切り倒し道を開くことができたからです。
また、道路が整備されると同時に道路上の治安維持も必要になってきます。それはそうですよね。街の行き来をするたびに強盗の危険があれば商売は成り立ちません。そうした面でも王侯貴族の力がどんどん増してくることになります。王侯貴族は商人のために道を切り開き、市場を整備し、治安を維持する代わりに税を徴収します。こうすることで互いに富を蓄積し、巨大な勢力となっていきました。
そしてこの新興商人の存在はどういう意味を持つかと言いますと、まさに「お金」の力がものを言うようになったと言えるでしょう。
カースト的にはバラモンが最上位にいますが、莫大な財産を持っている人間が実質的に世の中を回しているのです。バラモンは制度上無条件に偉いことになっていますが、莫大な財を持っている人間は多くの人を従える立場にいます。
建前上はバラモンが上といっても、商人からの寄進がなければ成り立たないという本音があります。「実質的にバラモンを支えているのは我らなのに、なぜ我々が下に見られなければならないのだ」という不満がたまってもおかしくありません。ここでも先に見た王侯貴族と同じように自らの財力や知恵才覚を重視する風潮が生まれてきます。
そして地理的な面から注目してもガンジス河で有名なバラナシ(上の地図のワーラーナシー)は絹織物で有名な商業の街であり、ブッダが主に活動したマガダ国も文化の最先端であり商業も盛んでした。
つまりブッダの活動領域は王侯貴族だけでなく、新興商人たちにとっても自分たちのあり方を認めてくれるような新たな思想や宗教を求める土壌があったのでした。
まとめ
つまり、ここインド東部の都市では北インドのアーリア的バラモン教世界から脱皮したいと思う人達が数多く存在していたということになります。後の記事で改めてお話ししますが、実はブッダの熱心な支援者の多くは王侯貴族と大商人で、彼らが大スポンサーになり仏教教団は一気に拡大していくことになります。ブッダの教えが急速に広まったのはこうした王侯貴族と新興商人の存在があったという面が否応なく存在します。もちろん、カーストに囚われない平等な教えを説くブッダに心救われた多くの人々がいるのも事実ですが、ブッダ教団繁栄はそれだけでは成立しえなかったというのも重要な事実だと思います。
「宗教は宗教だけにあらず」
これは私が大切にしている原則です。まさしくブッダの生きたインドにおいてもこのような時代背景があったのです。ブッダひとりの存在で仏教が広がったわけではありません。時代がブッダを求めたのです。
そして注意したいのはこうした時代背景において、ブッダと同じように独自の思想や宗教を世に問うた人達がたくさんいたということです。
つまり、ブッダのライバルたちがまさに無数に存在していたのもこの時代なのです。その無数にいるライバルたちの中でも特に有力な思想家たちを六師外道といいます。
「外道」というのは仏教側から見て「外の教え」という意味で、これは仏教外の教えを説いた6人の思想家のことを意味します。
つまり、ブッダだけが独自の存在ではないということです。この激動の時代の中で旧来のアーリア的バラモン教世界を超えようとする人々が多数存在しました。ブッダもその彼らの思想の影響を受け、さらに彼らとの思想戦を経て自身の教えを確立していきます。ブッダは決してひとりで悟ったのではなく、こうした世の中の動きと共に生きていたのです。これは非常に重要な視点です。
次の記事ではブッダのライバルたちである沙門(新興思想家)や六師外道について簡単にお話ししていきますが、難しい思想論的なものには立ち入りませんのでご安心ください。ですが彼らがどのようなことを語っていたかを大まかにでも知ることはブッダの独自性を知る上でも重要なポイントとなります。やはり比べてみなければわからないことがありますよね。
というわけで次の記事からブッダのライバルたる沙門や六師外道についてお話ししていきます。
次の記事はこちら
※この連載で直接参考にしたのは主に、
中村元『ゴータマ・ブッダ』
梶山雄一、小林信彦、立川武蔵、御牧克己訳『完訳 ブッダチャリタ』
平川彰『ブッダの生涯 『仏所行讃』を読む』
という参考書になります。
※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。
〇「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
〇「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
〇「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」
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【インド・スリランカ仏跡紀行】の目次・おすすめ記事一覧ページはこちら
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