ペトラルカ『ルネサンス書簡集』あらすじと感想~キケローへの手紙がとにかく面白い!ルネサンスを代表する文学者の文学愛とユーモアとは
ペトラルカ『ルネサンス書簡集』概要と感想~キケローへの手紙がとにかく面白い!ルネサンスを代表する文学者の文学愛とユーモアとは
今回ご紹介するのは1989年に岩波書店より発行されたペトラルカ著、近藤恒一訳の『ルネサンス書簡集』です。
早速この本について見ていきましょう。
イタリア文学の三巨星の一人で、ルネサンス運動の首唱者であったペトラルカ(1304‐1374)は、偉大な詩人であるとともに、つねに自己自身を問いつつ哲学するモラリストであった。ここに収められた23篇の手紙は、ペトラルカが親しく同時代人や古代人、後世の人に呼びかけたもので、モラリストとしての真骨頂が浮彫りにされる。本邦初訳書簡多数。
Amazon商品紹介ページより
私がこの本を手に取ったのは前々回の記事で紹介した桑木野幸司著『ルネサンス 情報革命の時代』がきっかけでした。
この本の中でイタリアのルネサンスが始まるきっかけともなったペトラルカについて書かれていた箇所が非常に興味深く、ぜひ彼についてもっと知りたいなと思ったのでした。
せっかくですので『ルネサンス 情報革命の時代』でペトラルカについて書かれていた箇所をここで紹介します。少し長くなりますがこれを読めばきっと皆さんもペトラルカに興味を持つと思います。では始めていきましょう。
ルネサンス人文主義の父とも位置付けられるぺトラルカ。その彼が最も充実した思弁と文筆活動を行ったのは、十四世紀の中葉であった。当時にあっても、キケローの数編の弁論と道徳哲学著作の一部は、文芸愛好家たちの間ではよく読まれていた。それらのテクストから浮かび上がるのは、強靭な精神力と倫理感をそなえた清廉な哲学者にして、悪を懲らしめ、不正をただす完全無欠の弁論家の姿。しかも読む者の肺腑をえぐり、精神を鼓舞してやまない古典ラテン語最高の名文家ときては、鋭い文学的感性を持った若き才人が夢中になるのも無理はなかった。
すでに二十四歳の時に、リウィウス『ローマ建国史』の精密な比較校訂写本を作成して名をあげていたぺトラルカは、一三三三年、中世の頃には知られていなかったキケローの弁論『詩人マルキアース弁護』の写本をリエージュで再発見する。前章でも見たように、詩人弁護に名を借りて展開する、一種の文芸研究礼賛とも読める作品だ。たちまち心酔した若き学究は、これをもとに、来るべき時代の新たな学問としての「人文学研究」を、一つの理想としてかかげるようになる。
それから十年以上がたった一三四五年、ぺトラルカを震撼させる出来事が起こった。ヴェローナの大聖堂参事会書庫に秘蔵されていたキケローの書簡集を、彼自らの手で再発見したのだ。それは『アッティクス宛書簡集』十六巻を中心とする、いわゆる『近親者宛書簡集』とよばれる膨大な私信群であった。敬慕してやまない心の師の知られざる手紙の束。きっと狂喜のあまり、震える手でぺージをめくったことだろう。ところがー。
その飾らない文面を通じて語り掛けてくるのは、国家の要人、あるいは思想界を牽引する哲学者ではなく、共和政末期の激動の政情に手もなく翻弄される哀れな男。それは優柔不断で、くよくよと金銭の心配をし、家族や親族との離別や感情の齟齬に心を痛めて弱音を吐く、あまりに人間的な一市民の姿であった。書簡発見の歓喜はたちまち冷や水を浴びせられ、紙葉を手繰るその手は、別の意味で震えだしたはずだ。キケローよ、あなたという人は!
ぺトラルカはたまらずペンをとって、この哀れな古代人に宛てて叱咤・譴責の書簡をしたためた(一三四五年六月)。的確な判断力もないくせに好んで政争に首を突っ込み、運命にもてあそばれて、むなしく死においやられた「軽佻浮薄な老人」を難詰するその筆鋒は、いかにも鋭い。だが同時にそれは、深い敬愛の念の裏返しでもあった。それから半年後、感情に任せて綴った前便の失礼を詫びつつ、キケローの天分について思うところを述べ、彼の著作が後世にどのように伝わったかを報告している。
ペトラルカはこのほかにも、セネカ、ホラティウス、ウェルギリウスら八名の古代の著名な文人に宛てて、同様の仮想の通信を送っている。これらの文が、他人にも読まれることを念頭に書かれた文学的創作であることは言を俟たない。けれども彼が生き生きと展開する古代人たちとの対話からは、古典を生きた対象とみなし、古代の文化を新たな創造工ネルギーの源としようとする、ルネサンス人文主義文化の確かな胎動を感じ取ることができる。
ペトラルカが発見し、校訂をほどこした数々の作品はたちまち文芸サークルのあいだに写本のかたちで拡散し、新たな古典発掘の機運を人々のあいだに醸成することになった。
筑摩書房、桑木野幸司『ルネサンス 情報革命の時代』P116-118
古代ローマの偉人キケローに対し書簡を送るという一風変わった行動をとったペトラルカ。
ですがこれはよくよく考えてみると「読書とは何か」という根本的な問題にまでつながってきます。
ペトラルカはただ本に書かれていることを暗記するのではなく、著者と対話していたのです。
もっと言うならば、本に書かれた言葉を通して「生きた人間」と対話するがごとく読書していたのでした。当たり前のように聞こえるかもしれませんが、これは「読書における姿勢」という面で核心を突いているのではないでしょうか。本を読むというのは著者との対話、真剣勝負でもあるわけです。ただ知識を詰め込むのではなく、それに対し何を思うか、そして今を生きることにどう生かしていくのか、そういうことが試されているのです。
著者が「彼が生き生きと展開する古代人たちとの対話からは、古典を生きた対象とみなし、古代の文化を新たな創造工ネルギーの源としようとする、ルネサンス人文主義文化の確かな胎動を感じ取ることができる」と述べるのも強く頷けました。
ルネサンスはこうした古代の叡智を現代に蘇らせ、新たなる世界を創っていこうという運動だったことがこの箇所から感じられたのでした。
そして上の引用で、
「その飾らない文面を通じて語り掛けてくるのは、国家の要人、あるいは思想界を牽引する哲学者ではなく、共和政末期の激動の政情に手もなく翻弄される哀れな男。それは優柔不断で、くよくよと金銭の心配をし、家族や親族との離別や感情の齟齬に心を痛めて弱音を吐く、あまりに人間的な一市民の姿であった。書簡発見の歓喜はたちまち冷や水を浴びせられ、紙葉を手繰るその手は、別の意味で震えだしたはずだ。キケローよ、あなたという人は!
ぺトラルカはたまらずペンをとって、この哀れな古代人に宛てて叱咤・譴責の書簡をしたためた(一三四五年六月)。的確な判断力もないくせに好んで政争に首を突っ込み、運命にもてあそばれて、むなしく死においやられた「軽佻浮薄な老人」を難詰するその筆鋒は、いかにも鋭い。だが同時にそれは、深い敬愛の念の裏返しでもあった。それから半年後、感情に任せて綴った前便の失礼を詫びつつ、キケローの天分について思うところを述べ、彼の著作が後世にどのように伝わったかを報告している。」
と著者が述べていた箇所に私は興味津々となってしまったのでした。
実際の手紙はどんなものだったのだろう。ぜひ読んでみたい!
というわけで手に取ったのが今作『ルネサンス書簡集』なのでした。
問題の手紙はこの本の142ページから155ページに掲載されています。1通目は144~147ページ、2通目は148~155ページです。
1通目で率直にキケローに嘆き節をぶつけるペトラルカ。そしてそれをフォローする2通目が明らかに長くなってるのもよりリアルな感じがして面白かったです。
ではその手紙を見て参りましょう。こちらは1通目の手紙になります。キケローのプライベートな遺稿が発見されフランチェスコ・ペトラルカがショックを受けて書いた手紙です。
マルクス・トゥリウス・キケロに
親愛なるキケロよ、フランチェスコが挨拶を送ります。久しく求めつづけてきたあなたの書簡集を思いがけないところで発見して、私はむさぼるように読みました。そして、あなたがおおいに語り、おおいに嘆き、しかも考えをくるくる変えるのを、じかに聞くことができました。私はすでに以前から、あなたが他者にたいしてはいかなる教師であるかを知っていましたが、いまやついに、あなた自身にとってはいかなる教師であるかを理解しました。
そこでキケロよ、いまどこにおられようとも、今度はあなたのほうが、まことの愛情に発する私のことばを聞いてください。それはもはや忠告ではなく嘆きです。あなたに傾倒してやまない後世のひとりが、涙ながらに吐露する嘆きなのです。
ああ、いつも落着きのない不安な人よ。あるいは、あなた自身のことばを思い出していただくと、「ああ、軽佻浮薄な不幸な老人よ」。いったい何をのぞんで、こんなに多くの口論や無益な抗争の渦中に身を投じたのでしょう。あなたの年齢や仕事や境涯にふさわしい自由な閑暇を、どこに投げすててしまったのでしょう。どのような偽りの栄光に目がくらんで、あなたは老いの身で青壮年の争闘に巻きこまれ、さまざまな運命のいたずらにもてあそばれて、およそ哲学者らしからぬ死へと連れ去られたのでしょう。ああ、兄弟の忠告をも忘れ、あなた自身の有益な教訓の数々をも忘れて、あたかも闇のなかに明かりをかかげてゆく夜の旅人のように、あなたは後にしたがう人たちに道を示しながら、自分自身はみじめにも、その道においてつまずき倒れたのです。
ディオニシウスのことは言いますまい。あなたの弟や甥のことも黙っておきます。お望みなら、娘婿ドラべッラのことも黙っておきます。この人たちをあなたは、ときには天までも賞めあげるかと思うと、ときには急に罵倒して傷つけるのです。こうしたことも、おそらくまだ我慢できましょう。ユリウス・カエサルのことにも目をつむります。カエサルの寛大さは保証付きで、敵対者にとっても避難所となったのです。さらに大ボンぺイウスのことも黙っておきます。あなたはかれとはとくに親交があり、どんなことをしても許されそうに思われたのです。
岩波書店、ペトラルカ、近藤恒一訳『ルネサンス書簡集』P144-145
上に引用したのはこの手紙の前半部分です。後半は割愛させて頂きますが、これだけで雰囲気はなんとなくは伝わるのではないでしょうか。
私はこの箇所の最後の部分で笑ってしまいました。
「ディオニシウスのことは言いますまい。あなたの弟や甥のことも黙っておきます。お望みなら、娘婿ドラべッラのことも黙っておきます。」
ペトラルカさん、めちゃめちゃ言ってるじゃないですか(笑)
「ユリウス・カエサルのことにも目をつむります。」
「さらに大ボンぺイウスのことも黙っておきます。」
もう黙ってる気なんてさらさらないですね(笑)
こうしたユーモア溢れる手紙を、尊敬する古代ローマ人キケローに対して書き綴るペトラルカ。
そして次の手紙では「すみません、言い過ぎました。人間としてのあなたは欠点やご苦労もあったでしょうが、あなたの功績はやはり偉大です。私はあなたの業績を尊敬しています」と懇ろなフォローをしています。こうしたフォローの仕方も実にウィットに富んでいてペトラルカの知性が光っています。
世間ではキケローやアリストテレスなどの古代の哲学者を神格視し、絶対的な存在として崇める流れがありました。ですがペトラルカはあえて彼ら賢哲も私たちと変わらぬひとりの人間であるという見方をします。キケローに対しても容赦なく皮肉をぶつけたペトラルカですが、これは逆に言えば愛あるこその皮肉です。神のように崇め奉るのではなく、尊敬する一人の人間として接しようという彼の思いが感じられます。
これは現代を生きる私たちにとっては当たり前のことと思ってしまいますが、当時としては非常に画期的な考え方でした。
古代の哲学者を神のごとく絶対視する流れに絶妙なユーモアをもってノーを突き付けるペトラルカには驚くしかありません。
ぜひこの本を手に取って頂き、1通目の続きと2通目にも目を通して頂けたらなと思います。きっとペトラルカの機知やユーモアに驚くと思います。ルネサンスとは何かということを考える上でも非常に役に立つ作品です。
以上、「ペトラルカ『ルネサンス書簡集』キケロ―への手紙がとにかく面白い!ルネサンスを代表する文学者の文学愛とユーモアとは」でした。
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