絶景!ドブロブニクを一望するスルジ山のパノラマと徒歩下山の迫力 クロアチア編④
絶景!スルジ山のパノラマと徒歩下山の迫力 僧侶上田隆弘の世界一周記―クロアチア編④
宿で少し休んだ後、ぼくはドブロブニク旧市街を眺めることができるスルジ山展望台へ向かうことにした。
スルジ山は旧市街をちょうど真上から見下ろすことができる山だ。
旧市街から見たスルジ山。
この山の頂上に展望台がある。
展望台へはケーブルカーで行くのが一般的。
旧市街からもすぐなので簡単にアクセスすることができる。
この先にケーブルカー乗り場がある。
しかしここで問題発生。
乗り場前まで行くと、何やら5人ほどの人と係員が話し込んでいる。
そしてその後彼らは残念そうな顔をして引き返してくるではないか。
あれ・・・もしかしてこれは・・・
恐る恐る係の人に聞いてみる。
・・・そう。運休だったのだ。
これはどうしたものか・・・せっかく来たのに・・・
考え込んでいるとふと後ろの方から日本語らしき声が聞こえてくる。
振り向いて近づいてみると、やはり日本人だった。
思い切って話しかけてみると、ご夫婦でクロアチア観光をされているようで、今のぼくと同じくケーブルカーの運休で困ってしまっているようだった。
そこでぼくは思いついた。
「タクシーをシェアして上まで行きませんか?」
せっかくここまで来たのにあきらめるなんてもったいない。
最初は遠慮がちだったお二人も話しているうちにこの案に賛成してくれ、一緒にタクシーで展望台まで行くことになった。
これも何かのご縁。
たまたまこのタイミングで出会ったからこそこうしてタクシーで頂上まで行くということを思いつくことができた。
なんとも不思議なものである。
展望台駐車場に到着。ここで同乗してきたご夫婦とはお別れ。
それにしても、つい数日前までは外に出るのも怖かったのによく気軽に話しかけられたなと自分でも驚く。
日本人だとわかって安心したからだろうか。
まあ何はともあれ、こういう小さな出会いも旅の醍醐味である。
駐車場から海側に向かって歩いていくと、すぐに展望台からの絶景が目の前に広がる。
濃い青色とコバルトブルーの入り混じった海、旧市街の城壁に囲まれた赤い屋根。
こうして見てみると、旧市街がどれだけコンパクトに建物が密集しているかがよくわかる。
まるで宝石箱にできる限りのお宝を詰め込んだかのような、そんな印象さえ抱かせるほどの光景だ。
アドリア海の真珠と称えられるこのドブロブニク。
その名声に違わぬ絶景だった。
展望台から視線を右に移すとケーブルカー乗り場がある。
本来はこのケーブルカーを使い、絶景を楽しみながらここまで上ってくるのが王道だ。
さらに視線を右に移すとこれまた素晴らしい景色。
ドブロブニクはどこから見ても美しい。
しばらくの間ぼくは山の上特有の涼しい風を浴びながらこのパノラマをのんびりと楽しんだのであった。
さて、スルジ山展望台からの絶景を満喫したぼく。
普段はほとんどの人がケーブルカーを使って下山する。
しかし今日はそれも運休。
よってほとんどの人は行きと同様にタクシーで下山する。
だがぼくはここであえて徒歩で下山することにしてみた。
調べてみると、ここには登山道があるらしくそこから帰ることができるということだったのだ。
スルジ山の標高はおよそ415mほど。
ぼくの住む函館の名物夜景スポットの函館山で334mなのでそれよりも80mほど高いということになる。
函館山での経験上、これくらいなら十分歩いて下れるだろうとぼくは考えたのだ。
早速その登山道に向けて歩き出す。
展望台の裏沿いを歩くと旧市街はこちらというサインを見つける。
壁の落書きみたいでなんとも不安にさせるサインだ。
大丈夫なのか本当に・・・野盗とか現れなければいいのだが・・・
少し歩くと一本道が始まる。
どうやらこれを下っていくようだ。
お、路面状況が明らかに変わってきた。
気を付けて歩かないと転びそうだ。
スニーカーや運動靴じゃないともはや危険だ。
間違ってもヒールで来ないことをお勧めする。
一つ目のカーブを回るといきなり絶景。
山の急斜面沿いにギザギザに道が作られているようだ。
柵もないので真下を見るとかなり恐い。
しかし、下れば下るほど美しい旧市街が目の前に迫ってくる。
自分が一歩一歩旧市街に近づいているのがわかる。
よ~く目を凝らしてみると肉眼でも人が歩いている姿を確認できる。
まるでジオラマのような世界が眼下に広がる。
映画の世界に入り込んでしまったかのような感覚。
でもここには現実に人が暮らしていて、ぼくだってついさっきまでこの中にいたのだ。
思わず足を止め、ぼくはこの不思議な街に引き込まれてしまった。
この街には不思議な魅力がある。
時間が止まってしまったかのような街並みと、そこを闊歩している現代人。
昔から変わらない街並みの中を、人間は何百年にもわたって世代を超えてこうして生き続けてきた。
止まっているのに止まっていない。流れていないのに流れ続けていく。
その奇妙な組み合わせを、ぼくはジオラマを見ているかのように俯瞰で眺め続ける。
その時、ぼくはふと思った。
「もしかしたら人間も変わっているようで何も変わっていないのではないだろうか・・・何も変わらない町並みと同じように・・・」と。
次の瞬間、ぼくの中で学生時代京都で学んだ授業風景が脳裏を駆け巡った。
「人間の本質ははるか昔と何も変わりません。
お釈迦様の生きた2500年前と私達は根っこの部分では何も変わっていないのです!」
教壇の上から声を張り上げてぼくら学生に真剣に伝えようとしていた教授の言葉をぼくは思い出した。
そうだ。変わらないんだ。
表面上の姿かたちや、人格や時代精神はたしかに流れ移ろうかもしれない。
しかし、人間の本質は変わらない。
街並みと同じように、ぼくたちはかつての人々や世界とつながっているのだ。
別世界のことじゃないのだ。
でも、それが普段の生活では見えにくい。
ぼくがそのことをふと思い出せたのはここだからできたことなのだ。
この道を歩き、絶妙な位置でこの街を眺めることができたからこそ、こんな不思議な街並みを見ることができたのだ。
街の中にいても見ることができないし、展望台からでは少し遠すぎる。
絶妙な距離感がここにはあったのだ。
そしてそれがぼくの中にあった記憶を呼び覚ましてくれたのだった。
来た道を振り返ると、自分がものすごい急坂を下ってきていることを実感する。
少しずつ大きくなっていく旧市街の姿を眺めながら歩くのは本当に楽しかった。
足取りも軽くなる。
かなり下ってきた。
また景色が変わる。
まるで森のなかのよう。
もう間もなく旧市街に着く。
道路が見えた。
この登山道もこれでゴールだ。
ゆっくり歩いてきたので45分くらいはかかっただろうか。
さすがに足の方にも若干の疲労を感じる。
でも、気分は爽快。いいものを見れた。この道を選んで正解だった。
そこから旧市街までの帰り道もドブロブニクらしい道が続く。
昔ながらの石造りの街並みと狭い路地。
ここは完全に住民の生活エリアだ。
観光エリアとは違うローカルな気分を味わう。
さて、旧市街中心部まであと少し。
改めてスルジ山を見上げてみると、かなりの急斜面を下ってきたことを実感する。
こちらが旧市街の西側の入り口にあたピレ門。
宿が東側にある関係でこちらの門は使ってこなかったが、こちらがドブロブニクのメインの入り口。
観光客の拠点もここになる。
さて、ようやく旧市街まで戻ってきた。
やはりここはいい。歩いているだけでうきうきしてくる。
ドブロブニクにものすごくはまっている自分がいる。
道を歩けば音楽の生演奏が耳に入ってくる。
粋な音楽を聴きながらぶらぶらと街歩き、そしてゆっくりとコーヒーを頂く。
街のいたるところで売られているジェラードも絶品だった。
そしてこれがまたコーヒーと絶妙に合う。
あぁドブロブニク、なんて素敵なのだあなたは。
さて、さすがに疲れてきたので一旦宿に戻ろう。
宿への帰り道にはドブロブニク一番人気の砂浜、バニェビーチがある。
今日は天気が良く多くの人で賑わっていた。
宿で休憩した後の夕方にはピレ門から城壁に上り、サンセットの城壁巡りを堪能しようと思う。
ドブロブニクの夕日は必ず見るべしと宿のオーナーさんにもお勧めされていた。
これはかなり期待できそうだ。
続く
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