MENU

(12)親鸞が下山するまでの「空白の20年」に何があったのだろうか

親鸞 比叡山
目次

【親鸞伝~悩み多き英雄の偉大なる生涯】(12)親鸞が下山するまでの「空白の20年」に何があったのだろうか

1181年、9歳で出家した親鸞は29歳で山を下りるまで比叡山延暦寺の僧侶として修行を続けていました。

しかし親鸞がこの期間一体どのような修行をしてどのような学問をしていたかは正確にはわかっていません。以前の記事「⑹若き親鸞聖人の比叡山延暦寺での修行時代」でお話ししましたように、わかっているのは常行三昧堂で修行をしていたということのみです。

そのため本願寺の親鸞伝たる『御伝鈔ごでんしょう』やその他の親鸞伝においても、この比叡山でのことはほとんど語られません。わからないのですから語られないのも当然の話ですが、親鸞はたしかにこの20年をこの山で過ごしたのです。何もない空白の期間だったわけではありません。

そこでこの20年間の間に親鸞に関係のありそうな大きな出来事はなかったのか、今一度確認していきたいと思います。

まず1185年4月、平氏が壇ノ浦の戦いで滅亡しています。これで源平合戦に終止符が打たれ、新たな世が始まりました。とはいえ、親鸞はこの時13歳ですのでさすがにこれはあまり影響がなかったかもしれません。ただ、この年の6月に東大寺大仏の修復が完了し、大仏開眼供養が盛大に行われています。これは比叡山僧侶にとってもかなりの大イベントだったはずで、親鸞にとっても何らかの影響があったのではないかと思われます。

次に、1186年、法然が世に知られるきっかけとなった大原問答が行われました。法然自身は1173年に専修念仏の教えに目覚め、そこからひっそりと念仏生活をしていたのですが、この論義会で一躍有名人となったのでした。法然については後の記事で改めてじっくりお話ししていきますが、親鸞の生涯の師匠となる法然が仏教界に大きな影響力を持ち始めたのはこの時点からになります。つまり、親鸞が比叡山にいた頃から法然はすでに有名人であり、親鸞の耳にもその存在は必ず届いていたであろうということです。これは重要なポイントになりそうです。

そして1192年、後白河法皇の死去です。これの何が重要かと言いますと、親鸞の養父であった叔父の日野範綱が大きく関わってきます。「⑵親鸞聖人の優秀すぎる叔父たちの存在①日野範綱~あの後白河法皇の側近中の側近!?」の記事でお話ししましたように、親鸞の叔父範綱は後白河法皇の側近中の側近と言える存在でした。身分的にはどん詰まりの中下級貴族だった範綱が自らの知恵才覚によってそこまでの出世を遂げたのです。

そんな範綱ですが、この年に後白河法皇の死に殉じて自らも出家し、政界での生活にピリオドを打っています。こうした叔父の動向を親鸞も知っていたはずです。親鸞はこのことについても何も記していませんが。優秀すぎる叔父の生き様はきっと何かしら親鸞に影響を与えたことでしょう。

続いて1199年、源頼朝が急死しました。これにより幕府で後継者争いや御家人間の権力闘争が始まっていきます。近年放送された大河ドラマ『鎌倉殿の13人』はまさにこの時代をテーマにしています。

そして1201年、元号が建仁に決定となりました。これが非常に重要になっていきます。

これの何がすごいかと言いますと、この年号を考えたのが何を隠そう、親鸞のもう一人の優秀すぎる叔父日野宗業なのです。範綱は後白河法皇の側近として活躍しましたが、宗業は儒学者として後鳥羽上皇から抜擢されていたのです。元号の制定は儒学者の仕事であり、その最終決定権は上皇や天皇にあります。つまり、宗業の年号が選ばれたということはそれだけ上皇からの信頼が篤かったことの証左となります。

そしてその建仁元年に親鸞は比叡山から下りたのです。この関係性についても親鸞は何も記録に残していませんので本当のところは誰にもわかりません。ですが私にはこの符号に何か運命的なものが感じられてならないのです。元号改元はある意味、新たな時代の始まりでもあります。そのタイミングで親鸞が新たな人生の一歩を踏み出した。私はこのタイミングの合致にロマンを感じずにはいられません。

あわせて読みたい
⑶親鸞聖人の優秀すぎる叔父たちの存在②日野宗業~あの以仁王の教師も務めた超秀才儒学者 親鸞のもう一人の叔父もとてつもない人物でした。 幼い親鸞の家庭教師でもあったこの日野宗業でありましたが、その経歴には私も驚くことになりました。

そして最後にもう一点。これは親鸞が比叡山を下りた1年後の話なのでありますが、なんと比叡山内で大規模な武力衝突が起きています。以前にもお話ししましたが、比叡山は一枚岩の存在ではありません。世俗の関係性がそのまま持ち込まれ、山内で複雑な政治闘争が繰り広げられていました。そのためグループ間での緊張が極度に高まっていたのです。そしてそれが爆発したのがこの戦争で、1202年、1203年と2年にわたって山内の覇権を巡っての大規模衝突が起こったのでありました。

親鸞が山を下りた1201年はその前年に当たります。おそらく親鸞も衝突寸前の不穏な空気を感じ取っていたことでしょう。

比叡山では元々互いの坊舎を焼き討ちしたり、死者が出るほどの武力抗争が何度も繰り返されて来た歴史があります。ただ、その中でも最大規模の戦闘が1202年から始まったというのも、もしかすると親鸞の比叡山下山と関係があるかもしれません。この戦闘については下坂守著『京を支配する山法師たち』に詳しく説かれていますので興味のある方はぜひ読んでみてください。その内実に度肝を抜かれること間違いなしです。

さて、ここまで親鸞の空白の20年をざっくりと見てきましたがいよいよ次の記事で比叡山下山と六角堂参籠についてお話ししていきます。

親鸞の第二の人生はここから始まったと言っても過言ではありません。親鸞の人生において最も重要な瞬間がやって来たのです。

続く

この記事で特に参考にした本はこちらです

平雅行『改訂 歴史のなかに見る親鸞』
村山修一『比叡山史 闘いと祈りの聖域』
下坂守『京を支配する山法師たち』

元木泰雄『平清盛と後白河院』
元木泰雄、佐伯智広、横内裕人著『京都の中世史2 平氏政権と源平争乱』
佐藤弘夫『アマテラスの変貌』

主要参考文献一覧はこちら

あわせて読みたい
浄土真宗開祖親鸞聖人の生涯や時代背景を学ぶためのおすすめ参考書一覧 この記事では浄土真宗の開祖親鸞聖人の生涯や時代背景を学ぶためのおすすめ参考書を紹介していきます。 当ブログでは次の記事より『親鸞伝~悩み多き英雄の偉大なる生涯』の連載をスタート致します。その連載の参考文献一覧となるのが本記事になります。

前の記事はこちら

あわせて読みたい
(11)1180年の東大寺大仏炎上と重源、運慶ら復興にかけた奈良の僧侶たちの活躍とは 前回の記事までで比叡山の僧侶事情をお話ししましたが、ここ奈良においても優れた僧侶が現れ、新たなうねりが生まれていました。 あの運慶、快慶もその一人です。東大寺炎上にまつわる驚きのエピソードをこの記事ではお話ししていきます。

関連記事

あわせて読みたい
『親鸞伝~悩み多き英雄の偉大なる生涯』~浄土真宗の開祖の生涯を時代背景と共に解説! 本伝記は宗派の伝承だけではなく、最新の歴史学の知見を取り入れて聖人の知られざる一面も掘り下げていきます。時代背景がわかればもっと歴史が面白くなる!この連載を通してそんな読書の醍醐味も味わって頂けたらと思います。 親鸞聖人の人生は大いなる人間ドラマです。やはり世界に名を残す偉人にはそれだけのスケールがあります。ぜひその魅力を体感して頂けましたら幸いでございます。
あわせて読みたい
⑹若き親鸞聖人の比叡山延暦寺での修行時代 1181年、親鸞聖人は9歳で出家し比叡山延暦寺で修行時代を迎えることになります。 この比叡山で聖人はどのような日々を送っていたのでしょうか。
あわせて読みたい
⑺僧兵とはそもそも何者なのだろうか~中世寺院の仕組みについて 従来の日本史や真宗史学では当時の比叡山は僧兵が跋扈し、貴族の子弟が僧侶になって堕落していたと言われてきましたが、果たして本当にそうだったのでしょうか。 実は近年の歴史学の研究ではそのような単純な構図では語れないことが明らかになってきています。
あわせて読みたい
⑻白河上皇も恐れた山法師の強訴とは?親鸞在世時の比叡山の政治状況について 白河上皇も恐れた僧兵の強訴とはどのようなものだったのでしょうか。 この記事ではこの強訴の背景となる比叡山の政治状況についてもお話ししていきます。
あわせて読みたい
⑼比叡山の高度な学問と驚くべき勉強量だった貴族出身の僧侶たち~比叡山堕落説は本当だったのか かつてよく言われていたように、貴族が入ってきたことで比叡山が堕落してしまったというのは本当のことだったのでしょうか。 今回の記事ではそのことについての意外な事実をお伝えしていきます。 次の記事ではこうした第二の世俗と化した比叡山のもう一つの側面をお見せしていくことにしましょう。
あわせて読みたい
⑽比叡山を代表する傑僧慈円!親鸞が比叡山にいた頃、これほどの偉人がいた・・・! 私はこの慈円という偉大なる僧に深い敬意を抱かずにはいれません。比叡山には彼のような偉大な人物がいたのです。 そしてこの慈円がいる比叡山で親鸞は修行生活を送っていたのです。そのことを私たちも頭に入れておく必要があるのではないでしょうか。
あわせて読みたい
佐藤弘夫『アマテラスの変貌』概要と感想~僧侶必見!神仏習合の実態や成り立ちに迫る衝撃の名著! これまで当ブログでは中世の仏教や歴史に関する衝撃的な本をいくつも紹介してきましたが、本書もとてつもない一冊でした。 当時を生きる人たちは私たちとまるで違う神仏観を持っています。私たちの常識で中世を考えると見えてこないものがたくさんあります。そのことを本書では幾度となく突きつけられることになりました。
親鸞 比叡山

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

目次