大隅和雄『愚管抄を読む 中世日本の歴史観』概要と感想~慈円の思想や当時の時代精神を学ぶのにおすすめの名著

大隅和雄『愚管抄を読む 中世日本の歴史観』概要と感想~慈円の思想や当時の時代精神を学ぶのにおすすめの名著
今回ご紹介するのは1999年に講談社より発行された大隅和雄著『愚管抄を読む 中世日本の歴史観』です。
早速この本について見ていきましょう。
大僧正天台座主、歌人、摂関家の生まれという多元的な眼をもつ慈円が、保元の乱以後の「歴史の道理」を見きわめようとした書、『愚管抄』。彼は、世の中の何に関心を持ち、何を歴史と思っていたのか。どのように記述しようとしたのか。鎌倉時代初頭の思想家を通して、歴史を書くことの意味を自らの問題として捉えた著者渾身の書。
Amazon商品紹介ページより

慈円は浄土真宗の開祖親鸞聖人とも大きく関わる人物です。
慈円は比叡山のトップたる天台座主を四度務めた大物中の大物です。そしてこの慈円の下に親鸞は9歳で入室(出家)したという伝承が浄土真宗に伝えられています。つまり、慈円は親鸞のお師匠様ということになります。
ただ、伝承としてはそうであったとしても、様々な事情を勘案するにおそらくこれは史実としては厳しいものがあるのではないかと思われます。詳しいことはここではこれ以上お話しできませんが、史実はどうあれ私達真宗僧侶にとっても大切な存在がこの慈円という高僧になります。
慈円については前回の記事「多賀宗隼『慈円』概要と感想~『愚管抄』で有名な天台座主の真摯な求道に胸打たれる!親鸞が比叡山にいた頃そこで何が起きていたのか」で紹介した多賀宗隼著『慈円』という伝記がおすすめですが、今作『愚管抄を読む 中世日本の歴史観』は彼の思想をもっと詳しく知りたい方にぜひおすすめしたい名著となっています。
著者は冒頭で『愚管抄』について次のように述べています。私はこの箇所を読んだ時点で「お、この本はすごいぞ・・・!」と期待で胸いっぱいになりました。ぜひそれを皆さんにも味わって頂きたいです。
『愚管抄』はどういう書物なのかと問えば、まずは鎌倉時代初頭に慈円という人物が書いた歴史書だという答えが返ってくるであろう。しかし、『愚管抄』は単に歴史書というには少々変わった書物である。
慈円は、日本の歴史を中国の歴史などに見立てて記述したりするのではなく、みずから歴史の世界に参入して、世の移り変わりを追体験しようとした。『愚管抄』はそういう慈円の営みの記録として成り立っている。慈円がとらえ、考えた「歴史」を理解するために、本書はまず、『愚管抄』に参入し、その世界を見ることから始めたい。
慈円は、次のような文章で『愚管抄』の筆を起こした。
年のたつにつけ、日のたつにつけて物の道理ばかりを考えつづけ、年老いてふと目ざめがちな夜半のなぐさめにもしているうちに、いよいよわたくしの生涯も終りに近づこうとしている。世の中を久しい間見てきたのであるから、世の中が昔から移り変わってきた道理というものも、わたくしにはしみじみと思いあわされてくるのである。
神々の時代のことはわからないが、人間の天皇の御代となった神武天皇以後、王は百代といわれているのに、すでに残りは少なく八十四代にもなっている中で、保元の乱が起こって以後のこと、また『世継の物語』(『大鏡』)のあとのことを書きついだ人はいない。少しはあると聞いているが、まだ読む機会を得ない。それというのもみないいことだけを書きしるそうとするため、保元の乱以後のことはすべて乱世のことであるから、何かといえば悪いことばかりになるのを気にやんで人々も語り伝えないのであろうか。しかしそれはいうにたりないことと思われるので、一途に世の中が推移し衰退してきた道理をひたすら述べてみたいと思って考えつづけていると、本当にすべてのことには道理があることがわかってくるのである。ところが世間の人々はそうは考えないで、道理というものに反する心ばかりがあるので、そのためにいよいよ世の中も乱れ、穏やかならぬことばかりになってしまうのである。この乱世のことを案じてばかりいる自分の心を安らかにしたいと思って、この書物を書きしるすのである。
鎌倉時代初頭の南都の学僧として名高い貞慶は、平治の乱で殺された藤原通憲の孫で、慈円と同じ年の生まれであるが、その著作の中でもっとも多くの人に読まれたのは、『愚迷発心集』であった。それは、笠置山に遁世した貞慶が、人生の無常を観じ、道心の堅固ならんことを祈って記したものだが、つぎの文章で書き始められている。
敬んで、十方世界の一切の三宝、日本国中の大小の神祇等に白して言さく、弟子五更に眠り寤めて、寂寞たる床の上に、双眼に涙を浮べて、つらつら思ひ連ぬることあり。(原文は漢文)
貞慶は、深い夜のしじまの中で、「我いかなる処よりか来れる、また去りていかなる身をか受けんとする」と思うと、涙がにじみ出てくると記しているが、年老いた慈円も、浅い眠リから覚めた夜の孤独な心を鎮めようとして、世の移り変わりと行く末に思いを致し、歴史にひそむ道理を明らかにしようとして、『愚管抄』」を書き綴った。
中世の聖教の調査をしていると、老眼の涙を拭いつつ、灯火をかき上げかき上げ書写を終えた時、すでに暁に及んでいた、といった奥書にしばしば出会う。『方丈記』の末尾にも、「しづかなる暁このことはりを思ひつゞけて」という文章があるが、中世において、人々が人生を考え、歴史に思いを馳せ、経典・聖教の書写に没頭したのは、多くの場合夜だったのではないだろうか。
私たちは、『愚管抄』を読むに際して、この書が述べようとした歴史の世界が、白昼に国史の編算者たちが記述しようとした歴史の世界とは趣を異にし、夜のしじまの中で浮かび上がつてくる神仏や諸霊などとの交信の中で成り立っていることを忘れてはならないように思う。この序は、まずそうしたことを私たちに伝えてくれる。
講談社、大隅和雄『愚管抄を読む 中世日本の歴史観』P14-17
いかがでしょうか。特に最後の「私たちは、『愚管抄』を読むに際して、この書が述べようとした歴史の世界が、白昼に国史の編算者たちが記述しようとした歴史の世界とは趣を異にし、夜のしじまの中で浮かび上がつてくる神仏や諸霊などとの交信の中で成り立っていることを忘れてはならないように思う。この序は、まずそうしたことを私たちに伝えてくれる。」という言葉に私は痺れました。
これは近代的思考に慣れた現代人にはなかなか盲点な考え方であります。慈円や貞慶が生きた時代は目に見える「顕」の世界と目に見えない「冥」の世界が混じり合って成立していた社会でした。
この点を見逃すとこの時代の思想や信仰に対する見方がそもそもずれたものになってしまいます。
本書ではその「顕」と「冥」の世界はそもそも何を表しているのか、そして人々がそれをどう受け止めていたのかについて詳しく学ぶことができます。また比叡山の高僧であり、摂関家の出身である慈円の主要任務であった加持祈祷の意味についても詳しく知ることができます。
この本はとてつもない名著です。慈円の『愚管抄』を題材に当時の時代背景や神仏の世界について新たな視点で考えていける素晴らしい作品です。紹介したい箇所が他にも山ほどありすぎてこの記事では到底紹介しきれません。それほど刺激的な解説が満載です。
これから先も私は何度もこの本を読み返すことでしょう。平安末期から鎌倉時代初頭にかけての時代精神を考える上で必読と言ってもよい名著です。浄土真宗の開祖親鸞聖人もこうした時代に生きたお方です。親鸞聖人の生涯や思想を考える上でも実に貴重な示唆を与えてくれる作品です。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。
以上、「大隅和雄『愚管抄を読む 中世日本の歴史観』概要と感想~慈円の思想や当時の時代精神を学ぶのにおすすめの名著」でした。
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愚管抄を読む 中世日本の歴史観 (講談社学術文庫 2113)
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