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(10)インドは最後までインドだった。目の前で起きた交通事故の運転手に度肝を抜かれた最終日

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(10)インドは最後までインドだった。目の前で起きた交通事故の運転手に度肝を抜かれた最終日

楽しみにしていたケンタッキーでがっくり来た私であったが、いよいよ後は帰国するのみとなった。

色々あったが実に刺激的な日々だったことは間違いない。だが、もう早く日本に帰りたい。一刻も早くインドを脱出したいというのが正直なところだった。

そしていよいよ最終日、私は空港へと向かっていたのだが、珍しく高速道路が空いていたのである。

「明日はお祭りなので道が空いています」

ガイドさんはそう説明してくれた。ほお、そうなのか。

だが、しばらくするといつの間にか渋滞にはまり出した。

すると彼はこう言ったのである。

「明日はお祭りなので道が渋滞します」

え?さっきと言ってることと真逆では?ものの30分ですよ?

これがインド人なのか。適当。矛盾を気にしない。

神様は気まぐれだ。神様が笑っていればいいことがある。もし怒れば悪いことが起こる。首尾一貫した神様などいない。

因果や論理はあまり考えない。「神様のご機嫌次第」。これは何が起こるかわからないカオスの国インドならでは思考法なのかもしれない。

そう考えると、因果関係を厳密に追い求めようとする仏教がいかに論理的なことか。

だが、この瞬間ふと思ったこともある。

「空いている道もある。それはお祭りのため」。だが同時に「お祭りのために混んでいる道もある」。

こういう風に考えることもできるのではないか。となるとあながち矛盾でもないか・・・あぁ、もうやめよう、このままではどつぼにはまってしまう。

見ての通り、インドの渋滞はただの渋滞ではない。車線もお構いなしにわずかの隙間さえあればどんどん斜めに突っ込んでくるのである。「(7)ヨガの聖地リシケシへ~ビートルズの滞在で一躍有名になったガンジス上流の聖地を訪ねて」の記事でも書いたが、まさにほんの1ミリの戦いがここで繰り広げられるのだ。

それにしても、よくこんなギリギリを攻めて事故を起こさないなとインドに来てから思いっぱなしだったのだがご安心を。インドさん、やはり持ってます。案の定、私の目の前で事故が起きたのである。

今述べたように、インドでは隙間があればすぐに割り込んでくるのが日常だ。この写真を見て頂ければわかるように、この2台のバイクが先に進んでしまえばそこにスペースが生まれることになる。ここに左から車が頭を差し込んでくるのである。もちろん、渋滞の中での抜き合いなので低速ではあるものの、こういった具合で戦いが繰り広げられているのである。

そして事件は起きた。

目の前の白い車の左前方にわずかながら隙間が生じた。そしてそこに向かって斜めに侵入していくバン。その角度はかなり鋭角で直進車に対して45度を超えるだろうかという強気な割込みだった。しかし白い車も譲らない。全く避ける気配もなく、そのまま直進し続けたのである。

だが、割り込んでくるバンもスピードを緩めない。「いいのか?いいのか!?ぶつかるぞ!?」この瞬間はものの数秒の出来事だったが私は鮮明に覚えている。まるでスローモーションのように(実際に低速なのだが)、このバンが白い車に突っ込んでいったのである。

「あぁ!!」と、思わず声が出てしまった!

「ぶつかった!ぶつかりましたよね!?」

「えぇ、ぶつかりましたね」ガイドさんは平然と笑っている。なぜこの人はこんなに落ち着いているのだろう。

バンは白い車の左前方部分にぶつかり、白い車は明らかに車体が変形してしまっている。低速とはいえ車同士接触すればこうなってしまうだろう。

しかし真の驚きはここからだった。

なんと、ここでぶつけた側のドライバーがおもむろにドアの窓を開け、「すまんね!」と手を挙げてあいさつするかのようなポーズをしてそのまま去っていってしまったのである!え!?それで終わり!?

しかもぶつけられた側もそれに対して何のアクションも取らずそのまま走り始めたのである!

いやいやいやいや!いいのか!?これでいいのか本当に!

・・・私は呆然とした。上の写真を見てほしい。これがぶつけられた側の車なのだが、明らかに左前部が変形している。もはや尖ってしまっているではないか。

「え、これどうするんですか?交通事故ですよね?警察とかどうするんですか?」

「いや、何もしませんよ。警察も来ません」

「え、でも壊れましたよね?直さないといけないですよね?どうやって直すんですか」

「保険で直すので大丈夫です」

「いや、そうじゃなくて、保険にしたってお金払わないといけないですよね。相手がぶつけてきたのにいいんですかそれで」

「はい、大丈夫です」

「いやいやいや、保険だって事故れば掛け金が高くなるじゃないですか。どうしてぶつかった人にお金を払わせないんです?」

「仕方ないんです。インドで裁判したら数年かかりますから。ハハハ」

このガイドさんとのやりとりには笑うしかなかった。そうなのだ、インドでは基本的には全て自己責任。ぶつけられても自分で何とかするしかない。

しかもインドは裁判に時間がかかることでも有名だ。

それもそのはず、インド人のルーズさも大きな要因ではあるが何よりインド人の饒舌、演説好きは常軌を逸している。そのため裁判が全く進まないのだ。ガイドさんの言う通りどうしようもないのである。これがインドなのだ。

そしてこうした渋滞の中ふと視界の左を何かが横切ったような気がして左を向いてみた。

なんと、バイクがかなりの速度で歩道を走っていたのである!これには笑った。

しかも一台だけではない。次から次へとバイクがやって来るのである。何なのだインドは!もはや車内で爆笑である。

「だからモディさんはG20の時に学校もお店も全部閉めさせました。こういう人達を各国のVIPに見せるわけにはいきませんからね」とこれまたガイドさんはケラケラ笑って言うのである。

こうして私は空港へと無事到着し、帰国の途に就いた。こうして元気に帰れたのもあの謎の注射のおかげだ。あれがなければまだげっそりとしていたかもしれない。

あぁ・・・帰って来たぞ・・・。

そして帰国してまず食べたのが吉野家の牛丼だった。帰国便の機内で猛烈に吉野家の牛丼を食べたくなったのである。まさに渇望と言っていい。そしてこの御馳走にありつけた時の感動たるや!インド食にうんざりしていた私にとって、これはまさに神の恵みであった。

それにしても美味い。叡智だ。これは日本の叡智だ。これほどの美味しさをこれほどのスピードで安価に提供できるなんて!

あぁ・・・やはり日本が一番だ・・・!

何はともあれ、私はインドから帰って来たのである。視察はこれにて終了。やはりインドは手強かった。2カ月後に控えている次のインド・スリランカは心して掛からねばならない。私は早速準備に取りかかったのであった・・・。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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