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小山聡子『親鸞の信仰と呪術 病気治療と臨終行儀』概要と感想~近代人的親鸞像の見直しを迫る衝撃的な一冊!

親鸞の信仰と呪術
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小山聡子『親鸞の信仰と呪術 病気治療と臨終行儀』概要と感想~近代人的親鸞像の見直しを迫る衝撃的な一冊!

今回ご紹介するのは、2013年に吉川弘文館より発行された小山聡子著『親鸞の信仰と呪術 病気治療と臨終行儀』です。

早速この本について見ていきましょう。

呪術を常識とした平安後期から鎌倉前期、他力信心の重要性を説いた親鸞の信仰は、貴賤を問わず人々の生活と結びついた呪術といかなる関係だったのか。親鸞自身の病気治療や来迎観などを考察し、師法然やその門弟、親鸞の家族、子孫らの治病の様相や臨終行儀への姿勢から、信仰の実態に迫る。彼らの教えを「異端」とする従来の研究に一石を投じる。

吉川弘文館商品紹介ページより

本書『親鸞の信仰と呪術 病気治療と臨終行儀』は従来の親鸞像を揺るがす強烈な一冊です。

本書と親鸞について著者は次のように述べています。非常に重要な問題提起がなされていますので少し長くなりますがじっくり読んでいきます。

平安時代中期から鎌倉時代は、呪術への信仰が実に盛んな時代であった。貴族社会では、病気の治療や出産をする時には僧侶の祈禱や陰陽師の祭や祓に依存していた。

たとえば、藤原道長は、『紫式部日記』によると、一条天皇に入内させた娘彰子が敦成親王を出産する際、山という山、寺という寺から大勢の祈禱僧を集め、ありとあらゆる陰陽師を呼んで非常に大がかりな祈禱を行なわせ、安産を祈らせた。また道長は、その日記『御堂関白記』によると、自分の体調が悪くなると、まず陰陽師に病気の原因を占わせ、門外で疫鬼を祓う祭を行なわせたり、崇りをもたらした竈神の御神屋を修復させたりもしていた。「この世をばわが世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思へば」と詠じるほどまでに栄華を極めた道長も、目に見えないものへの恐怖を克服することはできなかったのである。(中略)

鎌倉時代に入っても、病気治療における呪術への依存は続いていた。たとえば、藤原定家は、その日記『明月記』から、病の悪化を防ぐために僧侶から護身を受けていたことが明らかである。定家は、物気による病や治病のための祈禱についても数多く記している。

呪術に依存していたのは、貴族のみではない。庶民も、呪術による祈雨、豊作祈願、病気治療などに日常的に頼っていた。たとえば、『今昔物語集』をはじめとする説話集には、貧困や天変地異、病に苦しむ庶民のために祈禱をする聖の話が多く語られている。また、『春日権現験記絵』には、病気になった庶民が山伏や巫女、法師陰陽師の祈禱によって病を治そうとする姿が描かれている。要するに、呪術は、生活と密接に結びついていたのであった。

のちに浄土真宗の開祖とされた親鸞(一一七三~一二六二年)が生きたのは、平安時代後期から鎌倉時代前期であり、まさに呪術信仰の全盛期である。親鸞は、末法の世に生きる人間は阿弥陀仏にすがる以外に救われることはできないと説き、阿弥陀仏の本願を信じて他力の念仏を称えれば必ず極楽往生を遂げることができる、とした。阿弥陀仏の本願とは、第十八願のことであり、極楽浄土に生まれることを望む一切の衆生を救済し終えるまで仏にはならない、とした誓願を指す。

また、親鸞は、極楽往生のために自力による念仏や修行を行なう者は、阿弥陀仏の本願を疑っていることになるため、真の極楽浄土へは往生できず、仮の極楽浄土への往生しか叶わない、とした。親鸞は、人間が全くの無力であることを指摘し、念仏を称えることはもちろん、阿弥陀仏への信心を抱くこと自体も、実は阿弥陀仏のはからいによるものだと強調し、他力の信心や他力の念仏の重要性を説いたのであった。このような親鸞の教えは、呪術をはじめとする自力の信仰を当然とするそれまでの常識を大きく覆すものであるから、鎌倉時代の社会においてさぞかし新鮮なものとして受けとめられたことだろう。

ただし、他力の重要性を説いた親鸞自身も、呪術を常識とする社会の中で生きていたことを見過ごしてはいけない。親鸞は、九歳で出家したのち、約二〇年もの間比叡山の僧であった。すなわち親鸞は、その間、呪術信仰に慣れ親しんでいたことになる。そして、本書第三章で述べるように、親鸞の妻恵信尼の書簡「恵信尼文書」には、親鸞が衆生利益のために経典の読誦を行ない、それが自力の行為であることに気がつき途中でやめたとするエピソードが記されている。要するに親鸞は、他力の重要性を説きながらも、つい呪術に頼ってしまった経験をしていたことになる。親鸞は、呪術の効果についてどのように考え、それに対していかなる姿勢をとっていたのであろうか。

さらに、親鸞の教えは、呪術への依存が常識とされていた社会では、どのように受け入れられたのであろうか。東国の門弟からは、親鸞が東国から帰京したのち、多くの異義が出された。親鸞の教えが、門弟らに受け入れられやすいものであったのならば、そのようなことは起こらなかったはずである。したがって親鸞の教えは、門弟たちにとって、難解であったことになる。その上、親鸞でさえも、他力の信心を堅固に持ち続けることができなかったのである。したがって、その信仰を門弟たちが実践することも非常に難しかったと考えられる。

また、親鸞の家族や子孫の信仰は、親鸞の信仰と同一であることを前提に論じられがちである。しかし、はたしてそうであろうか。なぜならば、親鸞の子孫の多くは、天台宗寺院や真言宗寺院に入寺していた。また、彼らの中には、浄土の教えに帰依したのちも、顕密寺院と密接な関係を保った者も多い。親鸞の曾孫覚如とその長男存覚は、親鸞の教えについて門弟たちに説きながらも、実際には住吉社への参詣を行なっていた。そもそも親鸞は、阿弥陀仏の本願を信じ念仏を称えるのであれば、阿弥陀仏以外の仏菩薩や神などを礼拝する必要はない、と説いてきた。覚如や存覚は、親鸞のそのような教えを十分に理解した上で、神社に参詣したのである。したがって、たとえ彼らの著作物の中で他力の信心の重要性が強調されていても、実際の信仰が他力の信心を重んじるものであったとは必ずしもいえないであろう。したがって、門弟向けに書いた著作にある記述と、日常的な信仰とは分けて考える必要がある。親鸞やその家族、子孫の信仰を理想化して論じていては、中世の宗教史研究は発展しない。今後は、彼らの信仰を時代の中に位置づけて論じるべきである。

親鸞やその家族、子孫の信仰と呪術との関係を論じることは、中世の宗教の有り様を明確にする上で、実に重要である。なぜならば、自力の信仰を否定した親鸞や、その教えを日常的に傍らで耳にしていたと考えられる家族、親鸞の正統な継承者であることを主張した子孫の呪術信仰への姿勢を検討することによって、彼らが生きた中世という時代の信仰のあり方が浮き彫りになるからである。

本書では、親鸞が呪術を常識とする時代に生きていたことに着目し、親鸞やその家族、子孫の信仰と呪術信仰との関連について明確にしていきたい。特に彼らの病気治療や臨終のあり方を中心に検討していくことにする。なぜならば、病気や臨終といった生命の危機がさし迫った時にこそ、表向きの信仰ではなく、内に秘めた信仰の心髄が露わとなる傾向にあるからである。

平安時代から鎌倉時代における病気治療については、新村拓氏や繁田信一氏らの近年の研究によって、随分と明確になってきた。それらによって、病気の多くが物気や呪詛、神罰などによるものであると考えられていたことや、貴族社会では僧侶、医師、陰陽師の三者によって病気治療が行わていたことが明らかとなった。病人が出ると、まず陰陽師が呼ばれ、その原因を占う。そして、原因が何かにより、僧侶、医師、陰陽師のうちからふさわしい者が病気治療にあたることになるのである。とりわけ平安時代中期から鎌倉時代前期には、病気の原因が物気であると判断されることが多かったことから、三者の中でも僧侶が病気治療に果たした役割が大きかった。実際のところ、親鸞でさえも経典読誦による治病を試みた経験を持つのである。

それにもかかわらず、僧侶による病気治療のあり方については、現在まで本格的に論じられず、必ずしも明確にはされてこなかった。貴族が物気による病に倒れると、多くの場合、僧侶によって護摩修法や加持が行なわれていた。僧侶は具体的にどのようにして護摩修法や加持を行い、物気を退治して病気を治すと考えられていたのであろうか。このような点について明らかにすることは、平安時代から鎌倉時代における病気治療のあり方について明確にする上で不可欠である。

吉川弘文館、小山聡子『親鸞の信仰と呪術 病気治療と臨終行儀』P1-5

少し長くなってしまいましたがいかがでしょうか。

ここを読むだけでも「えっ!」となるお話がどんどん出て来たのではないでしょうか。

「親鸞の教えは、門弟たちにとって、難解であったことになる。その上、親鸞でさえも、他力の信心を堅固に持ち続けることができなかったのである。」

「親鸞の家族や子孫の信仰は、親鸞の信仰と同一であることを前提に論じられがちである。しかし、はたしてそうであろうか。」

まさに本書では親鸞の信仰の実態がどういうものだったのか、そして呪術信仰が当たり前だった世界において弟子たちはどのように教えを理解していたのかということが語られていきます。

そしてそれは門弟だけでなく、親鸞の一族においても状況は同じで、特に長男善鸞についての考察は非常に興味深いです。

実の父である親鸞を裏切り東国教団を混乱に陥れたということで義絶されてしまった善鸞ですが、はたして彼はそれほどの悪人だったのでしょうか。善鸞がどのような信仰を持ち、どのように東国で活動していたかもこの本では詳しく語られます。また、何より親鸞自身にも問題はなかったかという、ある種危険すぎる問いが提起されます。

この本を読めば私達が想像もしていなかった親鸞の世界が見えてきます。

これまで語られて来た親鸞とは一体何だったのか。そんなことまで考えずにはいられない刺激的な一冊です。

現在この本は入手が困難になってしまっていますが、親鸞研究に一石を投じる貴重な一冊であることは間違いありません。ぜひおすすめしたい一冊です。

以上、「小山聡子『親鸞の信仰と呪術 病気治療と臨終行儀』概要と感想~近代人的親鸞像の見直しを迫る衝撃的な一冊!」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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