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近江俊秀『古代日本の情報戦略』概要と感想~全ての道は奈良に通ず?古代日本にも巨大高速道路が整備されていた!

古代日本の情報戦略
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近江俊秀『古代日本の情報戦略』概要と感想~全ての道は奈良に通ず?古代日本にも巨大高速道路が整備されていた!

今回ご紹介するのは2016年に朝日新聞出版より発行された近江俊秀著『古代日本の情報戦略』です。

早速この本について見ていきましょう。

律令制の駅路逓送システムの成立で、中央の命令は地方に行き渡り、謀反、飢饉など危機情報が即、政府に報告され、確実な地方支配が可能となった。史料、発掘調査から、情報がどう道路を行き交い、国家を支えていたかを解き明かす。

Amazon商品紹介ページより

本書は書名通り、6世紀末頃より整備された駅路による国家情報統制システムについて知れる刺激的な一冊です。

駅路とはもともとは唐の律令体制を支えた道路網のことで、このシステムを日本も導入したということになります。この駅路システムについて本書冒頭では次のように述べられています。

中央集権体制における政治・行政上の意思決定は、原則としてすべて都で行われる。日常的な事柄に対しては、法律で定めているものの、反乱などの重大事件の発生、外交問題、災害や飢饉などの緊急事態発生となると、地方の行政官はいちいち都に方針を諮らなければならなかった。そうした事態に速やかに対応するためには、情報伝達そのものをスピードアップしなければならなかったのである。

そして何よりも、日本が手本とした中国の律令における緊急通信制度(駅制)は、異民族の国境侵入や内乱などの非常事態の発生に対応するため、可能な限り速やかに皇帝のもとに情報を届けられるよう制度設計がなされていた。そのため、中国の制度をとり入れること自体が、スピーディーな情報伝達方法を獲得できることにつながったのである。

本書では、中央集権体制を実現した古代日本の情報伝達システムとそれを可能にした社会の実態を明らかにする。また、情報が信号化されず人力で伝えられていた時代に、それがどれほどのスピードであったのか。情報伝達の方法や運営システムはどうなっていたのか。どんな情報が飛び交っていたのか。文献資料や考古学の成果から考えていくこととする。

朝日新聞出版、近江俊秀『古代日本の情報戦略』P6

現代を生きる私たちは電話やインターネットの存在により瞬時に情報を伝えることができますが、当然ながら古代にはそのようなシステムが全くありません。それにも関わらずあの巨大な中国を統治していたのが唐なのでありました。よくよく考えてみればこれはとてつもないことですよね。ですがそれを成り立たせることができたのも優れた情報交換システムが存在していたからこそなのでした。

日本がこの唐の情報システムを取り入れるきっかけとなったのは663年の白村江の戦いでの敗戦によるものが大きいとされています。これにより唐や新羅が日本にも侵攻してくるのではないかという現実的な危機感が倭国に共有されたのでした。上の引用にもありましたように、戦争や反乱などの情報は国家運営の最重要案件です。それらの情報がいち早く政府に入って来なければ対応が後手に回ってしまうことになります。そこで唐の駅路システムを導入する運びとなったのでした。

本書の第1部ではこの駅路システムの例として藤原広嗣の乱の時に、九州の大宰府から平城京までの650キロほどの距離を使節がたった5日で走破したことが語られます。これは車もない時代において驚異的な速度なのではないでしょうか。この駅路システムの速度について著者は次のように解説しています。

第1・2章でみたとおり、古代国家は一日一〇〇~一五〇キロメートルの速度で情報を伝えることができた。この速度は、交通システムが整った江戸時代にも引けをとらないが、では現代においてこれがどの程度速いのかを確認しておきたい。後に詳しく述べるが、古代の緊急の使者は、馬に乗って情報を届けた。当時の馬は馬体が小さく(体高一二〇~一三〇センチメートル程度)、人を乗せた場合の速度も時速二〇~三〇キロメートルだったと考えられる。また、使者には徒歩による随行者(駅子)もいたので、古代の移動速度をイメージするには陸上競技の長距離走と比較するのが適当だと思う。

二〇一五年現在のマラソンの世界記録は、二〇一四年九月二八日にケニアのデニス・キメット選手がベルリン・マラソンで記録した二時間二分五七秒。時速約二一キロメートルとなり、約七時間で一五〇キロメートルを駆け抜ける計算となる。逆に二四時間かけて一五〇キロメートルを走るとすれば、時速は六・二五キロメートル。フルマラソンを六時間半かけて走るペースであり、これなら何とかなりそうである。

しかし、奈良時代は人々が移動できる時間は日の出から日の入りに限られていた。街道に置かれた関所は日の出とともに門を開き、日の入りとともに閉門する。よって通行できる時間は、一一~一三時間程度となる。そうすると時速は一二キロメートル前後、一九八四年にニューヨークで開催された一二時間ロードレース(一二時間でどれだけ走れるかを競つたレース)で、ギリシャのイアニク・クーロス選手が記録した一六二・五四三キロメートルに匹敵するぺースということになる。

もちろん、古代にこうした超人的なアスリートが複数いたわけではない。古代国家は、誰が情報を届けるにしても一定の速度で、しかも確実に伝達できるようなシステムを整えていたのである。そのシステムこそが、駅制という制度であった。

朝日新聞出版、近江俊秀『古代日本の情報戦略』P55-56

現代のマラソン選手と比較してみるとイメージしやすくてわかりやすいですよね。

そして重要なのは「古代国家は、誰が情報を届けるにしても一定の速度で、しかも確実に伝達できるようなシステムを整えていたのである」という点です。超人でなければ不可能なシステムではシステムとして失格です。ここをクリアできるのが律令体制の強みでありました。本書ではそんな駅路の具体的なシステムを見ていくのですが、次の箇所もとても印象に残っています。

駅路は発掘調査によって北は岩手県から南は鹿児島県に至る各地でみつかっている。幅は路線によって違いがあるものの、通過する場所や造られた時期によっても違いをみせ、最大のものは幅三〇メートルを超える例も認められている。また、道路の造り方は、平らで安定した土地であれば、二本の側溝を掘る程度であるが、土地がぬかるんでいれば土を盛り、多少の丘陵であれば、それを切り崩している。

そして、何よりも驚かされるのは、駅路はとことん直線にこだわっていることである。この前後の時代の道路は、ぬかるんだ土地など道路を通すのにふさわしくない場所はできるだけ避け、地形に沿うようにゆるやかな蛇行を繰り返すという特徴があるが、駅路はそんなことはお構いなしに、どこまでもまっすぐに造られている(写真9)。

また、駅路は都と国家が地方支配のために国単位に置いた国府との間を最短距離で結んでいる。つまり、都と地方拠点とを最短距離を通るように新たに敷設されたのである。

維持・管理の措置も徹底している。発掘された駅路の中には、路面のでこぼこを埋めた痕跡や、路肩が崩れないように石や杭で補強したものもある。国家が行う建築や製造について定めた「営繕令」には津・橋・道・路(路は都や国府の周辺など都市の道路を指し、道はそれ以外の道路を指していると考えられる。そうだとすると駅「路」は都市空間の一部と認識されていたことになろう)は毎年、九月の半ばから修理し一〇月いっぱいに終わらせることとされている。通行に支障が出るような損壊があったならば、時期に関係なく修理することともされており、駅路はこうした規定に則って大事に維持・管理されていた。

都へ最も早く向かうことができ、かつ維持管理も徹底された幅広の直線道路。それこそが、駅使が通ると定められた駅路なのである。

朝日新聞出版、近江俊秀『古代日本の情報戦略』P70-72

本書では具体的に写真でその跡を見ることができるのですが、ここで紹介できないのが残念でなりません。この解説にありますように、巨大な道路の跡がまっすぐ伸びているのです。これには驚きました。しかもその道路が常に整備もされ、一直線に都に向かっているというのも驚異的です。七世紀末の日本でこのような道路工事が行われていたというのには驚きでした。

道路といえばやはり私は古代ローマ帝国を連想してしまいます。

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およそ2000年前に全盛期を迎えていたローマ帝国にはそれこそ高度な土木技術が花開いていました。その代表が道路工事であります。「すべての道はローマに通ず」と言われるようにローマ近辺だけならずヨーロッパ中に道路が敷設されました。私も2022年にローマ近郊のアッピア街道で今も残るその道路を見て参りました。その感動は忘れられません。

このローマの道路も軍用であり、情報戦略のための道でありました。

また、時代は変わりますがC・ウォルマー『世界鉄道史 血と鉄と金の世界変革』によれば19世紀にヨーロッパで鉄道が実用化された時もその目的のひとつは軍事・情報戦略のためであったとされています。

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こうして見ると、いかに早く情報を収集し伝えるかというのは国家運営において最大の課題であることが見えてきます。古代日本においてもこのことは変わらずその重要性が意識されていたということを本書で学ぶことになりました。

そして興味深いことに、この優れた駅路も律令体制の崩壊と共に姿を消してしまうことになります。なぜこの優れたシステムが消えてしまったのかも本書では学ぶこともできますのでこれは興味深いです。

古代の情報システムという観点から奈良・平安時代を見ていける本書は実に刺激的です。ぜひぜひおすすめしたい一冊です。

以上、「近江俊秀『古代日本の情報戦略』概要と感想~全ての道は奈良に通ず?古代日本にも巨大高速道路が整備されていた!」でした。

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古代日本の情報戦略 (朝日選書 953)

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古代日本の情報戦略

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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