礪波護『馮道 乱世の宰相』あらすじと感想~唐後の五代十国の戦乱期に民を守ろうと誠実に生きた官僚の生き様とは!
礪波護『馮道 乱世の宰相』あらすじと感想~唐後の五代十国の戦乱期に民を守ろうと誠実に生きた官僚の生き様とは!
今回ご紹介するのは2024年に法藏館より発行された礪波護著『馮道 乱世の宰相』です。
早速この本について見ていきましょう。
五代十国時代、五王朝、十一人の皇帝に仕え、二十年余りも宰相をつとめた馮道。破廉恥・無節操と非難されたが、それは「事はまさに実を務むべし」「国に忠たり」を体現した生き方だった。その生の軌跡を鮮やかに描きあげる。
Amazon商品紹介ページより
今作の主人公馮道は唐末から戦乱の五代十国の時代を生き抜いた官僚です。
本書ではそんな大混乱の時代を生きた名宰相の生き様を時代背景と共に見ていくことになります。
唐末から五代十国、宋へと続いていく時代というのは三国志や隋唐時代と比べるとかなりマイナーな時代です。正直、私自身もこれまでこの時代にはあまりピンとくるものがありませんでした。
しかし本書を読んで907年に唐が滅び、960年に宋が建国されるまでの時代はこんなことになっていたのかと驚きました。そしてさらにそんな武力がものを言う世界の中で、一人の文人官僚が民を救わんと奔走していたことに私は衝撃を受けました。
ただ、この馮道という人物自体は上の引用にもありましたように、様々な王朝や君主に仕えたことで「忠なき人間」としてこれまで悪し様に言われることが多かった人物でありました。しかしそれは後の歴史家達が当時の政治状況に照らし合わせて張ったレッテルでもあったのです。著者は「おわりに」で次のように述べています。
本書において、わたくしは、馮道の生涯を、かれが生きた社会背景との関連に重点をおいて、たどってきた。かれは五代の宰相なのであって、唐代の宰相でもなければ、宋代の宰相でもなかったからである。また本書の執筆にあたっては、後世の歴史家たちのかれにたいする評論に細心の注意をはらってきた。「歴史を研究する前に、歴史家を研究してください。歴史家を研究する前に、歴史家の歴史的および社会的環境を研究してください」というE・H・カーの言葉(一九六一年にケンブリッジ大学で行なわれた連続講義録『歴史とは何か』)を至言だと考えたからである。
カーはつぎのような発言もしている。「歴史とは、歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのである」。そのとおりだと思う。忠君愛国とはおおよそ縁の遠い、第二次大戦後の教育を受けてきたわれわれには、君に忠といわず国に忠といい、虚名に誤られることなく、何事にも現実を重視せよと主張した馮道こそ、かえって、近代的な感覚の持ち主であったように思われる。軍閥が実権を握り、クーデタにつぐクーデタに明け暮れたこの時代に、一般庶民の救済を念じ、人の生命を奪うことを嫌い、公平無私な態度で人に接し、つねに平和を愛好した馮道は、一千年もの年月をこえて、現代のわれわれに共感を呼びかけてくるであろう。
法藏館、礪波護『馮道 乱世の宰相』P254-255
まさに本書ではこれまで馮道に対してなされた非難がはたして正当であったかを問うていきます。
E・H・カーの『歴史とは何か』は以前当ブログでも紹介した歴史書の名著中の名著です。
まさに、カーの「歴史を研究する前に、歴史家を研究してください。歴史家を研究する前に、歴史家の歴史的および社会的環境を研究してください」という言葉は至言です。私もこの言葉は強く印象に残っています。だからこそ私も仏教の歴史や思想を学ぶ際にはその時代背景を重要視しています。
また、著者の礪波護氏は本書の主人公馮道について次のように述べています。
馮道はそれまでに何人かの軍閥につかえ、かれらの滅亡を第三者のような立場で見送ってきた。滅びた者は、武将でありながら武力を失って滅びたのだから自分が悪いのである。武力をもたない文官はその間に立って何もできるはずがない。ただ自分と関係があっただけの理由でそれらの武将と生死をともにしていたら、命がいくつあっても足りない。軍人たちは自分らで勝手に殺しあえばよく、文官はその勝った方に出頭して使われていくだけのことだ。ただ、戦火にさらされながら、軍閥から搾取されつづけ、生きた心地もないその日暮らしの生活を送っている大多数の庶民の苦痛を、すこしでも軽減してやることを、精いっぱいの仕事とするよりほかはない。これは馮道が体験から得た人生哲学であった。
法藏館、礪波護『馮道 乱世の宰相』P178-179
軍閥がのさばり歩くこの乱世においては、文官は大多数の人民のために自分のできる範囲のことで、精いっぱい努力するしかほかに道はない。馮道はいつもそう考え、実行してきた。
法藏館、礪波護『馮道 乱世の宰相』P207
宋代以後の中国では一人の君主に忠義を尽くすことが最も重要なことだという価値観が強化されていきました。馮道を批判する歴史家はこうした宋代以後の中国を生きた人物たちです。だからこそ多くの君主に仕えた馮道を批判するのです。
しかし馮道が生きたのは宋代以前の五代十国時代です。その大混乱の時代に民を救うために戦い、実行し続けた馮道のあり方を後の時代の常識を当てはめて批判するというのはナンセンスというものであります。これぞまさにカーの指摘する問題です。
馮道という人物は日本ではほとんど知られていないと思います。私も中国史を学ぶまで知りませんでした。しかし、巨大な官僚システムの中でこうした立派な官僚がたしかにいたのです。彼のおかげで救われた無数の民が実際にいたのです。中国史の見方がまた変わった刺激的な読書となりました。これは間違いなく名著です。ぜひおすすめしたい一冊です。
以上、「礪波護『馮道 乱世の宰相』あらすじと感想~唐後の五代十国の戦乱期に民を守ろうと誠実に生きた官僚の生き様とは!」でした。
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