礪波護『唐の行政機構と官僚』あらすじと感想~「たてまえとしての歴史」が残っているが故の危険を問う歴史学の名著!
礪波護『唐の行政機構と官僚』あらすじと感想~「たてまえとしての歴史」が残っているが故の危険を問う歴史学の名著!
今回ご紹介するのは1998年に中央公論社より発行された礪波護著『唐の行政機構と官僚』です。
早速この本について見ていきましょう。
二十一世紀へ向けて改革が進められている、わが国中央省庁の源、唐の三省六部。その機構の全体像を示し、若き日のキャリア官僚が就いた県尉こそ、税務署長と警察署長に外ならぬ、と説く。官僚に対する辞令書「制誥」と官庁の壁に書かれた「壁記」をもとに、唐代における行政機構と官僚社会について考察論証した比類なき名著。
紀伊國屋書店商品紹介ページより
本書はそのタイトル通り「唐の行政機構と官僚の実態」を詳しく見ていく作品なのですが、これまたものすごい一冊でした。
「唐の行政機構と官僚の実態」というテーマそのものはものすごくマニアックです。一般読者が中国史を学ぶ上ではなかなか深入りすることはないであろうこのテーマでありますが、本書ではこの題材を通して歴史研究における重大な側面を学ぶことになります。上の本紹介にありますように、まさにこの点こそ本書が「比類なき名著」と評される所以であることでしょう。
本書前半で著者は次のように述べています。
隋代に成立し、唐代に受け継がれた律令体制は、理論的には、律令格式に則って全国にくまなくゆきわたっていたはずであった。均田法に則って土地の給田があり、その見返りとして徴税(租庸調制)と徴兵(府兵制)が行なわれ、その運用を確実にするために行政村(郷里制)がおかれ、四隣五保による連帯責任制があったはずであった。それがたてまえであり、理想であった。(中略)
では、唐代の社会の実態もそのとおりであったと考えてよいのであろうか。否と答えざるをえないである。最もたてまえどおりに運用されている唐初においてさえ、その社会の実態はたてまえとは大いに乖離していた。理念と現実は一致していなかったのである。このことは、律令に載せられている均田制が規定どおり行なわれたか否かを考える際に明瞭になるであろう。
中央公論社、礪波護『唐の行政機構と官僚』P18-19
前近代の中国の歴史を研究する者の陥りやすい危険は、たてまえを実際と錯覚しがちであり、制度のたてまえと社会の実態との末離を見逃しがちなことである。
法制史的に取り扱って偏狭な教条主義に陥ることなく、政治史的に取り扱って法制の存在をまったく無視した修正主義に陥ることのないように留意し、あらゆる部門で理念と現実との差異を明確にしていく努力を積み重ねなければならない。唐代の律令体制のように、かたちの整った制度が全国的に施行された、とされている時代を研究対象とする場合には、とりわけ細心の注意が払われるべきであろう。われわれが手にしうる史料の性格から、制度史は研究上の便宜を与えられすぎているが、安易に便乗してはなるまい。
中央公論社、礪波護『唐の行政機構と官僚』P33
日本でも奈良時代には唐の制度を取り入れて律令制が本格化しますが、その本家本元の中国の律令制度の実態はどうだったのかということを本書では見ていきます。
そして上の引用にもありますように、本家本元の唐の律令にはたてまえと現実が存在していました。しかし中国はインドとは違い、文字で大量に記録を残す文化でありました。そのため、たてまえとしての歴史もそのまま歴史書に大量に残ることになったのです。
そうした「たてまえとしての歴史」が大量に残っているが故の危険がある。
それを著者は指摘しています。
なるほど、これは盲点でした。記録が大量に残っているからこその罠がある。これは意識しないとまず引っかかってしまうことでしょう。
本書のテーマは「唐の行政機構と官僚の実態」ということで、これらについて詳しく見ていくのでありますが、こうした「歴史のたてまえと現実」の問題はあらゆる分野で起こりうることではないでしょうか。宗教における教義と信仰生活の実態を考える上でもこれは非常に重要な視点であるように感じました。
本書の内容自体はたしかにマニアックです。しかしそのマニアックなテーマを通じて普遍的な問題にまで突き抜けるその流れは圧巻です。唐の時代背景をまた違った角度から見ることができた本書は非常に刺激的でした。
以上、「礪波護『唐の行政機構と官僚』あらすじと感想~「たてまえとしての歴史」が残っているが故の危険を問う歴史学の名著!」でした。
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