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ついにやって来たインドの洗礼。激しい嘔吐と下痢にダウン。旅はここまでか・・・

リシケシ
目次

(8)ついにやって来たインドの洗礼。激しい嘔吐と下痢にダウン。旅はここまでか・・・

疲労と頭痛で倒れ込むように寝たのがおそらく22時過ぎ頃。朝までゆっくり寝たら少しは回復するのではないかと一縷の望みをかけていた私だったが、インドはそんなことを許してくれるはずもなかった。私はこれからのたうち回ることになるのである。

目を覚ましたのは深夜の1時半頃だったと思う。吐き気と胸やけで目を覚ましたのだ。

しかし不用意には起き上がらなかった。動くのが怖かったのである。刺激を与えればもっと具合が悪くなるかもしれない。経験上、私はそれを知っているのである。

私はそのまままんじりともせず、天上を見つめじっとしていた。そして祈り続けた。「これが一時のものでありますように」と。

しかし吐き気は収まる気配がない。いや、むしろ明らかに状況は悪化している。これはまずい・・・まずいぞ!

嫌だ・・・吐きたくない・・・何とか治ってくれ・・・!

が、そんな私の願いも虚しくいよいよ急を要する状態となってきた。もはや戦況は変わり始めたのである。

「これは吐くしかない」

私はそう決断した。これ以上吐き気と戦っても勝ち目はない。こういう時はもう思いきって出してしまう方がよいのである。吐く時は余裕を持たねばならぬのだ。これもベテランならではの判断である。

よろけながらトイレへ向かう。あぁ、ついにインドでこの時が来てしまったか・・・。気を付けていたはずなのに・・・。

そして便器を前にして私は崩れ落ちた。想定よりも早く熱いものが込み上げてきたのである。

それは凄まじい奔流であった。腹の奥底から突き上げてくるかのような深い嘔吐だった。消耗が激しい。気づけば全身ものすごい汗で全身が湿っていた。

文字通りトイレに倒れ込む。起き上がれない。たった一度の戦いでこの有り様か・・・

経験上、この手合いの多くは波状攻撃を仕掛けてくる。そうやすやすと解放してくれるはずがないのである。

何とか這いつくばり、ベッドに戻るが吐き気は一向に収まる気配がない。視界も回り始めた。頭痛も止まらない。

これはまずい。実にまずい。完全にインドの術中にはまってしまっている。これはもうダメかもしれない・・・

私はそれから何度となくトイレにこもり、その度に真っ青になってベッドに帰ってくるのを繰り返した。もう何も出てこない。胃液しか出てこない時の辛さはきっと世の多くの方が共感してくれるだろう。しかしそれでも吐き気は収まらず、眠れぬままついに朝を迎えてしまった。

そして7時頃、今度は急にお腹が痛くなり始めたのである。これは珍しい!私はたいがい、こういう場合には上か下かそのどちらかだけというのが相場だったのである。それがまさか上下同時というのは想像もしていなかった!これまでのインド日程でもまだ下痢が観測されていなかった分、余計に驚きは大きかった。

最初はアルメニアの時のようにただ水のように出ていくだけかと思っていたが、やはりインドはすごかった。その量と勢いは凄まじく、全身汗だくになり意識が飛びそうになるほどだった。何なのだインドは!しかも意識が飛びそうな下痢の最中にも吐き気は収まらない!お願いだからもう勘弁してくれ!私は一人インドで泣きそうになっていた。

なんとか窮地をしのぎ切り、這いつくばってベッドへ帰った。そしてうつぶせで大の字のままとうとう動けなくなってしまった。もう限界である。

もう朝の8時を過ぎている。日本はすでに昼前だ。実家に電話すると母から「帰ってきなさい」と言われたが、帰ろうにもこんな山奥では帰りようがない。しかもそもそもベッドから動ける状態ではないのである。

次にガイドさんに電話をかけた。ガイドさんとはリシケシ初日を終えた後一旦解散し、先にデリーに帰ってもらっていた。なので電話で連絡を取るしかない。「困ったらいつでも連絡ください」と言っていた彼だ。きっとつながるはずだ。

「・・・」

出ない。繋がらない。ならば次だ。

そして私は今回の旅の手配をお願いしていた旅行会社「アショカツアーズ」さんに電話をかけた。するとすぐに事情を把握してくれ、お医者さんを手配してくれることになった。さすが「アショカツアーズ」さん。本当に頼りになる。

こうしてお医者さんが来てくれることになりほっと一息ついた頃、例のガイドさんから電話が来た。

「上田さん、どうしましたか?」

「はい、かくかくしかじかで・・・」

「そうでしたか。大変でしたね」

そしてここで彼は信じられないことを言ったのである。

「でも大丈夫です!注射打てば30分で治りますから!」とケラケラしているのである。

これには私も面食らった。まさかそんな簡単に治るわけないではないか!まあ、インドでは私のようにお腹を壊す旅行者がたくさんいる。きっとガイドさんも慣れているのだろう。勇気づけてくれているのかもしれない。

10時頃にはお医者さんが部屋にやって来た。初老の男性と看護師?の女性だった。女性はもうおばあさんと言ってよい雰囲気でとても優しそうな顔をしていた。

そして私が驚いたのはここからである。診察の後お医者さんがカバンから何かを出し始めたのだ。

私は目を疑った。なぜなら、そのお医者さんが持っていたのが親指ほどの太さがあろうかという注射器だったのである。点滴にしてはいやにごつい。

「え?これを打つんですか?」

にっこり頷くお医者さん。そしてうつぶせになるよう指示される。

「え?腕じゃないんですか?え?お尻!?」

正確にはお尻と腰の間くらいだろうか、そこに打つと言うのである。いや~参った!あんなぶっといのをここに打つというのか!

しかしどうしようもない。やるしかないのだ。こう診察している間も具合が悪く、座っていることさえままならない。気持ち悪くて呻き続けている私にとって、藁にもすがる思いだった。

そしてその時が来た。ある程度の痛みは覚悟していたがそれでも痛い!ビリビリビリっと痺れるような痛みだ。注射で痺れるのはありなのだろうか、神経にでも当たっているのではないかと不安になるが私にはどうにもできない。薬剤も多いのか注射にも時間がかかる。そんな痛みでシーツを握りしめていた私を見て看護のおばあさんが頭を撫でてくれた。よっぽど私が不憫だったのだろう。この時私にはこのおばあさんがマザーテレサのように思えたのである。

あぁ、ようやく注射が終わった。何とか耐えたぞとほっとしていると、お医者さんがおもむろにもう一発注射を用意し始めた。え?今度は反対側にもう一発?うそでしょ・・・。

観念して私は大人しく耐えることにした。

しかし不思議なことに二発目はそこまでの痛みを感じなかった。やはりさっきのは変なとこに当たっていたのではないか。だって、まだ痛いもの。実際この痛みはその日の夕方まで続いたのである。

マザーテレサの励ましもあり私はなんとか注射を耐え、それからいくつかの錠剤と経口補水液を飲んだ。「これで大丈夫。すぐ良くなりますよ」とお医者さん。いやはや、本当にすぐ良くなればいいのだが・・・。だが、これで一安心だ。数日もすれば多少は動けるようになるだろう。これでインドを脱出して帰れるというものだ。

私はお医者さんに礼を述べ、またひとり部屋で病人のように横になり続けたのである。(実際本当に病人であるが)

だがここで予想だにしていなかったことが起こった。お医者さんが帰ってから1時間ほど経った頃、私は体の変化を感じ始めたのである。

明らかに吐き気と全身の不快感が収まり始めた!どうしたものか!本当に1時間で治ってしまったのである!あのガイドさんが言っていたように30分とまではいかないが、本当に注射でスパッと良くなったのである!もちろん、身体そのものは衰弱して動けはしないが、吐き気や不快感、痛みがないだけで雲泥の差がある。これはいいぞ!

だが、注射一本でこれだけの体調不良が一瞬で治ってしまうのもそれはそれで恐い気もしないではない。あの注射には一体何が入っていたのだろうか。

まあよい、治ったのならそれでよし。こうして快方へと向かい出した私はリシケシでの療養生活を経て、二日後には外を歩けるまでに回復したのである。

今思い返してもこの時の嘔吐と下痢はトラウマである。そしてあの謎の注射も忘れ難い。私のインドに対するイメージはこの洗礼によって決定づけられたと言ってよい。

リシケシ最終日の早朝、私はガンジスを歩いて見ることにした。

川沿いは遊歩道のようになっていてとても快適。ハリドワールの川岸のようなカオスとは無縁だ。私の滞在した宿はリシケシ中心部から少し離れた位置にあったためこのような穏やかな雰囲気を楽しむことができたのである。

ほぼ二日間歩くことすらおぼつかなかった私にとって、この散歩がどれほど幸せなものだったか!

そして対岸の山の向こうから昇ってくる太陽はまさに神の世界。山肌を覆う薄靄も実に神々しい。リシケシが聖地なのもよくわかる。「ここには神様がいる」と自然と感じてしまうのだ。ガンジスの流れる音も心地よい。これだよこれ、これを求めていたんだ。こういうインドを見てみたかったのだ。ハリドワールはあまりにディープ過ぎた。

昇りゆく太陽を眺めながら川の音を楽しむ。朝の風も心地よい。ここにいると、自然と瞑想的な気分になっていく。

体調を崩して弱っていた分、この美しいガンジスがより心に染み入る。この一瞬のために体調を崩したんだとさえ思えてきた。おめでたい考え方と思われるかもしれないがなんてことない、私もこうしてガンジスに浄化されたのである。

こうして良くも悪くもあまりに濃厚な体験となったハリドワールとリシケシの日程もいよいよ終わりに近づいてきた。出発前、改めてガンジスを歩いてみると、日の出の時とはまるで違う雰囲気があった。やはりあの日の出は特別だったのだろう。昼間のガンジスも清々しいものがあったが、あの神聖な雰囲気はなかなか見れるものではなかったのだ。

さあ、出発だ。デリーへと帰ろう。そしてもう少しで日本へ帰れるのだ・・・

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※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。

「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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