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インドで仏教が広まるわけがないと確信した日~ガンジスの沐浴場でショックを受ける私

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【インド・スリランカ仏跡紀行】(6)
インドで仏教が広まるわけがないと確信した日~ガンジスの沐浴場でショックを受ける私

ハリドワール滞在3日目の朝を迎えた。昨日のマンサ・デーヴィー寺院や2日連続のプージャ見学ですでに体力は限界ぎりぎりである。

しかしせっかくここまで来たのだ。少しくらい一人で歩いてみたい。

というわけでこの日の朝の自由時間、私は散歩に出かけることにしたのである。

だが、宿を出てすぐに私は度肝を抜かれた!なんと、ガンジスの水位が大幅に下がっていたのである!川岸は底が見えるくらいだ!

左が一昨日、そして右が今日である。その差は一目瞭然だろう。

たった1日やそこらでこれほどまでに水位が下がるのかと驚いた。確かなことはわからないが、ハリドワール最終日にして目の前の世界は大きな変化を見せている。

う~ん、だが、どうだろう・・・。ものすごく汚い・・・。大量のごみが土砂と混じり、もはや何とも言えない光景だ。ヘドロのようなにおいもする・・・。

そして何より私は次の光景に衝撃を受けたのである。

な、何だこれは・・・!

私はまさに絶句してしまった。

川の水位が下がったことで皆気軽に川に入ってきているのだろう。しかしそれにしてもこれは・・・!

写真だけでは伝えきれない!ぜひ動画も見て頂きたい!

昨日までのような濁流ではなく、せいぜい腰下ほどの高さまで水位が下がっている。浅いところでは膝下くらいの水位だ。しかし茶色の流れであることは変わりはない。そこに老いも若きも、男女も関係なく皆かがんで全身川に浸かるのである。昨日までのドボンと沈む沐浴姿と違って、全身が浸かるためにはよりアグレッシブな動きが必要になってくる。それをまた皆楽しそうにやっているから興味深い。

水をかけ合っている人もいて、とにかく楽しそう。まるで流れるプールで遊んでいる人達のようにも見えてくる。プージャで見た「おっかない顔」とは全く違う朗らかな顔を私はここで見たのである。

ここの喧噪を聞いてもわかるだろう。ここがインド人にとって実に楽しい場所であるということが。

昨日訪れたマンサ・デーヴィー寺院もまさにこういう雰囲気である。

この朗らかな宗教的世界観について、たしかに私も前日のマンサ・デーヴィー寺院でも思うことがあった。彼らは実にオープンに自分の幸福を願うのである。そこにお参りすることで自らの悪が清められ幸運がやって来るという誠に楽観的(ポジティブ)な雰囲気なのである。

プージャで見た「おっかない顔」とマンサ・デーヴィー寺院と沐浴場で見た「朗らかな顔」。

これじゃあ矛盾じゃないか。結局ハリドワールはどっちなのだ?

どちらも正しい。「おっかない顔」の時もあるし「朗らかな顔」の時もあるのである。ここはインドだ。理屈じゃない。矛盾も全て包み込むカオスな世界がここにある。細かいことは気にしない方がよいのである。

そして私の驚きはまだまだ止まらない。次の写真を見てほしい。

私はインド人の沐浴姿を呆然としながら見ていたのであるが、その内明らかに沐浴とは違う動きをしている人達がいることに気づいたのである。別の角度からも見てみよう。

この写真の左側の男性に注目してほしい。右手に何やらかごのようなものを持って水面を見ているのがわかるだろうか。さらに寄ってみよう。

おぉ!これはまさに砂金探しをしているかのようではないか!

そしてそれは実際にその通りなのである!彼は川底に沈んだコインや貴金属をこうして探しているのだ!しかもよく見てみると、この周りにいる人達も皆同じことをしているのである!

なぜ彼らがこのようなことをしているかというと、ここハリドワールでは毎日大規模なプージャが開催されるため、莫大なお布施がここで施されることになる。しかしこれまで見てきたように、いざお祈りが始まるとここは修羅場のような大混雑になる。そうなるとお金を落としてしまったり、なんらかの手違いで川に装飾品などを落としてしまうといったことが往々にして起こってしまう。それを彼らはこうして拾い集めているのである。

ガンジスの聖地で繰り広げられるこのような光景に私はすっかり参ってしまった。神聖さと俗っぽさがここまで同居するなんてもはや理解の範疇を超えている。

「神聖なガンジスの聖地で沐浴する人々」

こう言うのは簡単だ。

しかしそのガンジスの中でいかに雑多な世界が繰り広げられていることか!

やはりここにはブッダが入り込む隙間はない。ここにいる人達に「沐浴は意味がない。慎み深く生き、善いことをして悪いことをするな、輪廻から解脱せよ」と言っても通じるはずがない。ここの人達は皆ガンジスの浄化を信じ、現世と来世の幸福を祈っている。そしてハリドワールが生み出すヒンドゥー教的な祝祭空間を心の底から楽しんでいる。

こういうインドの国民性、宗教性の中でブッダはそれらを否定した。やはりブッダはとんでもないアウトサイダーなのだ。彼の教えがインド中に広まっていったというのはどういうことなのかもっと突き詰めなければならない。

やはりここに来てよかった。現地に来たからこそ感じるものがある。

「こんなとこで仏教が広がるわけがない!」

私はそう思った。しかし現に仏教はインドに広まり大きな勢力になったのである。13世紀には滅亡してしまうものの、ブッダ亡き後もインドで繁栄していたのはれっきとした事実なのだ。私の中で明確な課題が見つかった。仏教はなぜこうしたインドで大きな勢力となりえたのか。誰がブッダの教えを聴いたのか。このことに着目して勉強を続けよう。

ハリドワール滞在は私にとって忘れ得ぬヒンドゥー教世界との出会いとなった。

※ちなみにすべてのインド旅行を終えた私がすぐに取りかかった【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】はまさにこの観点を重視して書いたブッダの伝記になる。特に「⒁仏教が生まれたインドの時代背景~古代インドの宗教バラモン教の歴史と世界観とは。カースト制についても一言」からの連続記事はまさにブッダがインドで受け入れられていった時代背景を詳しく論じている。これらの記事はこのハリドワール体験があったからこそ生まれたものだ。そういう意味でもこのハリドワール滞在は私にとって実にありがたい経験となったと言えよう。

※2024年10月追記

「(4)どうしてインド人は聖なるガンジス川が汚くても気にならないのだろうか~沐浴者の横を流れるゴミにふと思う」の記事でもお話ししましたが、私はインド人のガンジス川への信仰を否定しているわけではありません。浄土真宗の僧侶として現地で感じた素朴な思いをこの記事でお話ししました。特に現世利益や欲望肯定、聖と俗についてこの記事で書かせて頂いたのは仏教との対比という面で興味深いものがあったからです。しかし、現世利益や欲望(願いの)肯定を全く含まない宗教は存在しません。たとえ宗教教団設立の段階で厳格な教義や実践があったとしても、教団が拡大し地域に根付くようになると現地の人々との結びつきによってその内実が変わらざるを得ない時がやがて来ます。仏教もまさしくそうした変化をしながら世界各地に広がっていきました。

私はここインドに来てそのガンジス信仰に衝撃を受けました。それはこの記事の通りです。しかし同時に、日本人と変わらぬものもここにあるのだという思いを感じたのも事実なのです。国や文化は違えど宗教心の発露は人間において共通するものが存在するということを感じた体験でもありました。

こうした思いを抱きながら執筆したのがこの旅行記です。この記事だけを見るとインド人の信仰を否定しているように感じられた方もおられたかもしれませんが、私はそのようなことを意図していません。インド人の信仰に度肝を抜かれたのは事実ですが、それはあくまで文化の違いの衝撃を受けたということに他なりません。そうした圧倒的他者の存在を通して自己の信仰心とは何かを問うていく。それが私にとってのインドの旅でした。

この後の記事でもまさにそうした私の思いが感じられるものとなっていますのでこの記事だけではなく、ぜひ続きの旅行記も読んで頂けましたら幸いでございます。

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【インド・スリランカ仏跡紀行】の目次・おすすめ記事一覧ページはこちら↓

※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。

「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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