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横超慧日、諏訪義純『人物 中国の仏教 羅什』概要と感想~翻訳僧鳩摩羅什の波乱万丈の人生を知るのにおすすめ!
今回ご紹介するのは1982年に大蔵出版より発行された横超慧日、諏訪義純『人物 中国の仏教 羅什』です。私が読んだのは2006年新版3刷です。
この本は法華経や維摩経、阿弥陀経の漢訳で有名な翻訳僧鳩摩羅什のおすすめ伝記です。
本書と鳩摩羅什について諏訪義純氏による「はじめに」では次のように述べられています。
中国仏教における鳩摩羅什(Kumārajīva 三五〇-四〇九?)は、まずもって漢訳仏典の偉大な翻訳者であったことであろう。後漢の安世高・支婁迦讖以来、雑多に翻訳されていた仏教語を定着させ、玄奘(六〇二ー六六四)以前の意訳を主とした旧訳の代表的人物である。
中国仏教の四大翻訳家(羅什・真諦・玄奘・不空)の第一にあげられている。その翻訳は経・律・論の三蔵にわたり、『出三蔵記集』巻二によれば三十五部二九四巻を数える。その量において、それ以前の西晋の竺法護(二三二ー三一〇?)の一五四部三〇九巻よりも少なく、唐初の玄奘の七十六部一三四七巻とはかなりのへだたりがある。しかし羅什が翻訳した仏典は、のちにみるごとく大乗仏教思想の根幹をなす龍樹の中観系仏教の経論で多くしめられており、しかもこれらが羅什のすぐれた指導とあいまって、中国仏教思想の本流ないしは底流をなすこととなった。それは後漢以来、雑然と流入して多岐にわたっていた中国の仏教思想界に、一定の方向づけ、根拠づけをなしたものといってよい。羅什の中国仏教思想史における意義は、はかり知れないほど大きいものがあるわけである。そのようなことが可能であったのは、時代と環境もさることながら、何よりも羅什自身が単なる翻訳家にとどまらず、すぐれた中観仏教の思想家であったことによるであろう。そのことは羅什と廬山の慧遠(三三四ー四一六)との問答を伝える『大乗大義章』(『卍続蔵経』巻九十六)によって詳しく窺われる。(中略)
それにしても辺境の中央アジアの一都市国家、亀茲(今日の庫車)の一王族にすぎなかった羅什が、翻訳家・大思想家として名をなすまでには、容易ならぬ困難な生涯を経ねばならなかった。もし歴史の歯車の一つがくるって、たとえば十六年も涼州にとどめられていた羅什が長安に迎えられることがなかったならば、羅什の今日見る業績はなかったであろうし、したがってまた以後の中国仏教の歩みも非常に異なったものとなったであろう。ここではその羅什の歩んだ生涯と業績を、その時代と環境に注目しながらみてゆきたい。
横超慧日、諏訪義純『人物 中国の仏教 羅什』2006年新版3刷P59-60
この解説の後半で語られるように鳩摩羅什は容易ならぬ困難な生涯を経ねばなりませんでした。鳩摩羅什の苦難の人生は有名ですが、そのひとつひとつの苦難をこの本では詳しく見ていくことになります。
後世を生きる私たちは鳩摩羅什や数々の翻訳僧が遺した経典を当たり前のように享受していますが、その翻訳がなされるまでにどれだけの御苦労があったかをこの本では感じることになります。
以前当ブログで紹介した船山徹著『仏典はどう漢訳されたのか スートラが経典になるとき』とセットでぜひおすすめしたい一冊です。
以上、「横超慧日、諏訪義純『人物 中国の仏教 羅什』~翻訳僧鳩摩羅什の波乱万丈の人生を知るのにおすすめ!」でした。
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