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プラハ城旧王宮、聖イジ―教会、黄金小路を一挙にご紹介 僧侶上田隆弘の世界一周記-チェコ編⑥
さて、聖ヴィート大聖堂の後は見学コースに従って旧王宮、聖イジ―教会、黄金小路を順に巡っていく。
まずはじめに旧王宮。
聖ヴィート大聖堂の広場からすぐそこの場所にある。
この写真の正面。赤い屋根の建物が旧王宮だ。
その見どころはヴラディスラフホールという大きな広間。
完成した16世紀当時ではヨーロッパ最大のホールだったそうだ。
このホールのバルコニーの景色も美しく、記念撮影スポットになっている。
旧王宮にはその他色々な展示がしてあったがここでは割愛させていただこう。
さて、次に目指すは聖イジ―教会。
こちらもこの旧王宮から目と鼻の先。
赤い壁が特徴的なこの聖イジ―教会。
西暦920年に完成した城内最古の教会で、現在の姿は火事の後に1142年に再建されたものだ。
聖ヴィート教会とは明らかに建物の造りが違う。
天井は木で、ドーム状にもアーチ型にもなっていない。
そしてこの柱とアーチ。
建物の規模の割にはかなり太く、そして重心が低く感じられる。
聖ヴィート大聖堂のような軽やかさとも対照的だ。
この建物の造りの違いは、作られた年代の違いによるものなのだが、実はそこにはもっと重要な意味が隠されている。
建築様式はただ技術的なものにとどまるものではない。
そこに秘められた意図を知ると、教会巡りがもっと楽しくなる。
後の記事で建築様式の違いによって、キリスト教会が言わんとしていることが一目瞭然ということを改めて紹介したいと思う。
さて、最後は黄金小路。
黄金小路と言うくらいだからいかにきらびやかな黄金で飾られているのだろうと思っていたのだが、そういう意味の黄金小路ではないらしい。
ここは狭い小路にびっしりとカラフルな建物が並んでいる。
どう見ても黄金とは関係なさそうだ。
では、なぜここが黄金小路と呼ばれるようになったのだろうか。
その答えは、16世紀にこの一角に錬金術師達が住んでいたことからその名が付けられたそうだ。
錬金術師がなぜプラハ城内に住んでいたのか。
それは王が芸術家や占星術師と共に多くの錬金術師もプラハに招いて研究させていたからなのだ。
錬金術というと胡散臭いイメージが現代人たるぼく達には付きまとうが、かつては大まじめに研究されていた一つの学問だった。
世界中でそれは研究されていた。
その最大の目的は不老不死。
錬金術は金を生み出すことだけが目的ではない。
様々な物質を自在に操ること。そして様々な化学反応を起こすことをその目的にしていたのだ。
仮に不老不死の物質を発見できたとしたら、国を支配する王にとって、どれだけのメリットが得られるだろうか。
今ではそんなの不可能だと足蹴にされてしまうだろう。
だが当時からしたら、それは大まじめなことだったのだ。
不老不死の存在を1パーセント、いやそれ以上の可能性で発見できると本気で考えていたなら、王がその研究を続けさせる価値は十分あっただろう。
そういったわけで、ここは黄金小路と呼ばれるようになったそうだ。
ちなみに現在ここは、お土産屋さんやカフェ、レストランとして使用されている。
さて、ざっくりとプラハ城内の施設を紹介させて頂いたが、次の記事では番外編として、プラハ城衛兵の交代式と世界一インスタ映えすると言われるスタバをご紹介しよう。
続く
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