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百塔の街プラハ~美しすぎる街並みとその歴史 僧侶上田隆弘の世界一周記―チェコ編①
4月17日。
今日からいよいよ本格的にプラハでの日々が始まる。
今日はプラハの街を全体的にぐるっと散策する。
本日回る予定の場所はこちら。
- ストラホフ修道院
- プラハ城
- カレル橋
- 旧市街広場
- ヤン・フス像
やはり文化の街プラハは見どころが非常に多い。他にもまだまだあるが今日はこれで精一杯だ。
天気も快晴。気温も少し汗ばむくらいの陽気だ。
観光日和であることこの上ない。
期待が膨らむ。
さあ、出発だ。
プラハもクラクフと同じように中世の街並みがそのまま残っている街だ。
街中がそのまま博物館と言ってもいい。
石畳みを踏みしめながら趣のある街並みを散策するのは非常に気持ちがいい。
さて、一つ一つのスポットを紹介する前に、チェコとプラハの大まかな歴史と概略をここでお話しさせていただこう。
プラハを首都とするチェコは西はドイツ、南はオーストリア、東はスロバキア、北はポーランドに囲まれた国だ。
人口はおよそ1050万人、面積は北海道よりやや小さい約7万9千平方キロメートル。
規模としては小さな国かもしれないが、歴史上果たしてきた役割はとてつもなく大きい。
プラハが現在のような華やかな都市になったのは14世紀頃。
神聖ローマ帝国(現在のドイツ)の皇帝に、ボヘミア(現在のチェコ)出身のカレル4世が選出されたのがきっかけだ。
神聖ローマ帝国は当時ヨーロッパ中に広大な領土を持っていた大国だ。
当時の神聖ローマ帝国の皇帝は世襲制ではなく、選挙(と言ってもごく少数の貴族による)で決められていた。
そのため帝国内の領土だったボヘミア地方の王、カレル4世も皇帝となることができたのだ。
このカレル4世が歴史に名を残したのは、皇帝になったからだけではない。
神聖ローマ帝国の首都を、故郷たるボヘミアの中心地プラハに移し、ローマやコンスタンチノーブル(現在のイスタンブール)にも劣らぬ世界最高の都にしようと決意したことによるのだ。
このカレル4世の大号令で現在のプラハの街並みの基礎は作られ、プラハ城やカレル橋も建造されていくことになる。
さらにカレル4世は学問や芸術にも力を入れ、中欧初となるカレル大学を設立し、多くの文化人を招き、プラハを学問と芸術の街としても発展させることになる。
それが現在でも引き継がれ、世界中の人々をとりこにしているのだ。
また、チェコ人のプラハ城に対する思い入れは並大抵のものではない。
チェコは長い歴史上、ほとんどを大国に支配されて生きてきた。
先ほど述べた神聖ローマ帝国には属州として長きにわたって支配され、カレル4世の作り上げたプラハ全盛の時代が終わると、またも神聖ローマ帝国の支配下に落ちてしまう。
近代に入ってもドイツに支配され、ナチスに侵攻され、世界大戦が終わったかと思えば今度はソ連に支配され、抑圧される。
そんなチェコ人にとって、カレル4世によるプラハ城の建設は大国に対する勝利の象徴とも言えるものなのだ。
チェコは大国に脅かされ続けてきた国ではあるが、文化と芸術で大国に立ち向かい続けた勇敢な国だ。
だからこそプラハにはこんなにも魅力があふれている。
ただ美しいだけじゃない。
そこから香り出てくる誇り高きチェコ人の文化と歴史。
それが百塔の街にさらなる彩を加えているのだ。
世界中の人々がこの街を絶賛するのも当然だ。
プラハはあまりに美しすぎる。
さあ、街歩きを再開しよう。
続く
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