ボスニア・クロアチア編

ボスニア・クロアチア編

ボスニア・モスタルの虐殺博物館を訪ねて~紛争の衝撃的な展示に言葉を失う ボスニア編⑰

モスタルの虐殺博物館を訪れた体験をこの記事ではお話ししていきます。

ここに展示されていたあまりにショッキングな写真。それらは虐殺の悲惨さ、残酷さをストレートに伝えてくる写真でした。

虐殺され、それを隠蔽するために埋められた遺体。それらは紛争後、ミイラ化していたり腐敗した状態で見つかりました。それらをそのまま写真に収め、ここに展示しています。それも、カラー写真で。

直視し続けるのは本当に難しいものでした。

日本では普通公開されない類のものだと思います。

かつて見た原爆ドームの蝋人形も私の中では強烈な印象を残していますがそれに近いものだと思います。

ボスニア・クロアチア編

強盗に遭ったショックは思いの他ひどかった…モスタルでの日々と旅の転換点 ボスニア編⑯

サラエボで強盗に遭った私はモスタルで一人ショックに沈んでいました。その時の恐怖が頭から離れず一人で外に出ることができない日が続いていたのです。

そんな中私はこれまでの旅を振り返り、あることに気付くことになりました。

この日を境に私の旅は全く違うものになりました。ここで学んだことは今も私の中で大きな道しるべになっています。

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モスタルの象徴、世界遺産スタリモスト~ネレトヴァ川に架かる美しき橋をご紹介 ボスニア編⑮

モスタルはクロアチアからの日帰り観光スポットとしても有名で、ドブロブニクやコトル、スプリットなどのアドリア海沿岸のリゾートからやって来る人も多いです。

モスタルと言えばネレトヴァ川にかかる美しい石の橋、スタリ・モストが有名。ボスニアを代表する景観です。

もともとは16世紀のオスマントルコ時代に作られたものでしたがボスニア紛争でこの橋は破壊されてしまいました。現在かかっているのは紛争後再建されたもの。

再建された翌年の2005年、ボスニア初となる世界遺産に登録されました。

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ブラガイのイスラム修道院と圧倒的な湧水の美しさ ボスニア編⑭

ブラガイは個人的にとても興味のあった場所で、ボスニアに行くならぜひとも訪れてみたいと思っていた地でありました。

ブラガイは美しい湧水と、そこに立つイスラム修道院が有名。

キリスト教の修道院は数多くあれど、イスラム修道院を訪れることはなかなか珍しい体験です。

現地に着くと水量の多さと勢いに圧倒されてしまいました。見上げれば断崖絶壁。ものすごい絶景でした。

ボスニア・クロアチア編

オスマン帝国時代の遺産、ポチテリ~絶壁に立つ天然の要塞 ボスニア編⑬

オスマン帝国統治下に作られた城塞都市ポチテリ。ここは山の上に立つ要塞で、ここからの眺めはボスニアでも随一の美しさです。

ですがガイドのミルザさんの言うように、観光地としての潜在能力はあるけれどもそれを生かし切れていないというのがとても感じられた場所でした。

ですが日本では絶対ありえない状況の建物に入ったり、崖ぎりぎりから絶景を眺めることができたというのはある意味記憶に残る体験でありました。

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恐怖や孤独に打ち勝つ心の強さとは~ボスニア紛争経験者ミルザさんとの対話 ボスニア編⑫

スレブレニツァメモリアルホールの見学を終え、私たちは一路サラエボへの道を引き返していきました。

スレブレニツァからサラエボまでの道のりは片道およそ3時間ほど。

私はその間、ミルザさんと様々な話をしました。

ボスニアの文化のことやミルザさんのイタリア時代のこと、コーヒーのことやサッカーのことなど、ここでは話しきれないほどたくさんのお話をしました。

そしてスレブレニツァでの衝撃的な体験の後に、私の中にどうしてもミルザさんに聞いてみたいことが生まれてきました。

私はこの帰り道、思い切ってそれをミルザさんに打ち明けてみることにしたのでした。

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映画『アイダよ、何処へ?』の舞台となったスレブレニツァ・メモリアルホールを訪ねて ボスニア編⑪

スレブレニツァのお墓をお参りした後、私たちが向かったのはスレブレニツァメモリアルホール。

メモリアルホールといっても、外観は古びた工場といった趣。

ですが、古びた工場というのもあながち間違いではありません。実はここはかつて実際に工場として使われていた建物で、紛争中この工場は国連軍の管理下に置かれ近郊から避難してきたムスリムの収容所として使用されていました。

しかし国連の監視下で安全を確保されるはずでしたが、結果的には多くの人が虐殺されることになってしまいました。

その時の犠牲者のご遺体がついさっきまでお参りしていたお墓に埋葬されているのです。

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ボスニア紛争で起きた惨劇、スレブレニツァの虐殺の地を訪ねて ボスニア編⑩

2019年4月29日、私は現地ガイドのミルザさんと二人でスレブレニツァという町へと向かいました。

そこは欧州で戦後最悪のジェノサイドが起こった地として知られています。

現在、そこには広大な墓地が作られ、メモリアルセンターが立っています。

そう。そこには突然の暴力で命を失った人たちが埋葬されているのです。

私が強盗という不慮の暴力に遭った翌日にこの場所へ行くことになったのは不思議な巡り合わせとしか思えません。

私は重い気持ちのまま、スレブレニツァへの道を進み続けました。

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上田隆弘、サラエボで強盗に遭う。「まさか自分が」ということは起こりうる。突然の暴力の恐怖を知った日 ボスニア編⑨

当時のことを思い出すと、恥ずかしながら心にほんの少しの緩みがあったことを私は認めなければなりません。

ここまで無事にやって来れたという自信が、知らないうちに「自分は大丈夫だ」という過信に変わってしまっていたのでした。

そんな私が災難に遭うのは必然のことだったのかもしれません。

幸い無事に逃げることができましたが、私にとって非常に恐ろしい出来事になりました。

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ボスニア紛争経験者ミルザさんの物語(後編)~サラエボ包囲からの脱出とその後の日々 ボスニア編⑧

ミルザさんとはサラエボに滞在していた5日間、たくさんお話しさせて頂いた。

ここで語ることができたのはそのほんの一部に過ぎません。

ですが、それでもできるだけその時の雰囲気を伝えられるよう書いてみたつもりです。

ミルザさんの体験が少しでも皆さんに伝わることができたならこんなに嬉しいことはありません。

私自身も紛争や戦争について本当に考えさせられました。いや、日本に帰ってきた今も考え続けています。

誰かの体験を直接聞くということがどれほど貴重な体験であるかということを心の底から感じたサラエボでの日々でした。