アウシュヴィッツを訪ね、私は何を学び、何を感じたのか 世界一周記ポーランド編一覧
アウシュヴィッツを訪ね、私は何を学び、何を感じたのか 僧侶上田隆弘の世界一周記―ポーランド編一覧
世界三大一神教の聖地を訪れ、パレスチナ紛争の現実も学んだイスラエルの次に向かうは東欧ポーランド。
私がこの国に向かったのはホロコーストの現場になったアウシュヴィッツを訪ねるためです。
イスラエルではユダヤ人の方とたくさん出会うことになりました。
そして嘆きの壁で祈る彼らの姿を私は目に焼き付けました。
2000年近くにわたって迫害され続けてきたユダヤ人の歴史。
そんな彼らを襲った最大の悲劇が第二次世界大戦中のホロコーストでした。
世界の悲惨な歴史を学ぶ上でアウシュヴィッツは避けては通れない出来事です。
アウシュヴィッツは、私の中で「宗教とは何か、人間とは何か」という問いを考える上で絶対に行ってみたいと思っていた場所でした。
私はユダヤ人が建国したイスラエルという国を見た直後にこの国を訪れることになりました。これはアウシュヴィッツを考える上で非常に重要な意味があったと私は感じています。
ポーランド編ではそんな私が目で見て、全身で感じたアウシュビッツを僧侶ならではの視点でお話ししていきます。
ポーランド入国とクラクフ散策~旧市街とユダヤ人地区の街並み ポーランド編①
私がまず訪れたのはクラクフという街です。アウシュヴィッツへ行くにはこの街が拠点となります。
クラクフはポーランド南部の都市で、聖マリア教会を中心とする旧市街はコンパクトにまとまって非常に観光しやすい街として知られています。
クラクフは11世紀中ごろから16世紀末までポーランド王国の首都として栄え、プラハやウィーンと並ぶ文化の中心だった街です。
そして、ポーランドの首都ワルシャワが東京に例えられるのに対して、このクラクフは京都に例えられます。
第二次世界大戦ではワルシャワがナチスによって壊滅させられたのに対し、クラクフは奇跡的に破壊を免れました。
そのため中世からの古い町並みが現在も残っていて、非常に美しい景観が広がっています。
この記事ではそんなクラクフの様子と、ユダヤ人街を紹介しています。
ポーランド入国とクラクフ散策~旧市街とユダヤ人地区の街並み ポーランド編①
クラクフ旧市街のシンボル、聖マリア教会~聖母マリア信仰と一神教 ポーランド編②
旧市街の中央広場にはこの街のシンボルたる聖マリア教会があります。
この教会は1222年に建てられ、聖母マリアの祭壇が中央に飾られていることで有名です。
外から見ても圧倒的な大きさの教会でしたが、中に入ってみるとその壮大な迫力に鳥肌が立つほどでした。
中の装飾も非常に精巧、かつ巨大でひとつひとつのものが与えるインパクトも強烈でした。
クラクフのシンボル、聖マリア教会は素晴らしい体験となりました。
クラクフ旧市街のシンボル、聖マリア教会~聖母マリア信仰と一神教 ポーランド編②
クラクフ旧市街のシンボル、聖マリア教会②~高層建築と鳴り響くラッパの音 ポーランド編③
聖マリア教会の塔からは旧市街の広場を一望することができます。
かつてはここから敵の襲来を監視し、敵襲に備えていたということだそうです。
それに伴って、クラクフ名物のラッパの物語があります。
かつてモンゴル軍がこのクラクフまで押し寄せてきた時に、敵襲を告げるラッパの音をここから吹き鳴らしました。
しかし、モンゴル兵がこの哀れなラッパ吹きを弓矢で射抜いてしまい、彼はそのまま息を引き取ることになります。
その出来事を偲んで、今でも1時間ごとにこの塔からラッパの音を吹き鳴らすというのが伝統になっているとのことです。
クラクフ旧市街のシンボル、聖マリア教会②~高層建築と鳴り響くラッパの音 ポーランド編③
死の収容所アウシュヴィッツを訪れる①~ホロコーストから学ぶこと ポーランド編④
いよいよポーランド最大の目的地、アウシュヴィッツに向かいます。
クラクフのバスターミナルからバスでおよそ1時間半。
現地の公認ガイドの中谷剛さんのツアーに参加し、アウシュヴィッツ内を見学します。
アウシュヴィッツは現在博物館となっていて、当時の様子を伝えるたくさんの資料を見ることができます。
この記事では私が目にして衝撃を受けた「あるリスト」についてお話ししていきます。私はその資料を目にして、文字の力、言葉の力に戦慄を覚えたのでありました・・・
死の収容所アウシュヴィッツを訪れる①~ホロコーストから学ぶこと ポーランド編④
死の収容所アウシュヴィッツを訪れる②~ナチスとユダヤ人の処遇 ポーランド編⑤
前回の記事に引き続き、アウシュヴィッツの展示で印象に残ったものを今回の記事でもお話ししていきます。
さて、ナチスがユダヤ人をどのように扱ったのかというのは博物館の展示でも大きなテーマとして取り上げられています。
アウシュヴィッツなどの収容所には、ユダヤ人だけでなく、ナチスの政策に不都合な人間も収容されていました。
そして服につけられた印によって、同じユダヤ人、同じ被害者同士の中にも区別を作り出しました。
ナチスがなぜそのような区別を作ったかというと、収容者同士が団結して反抗しないようにという明確な狙いがあったからなのです。
これは人間の心理に基づいた実に効果的な作戦だったと言われています。
私達人間は無意識に自分と相手を区別します。
さらに、自分の属する集団を好ましい、あるいは身びいきしたくなるような感情を無意識下で持ち合わせています。
それをナチスはこの極限状況下で利用したのです。
この記事ではナチスがいかにして人間心理を巧みに利用し、収容者をより合理的に管理したかをお話ししていきます。また、それが現代を生きる私たちにとってもまったく他人事ではないということをお話ししています。
死の収容所アウシュヴィッツを訪れる②~ナチスとユダヤ人の処遇 ポーランド編⑤
アウシュヴィッツ・ビルケナウとは―ガス室の恐怖 ポーランド編⑥
アウシュヴィッツ収容所での見学を終え、次に向かうのはビルケナウ収容所。
アウシュヴィッツからはバスで5分ほどの距離です。
ここまでアウシュヴィッツ収容所のことをお話しさせて頂きましたが、普通アウシュヴィッツと聞いてイメージするのはおそらく上の写真なのではないでしょうか。
ですが、これは正確にはアウシュヴィッツではなく、ビルケナウ収容所に当たる場所なのです。
こここそガス室で大量虐殺が行われた場所であり、ユダヤ人の絶滅を目的に作られた収容所だったのです。
私はここを訪れ、「ある恐怖」を感じることとなります。
そしてこの記事ではアウシュヴィッツ収容所に残されているガス室に入った時の体験もお話ししています。
アウシュヴィッツで感じた恐怖。それは「普通であること」の恐怖でした。
どこにでもあるような普通の場所。
そんな場所で世界最悪の大虐殺は行われていたのです。私はそんな「死を感じさせない空気」に心底恐怖を感じたのでありました。
ぜひ読んで頂きたい記事です。
アウシュヴィッツ・ビルケナウとは―ガス室の恐怖 ポーランド編⑥
アウシュヴィッツと『歎異抄』―親鸞の言葉に聴く ポーランド編⑦
アウシュヴィッツからクラクフのホテルに帰り、私は何を考えるわけでもなく、ぼんやりと部屋でもの思いにふけっていました。
考えがまとまらない。
アウシュヴィッツはあまりに強烈な体験だった・・・
しばらくは何もする気が起きませんでした。
いや、何もできなかったと言う方が正しいのかもしれません。
ですが、そんな空っぽになってしまったかのような頭の中に、ふとよぎるものがありました。
「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまいもするべし」
そう。
以前エルサレムの悲惨な記録を目に焼き付ける・・・ホロコースト記念館(ヤド・ヴァシェム)を訪ねて イスラエル編⑭の記事でもご紹介した『歎異抄』の言葉でした。
この言葉は親鸞聖人が生きていた時代、アウシュヴィッツの悲劇からおよそ700年も前に親鸞聖人が述べていたことでした。
未来のことを予言するかのような親鸞聖人の言葉。
世の中を、そして人間の本質を凝視する親鸞聖人のまなざしの深さには改めて驚かざるをえません。
で、あるのならば、やはりもう一度『歎異抄』をしっかり読んでみよう。
ということでこの記事ではアウシュビッツと『歎異抄』についてお話ししています。
アウシュヴィッツと『歎異抄』―親鸞の言葉に聴く ポーランド編⑦
クラクフからチェコのプラハへ~レオ・エクスプレスにてバスと電車移動 ポーランド編⑧
5日間滞在したクラクフとも今日でお別れ。
クラクフは非常に居心地のいい街でした。
そして次の目的地はチェコのプラハ。
クラクフからプラハまではレオ・エクスプレスという鉄道会社を使って移動します。
ただ、クラクフ・プラハ間はまだ鉄道路線がほとんどないので、バスと鉄道を組み合わせての移動となります。
この記事ではそんなバスと鉄道旅行の旅をお届けします。
クラクフからチェコのプラハへ~レオ・エクスプレスにてバスと電車移動 ポーランド編⑧
おわりに
ポーランドではアウシュヴィッツの印象があまりにも大きかったです。
記事を書くのも本当に辛く、何を書くべきなのか考えることすら苦しかったのを覚えています。
読んで下さった皆さんもつらかったのではないでしょうか。
それほどアウシュヴィッツは私の心に重くのしかかってきていたのです。
もしクラクフの美しい町並みや穏やかな空気がなかったら、おそらく私はもっと沈んでいたことでしょう。
ユダヤ人の国イスラエルからポーランドのアウシュヴィッツという一連の流れは私の中に強烈なインパクトを残しました。
解決困難で、あまりに巨大で複雑すぎる人間の歴史の問題。
単純化すればものごとを考えるのは簡単です。
ですがそんな単純化を許さないのが現実の世界。
ものごとの単純化はわかりやすく手っ取り早くて私たちにはありがたいかもしれません。ですがその背後にあるものを見落としてしまうという危険をはらみます。
そのことを強く感じたイスラエル・ポーランドの2カ国の旅でした。
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