クリストファー・ボーム『モラルの起源』概要と感想~道徳、良心とは何なのか。進化の過程で見る人間の利他行動とは

クリストファー・ボーム『モラルの起源』概要と感想~道徳、良心とは何なのか。進化の過程で見る人間の利他行動とは
今回ご紹介するのは2014年に白揚社より発行されたクリストファー・ボーム著、斉藤隆央訳『モラルの起源』です。
早速この本について見ていきましょう。
なぜ人間にだけ道徳(モラル)が生まれたのか?
気鋭の進化人類学者が進化論、動物行動学、考古学、霊長類のフィールドワーク、狩猟採集民の民族誌など、さまざまな知見を駆使して人類最大の謎に迫り、エレガントで斬新な新理論を提唱する。
白揚社商品紹介ページより
本書は人間の道徳や良心の起源について刺激的な説を聞ける名著です。
本書巻末に長谷川眞理子氏によるこの本についての解説が掲載されていますのでまずはそちらをご紹介します。この本の特徴が非常にわかりやすく説かれていますので少し長くなりますがじっくり読んでいきます。
本書の著者であるクリストファー・ボームは、もともと文化人類学者で、旧ユーゴスラビアの民族における社会的葛藤解決の研究を行っていたが、ひょんなことから、野生のチンパンジーの行動の研究に転じた。タンザニアのゴンべ国立公園は、ジェーン・グドールが野生チンパンジーの長期研究を続けている場所として有名だが、ボームはそこで、チンパンジーという私たちヒトにもっとも近縁な動物の行動を研究することにより、彼らとヒトとを比べるチャンスを得た。このことは、私たちヒトを理解する上で、非常に貴重な経験である。
かく言う私自身、かつてタンザニアで野生チンパンジーの研究に従事したことがある。現在はヒトの心理と行動の研究へと方向転換したが、私たちヒトについて考える上で、チンパンジーを知っているということは、またとないアイデアの宝庫となる。自分がヒトだからと言って、ヒトという生物を理解しているとは言えない。この地球上でもっとも最近まで私たちと共通祖先をともにしてきた動物がどんな存在なのかを知り、その上で、ヒトを客観的、科学的に研究して初めて見えてくるヒトの特徴は、いくつもあるのだ。
チンパンジーその他さまざまな動物との比較研究により、ますます明らかになってきたヒトの特徴の一つは、他のどんな動物にも見られないほど利他性が高いということだ。利他行動とは、自らの適応度を下げても他者の適応度を上げる行動であり、それが進化するというのはパラドクスである。なぜなら、利他行動は、定義上、その行動をとる個体の遺伝子の拡散を妨げるからだ。しかし、ヒト以外の動物にも利他行動的なものは見られるし、ヒトには確かに利他行動が充ち満ちている。そこで、どのような条件下でならば利他行動が進化するのか、これまで膨大な量の研究がなされてきた。血縁淘汰、群淘汰、互恵的利他行動の進化などのシナリオがそれである。
しかし、私たちヒトにおける利他性は、どうも、他の動物の研究例や、そこで用いられる理論的枠組にはおさまらないような気がする。それは私たちが「道徳観」を持ち、「良心」を持っていることを自分でよく知っており、それが、たとえば互恵的利他行動などの進化的理論で十分満足に説明されるという気がしないからだ。ボームはその違和感を克服するために、ヒトで固有に起こった進化について深く考察している。そこが、利他行動の進化に関する他の多くの書と本書との違いだろう。
みんなが利他行動をとれば、それぞれが他者に対してメリットをもたらすので、めぐりめぐってみんなが利益を得るはずだ。しかし、そんなユートピアは簡単に訪れない。利他行動の進化を不安定なものにする最大の要素は、「自分は他者からの恩恵を受けるが、自分では他者に何も与えない」裏切り者の存在である。そして、そんな裏切り者は利他者よりも利益を得るので、必ず出現し、利他者をさしおいて増えていくことができる。
それをどのようにして防止できるかについても、実に多くの研究があるが、ボームの論点でユニークなのは、その「裏切り者」の種類である。トリヴァースを初めとしてこれまでの研究者はたいてい、「裏切り者」とは、利他者のふりをしてこっそり利益をかすめとる騙し屋だと想定してきた。しかし、ボームは、そうではなく、力の誇示によって他者を制圧してみんなが得るべき利益を自分で独り占めする暴君こそが、非常に重大な脅威の裏切り者だと論じる。それは、彼自身や他の人類学者による研究が明らかにした、狩猟採集民の社会は基本的に平等主義だという知見と、チンパンジーは序列社会ではあるが、暴君はやがて下位の個体の連合によって消されるという知見から導かれたものだ。
狩猟採集社会が平等主義であることは、よく知られている。彼らは、狩猟が上手でみんなに獲物を持ってくることができる人物が威張って鼻にかけることを嫌う。そういう兆候が見えると、みんなで制裁を加える。そうして、狩猟の技術に個人差があっても,それが階級的差異を生み出したり、暴君を生み出したりしないように工夫しているのだ。こうして平等秩序を維持することも、まさに裏切り者の排除である。こういう観点から裏切り者の排除を論じた研究者はあまりなく、慧眼であると言えよう。
また、ヒトの特徴である高度な学習能力のおかげで、遺伝子型と表現型との間に乖離が生じ、それゆえに利己的な遺伝子型を完全に排除することはできない、という論考も興味深い。これまで何万年にもわたってヒトが平等社会を維持し、利己的な乱暴者を排除してきたというのに、なぜ、現在に至るまで、そのような利己的な乱暴者は存在するのか?それは、ヒトに学習能力と自制の力があるため、たとえ心の底では乱暴者として振る舞いたいと思っていたとしても、それが不利だと理解すれば、その傾向を表面的に自制することができるからだ。かくして、利己的な遺伝的傾向は存続していく。
ヒトの利他性の進化を考える上で、ヒトの内面的な認知と感情制御の能力は非常に重要である。しかし、これまでの利他行動の進化の研究では、「良心」といったような内面的な力は、ほとんど考慮されてこなかった。本書の議論は、その意味で非常に貴重な貢献である。
本書は、ヒトの良心や道徳的性質の「起源」を歴史的にたどろうとしているので、おのずと、ヒトの進化の原点である狩猟採集社会に焦点を当てている。それは当然のことであり、その分析からは多くが学べるのであるが、ヒトの進化の最後の一万年で農耕と牧畜が始まり、定住生活が始まった。そのとき、狩猟採集民の社会的葛藤解決の大きな手段の一つである、「嫌な奴とは別れてどこかに行ってしまう」、という選択肢がなくなった。また、直接的に当事者で裏切り者を排除できる範囲を超えて、集団サイズが大きくなった。そのとき、何が起こったのだろう?さらに、現在の国民国家と経済活動の中で、人々は決して平等ではないが、だからといって、私たちが格別に不幸というわけではない。この最近の一万年に起こった変化について、もう少し分析が聞きたいところである。しかし、それはまた別の機会に、ということだろう。
白揚社、クリストファー・ボーム著、斉藤隆央訳『モラルの起源』P445-449
いかがでしょうか。この解説を読むだけでワクワクしてきますよね。人間の道徳とはそもそも何なのか。利他的行動の源泉とは何なのか。裏切り者を見分けたり対処する方法はどんなものがあったのか。どれも刺激的なテーマです。
本書ではこれら刺激的な命題をチンパンジーの研究や狩猟採集社会のフィールドワークによって得られた知見によって考察していく素晴らしい名著です。
本書『モラルの起源』は私の人生を変えたと言ってもよい作品です。私は浄土真宗の僧侶として道徳や倫理、良心の問題についてずっと悩んでいたのですが本書を読み一瞬で視界が開けたかのような、新たな視点を得ることができました。
そして私はこの本と同時にフランス・ドゥ・ヴァール著『道徳性の起源』を読んだのですが、これらの本のおかげで私は2019年に80日をかけて13カ国を巡る旅に出ることになったのです。


そしてその最初の国がアフリカのタンザニアでした。
なぜ旅の始まりがタンザニアだったのか。
そのきっかけをくれたのがこの『モラルの起源』と『道徳性の起源』だったのです。私にとってクリストファー・ボームとフランス・ドゥ・ヴァールは宗教とは何かを考える上で非常に大きな示唆を与えてくれた存在なのです。
ずっと悩み続けてきた宗教上の問題に一筋の光を示してくれた本書は私の人生を決定づけてくれた大切な一冊です。
宗教者だけでなく、「人間とは何か」に興味がある方にぜひおすすめしたい名著です。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。
以上、「クリストファー・ボーム『モラルの起源』概要と感想~道徳、良心とは何なのか。進化の過程で見る人間の利他行動とは」でした。
Amazon商品紹介ページはこちら
次の記事はこちら

前の記事はこちら

関連記事



