平雅行『日本中世の社会と仏教』概要と感想~平安中期から鎌倉初期にかけての僧尼令の実態を知るのにおすすめ!僧侶国家公務員論についての疑問についても

平雅行『日本中世の社会と仏教』概要と感想~平安中期から鎌倉初期にかけての僧尼令の実態を知るのにおすすめ!僧侶国家公務員論についての疑問についても
今回ご紹介するのは1992年に塙書房より発行された平雅行著『日本中世の社会と仏教』です。
早速この本について見ていきましょう。
本書は、浄土教-専修念仏の実態を、実証的に再検討することによって、浄土教中心史観からの脱却を図り、古代中世仏教史像の組み替えを企画した気鋭の意欲作である
Amazon商品紹介ページより
私が本書を手に取ったのは前回の記事で紹介した上島享著『日本中世社会の形成と王権』がきっかけでした。この本では平安中期から鎌倉時代初期にかけての朝廷と貴族、仏教の関係を詳しく見ていくことができたのですが、その中で平安中期頃から朝廷が僧侶の統制を放棄したという事実が説かれていたのです。つまり、僧侶はもはや国家の管轄下ではなく、それぞれの寺院で僧侶として仏事に励むべしという流れとなっていたとのことでした。
そしてこうした流れを追う鍵となるのが記事タイトルにも書きました「僧尼令」というものだったのです。仏教や日本の歴史を学んでいると、「僧侶はかつて国家公務員のようなものだった」という話を聞いたことはありませんでしょうか。特に親鸞聖人は法難によって僧籍をはく奪され、公の僧侶ではなくなってしまったというのはよく聞く話ではないでしょうか。
こうした話を聞くと、かつての僧侶は皆国家公務員のようなもので、国や朝廷のために仏事をしているというような印象をもってしまいがちですが、実は10世紀中ごろにはすでにそうしたシステムが放棄されていたということが『日本中世社会の形成と王権』で書かれていたのです。そして著者がその「僧尼令」の参考文献として挙げていたのが平雅行著『日本中世の社会と仏教』だったのです。
前置きが長くなってしまいましたが、そういうわけで私はこの本を読んでみることにしたのでありました。
平雅行氏といえば『歴史から見る親鸞』という本でも有名な歴史学者です。通説を覆す歴史学者としての知見は私達真宗僧侶からしても大いに傾聴すべき視点を与えて下さります。
そして本書でもそれは健在で旧来の仏教へのイメージがいかに実態と異なっていたかが本書前半で詳しく語られていきます。前回の記事でも少しお話ししましたが、かつては堕落した貴族や寺院と武士や民衆の鎌倉新仏教の対立がよく言われていたのですが、これが非常に問題のある論であることが本書でも語られます。
そしていよいよ僧尼令についての解説も詳しく見ていくのですが、時代と実際の資料を合わせて丁寧に解説して下さるのでその流れがとてもわかりやすいです。そもそもなぜ僧尼令が作られ、なぜ放棄されてしまったのかというのがとてもわかりやすく説かれていました。そしてその放棄によってどのような影響があったのかというのも実に刺激的です。僧侶堕落論とは全く異なる世界がそこに繰り広げられていたことをここでまた改めて確認したのでありました。
その内容についてはここではお話しできませんが、「僧侶=国家公務員的存在」という考え方は平安中期にはすでに適応できない状況になっていたようです。私達が普段耳にする通説やイメージというものが実際は根拠のないものだったということを本書では目にしていくことになります。
また、本書では法然の思想と法難についても詳しく語られます。法然思想の独自性は何か、なぜ法然教団は弾圧されなければならなかったのかということが考察されていきます。読んでいれば、「そうか、なるほど」と納得することはできるのですが、ただ、平先生の説が完全に正しいかどうかは正直なところ、私にはわかりません。
と言いますのも、親鸞の歴史的事実については今井雅晴氏と多くの点で全く異なる見解を両者提出していますし、この本に直結する研究では森新之助氏と激しい論争が続いています。私も森新之助氏の『摂関院政期思想史研究』を読んだ上でこの論争を読んだのですが、部外者の私が困惑するほどのやりとりとなっています。
その論争の最初のやりとりがこちらのPDF「拙著『摂関院政期思想史研究』決議十二箇条ー平雅行「破綻論」に答うー」で読めますので興味のある方は読んでみてください。
繰り返しになりますが、私は正直、困惑しています。私は親鸞聖人や法然上人の生きた時代についてもっと知りたいと思いこうした歴史書を読んでいるのですが、読めば読むほどわからなくなっています。ある出来事に対する正反対の見解が次々と出てくるのです。本書においても法然が弾圧された理由が平氏と森氏では全く異なります。さらにいえば、この弾圧事件そのものの解釈が根本的に異なるのです。
私はこの本を読む数か月前にすでに親鸞聖人に関する平氏と今井氏の歴史書もできうる限り全て目を通しています。ただ、その時も私は絶望しています。どちらの説を取るかで決定的にその人物像まで変わってしまうのです。親鸞の妻は恵信尼だけでなく、もうひとりいたのか、いたとしてそれは誰なのか、彼女達との関係性はどうだったのか。さらには善鸞義絶事件に対しても全く異なる見解がふたりによって提出され、互いに自説の正当性を主張するまま今も論争が続いています。
つまり、もはや何を信じてよいのかわからないのです。
ただ、これは何も親鸞聖人や法然上人に限った問題ではなく、当時の偉人たちの歴史はわからないことが多すぎるのです。資料が残っていない以上、空白の部分は推測するしかないのです。その空白部分をどう埋めるかで学説が割れています。私はそれを目の当たりにしているのでしょう。
歴史の専門家でもない私にはそうした世界のことはわかりません。
ただ、私ができることと言えば、できる限りそれらの説を学び、信仰の面で私がその歴史をどう受け止めるかということだと思います。歴史学という学問においてはそのような態度はご法度でしょうが、信仰の歴史は「事実そのもの」で繋がれてきたわけではありません。その宗派その宗派で大事にされてきた教えを大切に受け取ることも大事なのではないかと私は思います。(もちろん、現在の考え方にそぐわなすぎるものは見直していかねばなりませんが)
わからないことはわからないままでもいいのではないでしょうか。そこを無理に詮索してもどうしようもないことがあります。これはある意味勇気がいることですが、信仰は理屈だけで生まれるものではありません。人間は時に論理を飛び越えます。
というわけで、私はこれから先親鸞聖人の生涯についてもこのブログで記事を書いていくつもりですが、あまり歴史学に入り込みすぎないようにしようと考えています。もちろんそれを軽視するわけではなく、一般的な親鸞伝よりかはかなり時代背景などについて分量を割く予定です。ただ、どの学説を取るかというのは今も私の中で大きな悩みとなっています。
この悩みを共有してくださる方もきっと多いのではないかと思っています。上で紹介したPDFを読めば私の言うこともさらに伝わるのではないかと思います。
とはいえ、本書は僧尼令の実態を知れる貴重な参考書であることは間違いありません。こうした歴史的事実を発掘して下さる歴史学者の皆さまのおかげで私もこうして学ぶことができています。そのことには感謝しかありません。
以上、「平雅行『日本中世の社会と仏教』概要と感想~平安中期から鎌倉初期にかけての僧尼令の実態を知るのにおすすめ!僧侶国家公務員論についての疑問についても」でした。
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