⑹若き親鸞聖人の比叡山延暦寺での修行時代

【親鸞伝~悩み多き英雄の偉大なる生涯】⑹ 若き親鸞の比叡山延暦寺での修行時代
1181年、親鸞聖人(以下敬称略)は9歳で出家し比叡山延暦寺で修行時代を迎えることになります。

比叡山延暦寺といえば、あの最澄が開いた天台宗の総本山です。

しかもこのお寺は日本仏教の最高学府のひとつであっただけでなく、医療、薬学、土木建築などあらゆる学問研究が行われていた総合大学のような存在でもありました。そのため全国から優秀な僧侶が集まってきていました。こうした優れた研究環境があったからこそ法然、親鸞、栄西、道元、日蓮など鎌倉仏教の祖師達がここから羽ばたいていくことになったのです。
そしてこの比叡山は東塔、西塔、横川の3つのエリアで構成されています。根本中堂がある東塔がまず一番最初にでき、その後に西塔エリアが開拓されていきました。そして最後に少し離れた位置に横川が生まれました。この横川に関しては他の二塔と少し毛色が異なり、浄土教信仰が盛んなエリアとなっています。『往生要集』で有名な源信が暮らしていたのもこの横川です。親鸞もおそらくこの横川で修行時代を過ごしていたのではないかとされています。


ただ、親鸞が比叡山でどのような修行や学問をしていたのかというのは実はほとんどわかっていません。親鸞の妻恵信尼の書簡に「堂僧つとめておわしけるに」という言葉があったことから、親鸞が常行三昧堂の修行を行じていたことがかろうじてわかるのみです。

ここで言う常行三昧とは90日間ひたすら阿弥陀仏の名を称えて堂内をめぐるという過酷な修行のことです。親鸞が比叡山の伝統に則り厳しい修行に勤しんでいたというのは間違いなさそうです。
また、後の親鸞の主著たる『教行信証』を見てもその知識量には凄まじいものがあります。こうした点からも親鸞はここ比叡山で熱心に学問に励んでいたことが推察されます。やはり若い時期に学んだ基礎が後の仏教人生に大きな影響をもたらしたのでしょう。そういう意味で、記録には残っていませんがこの比叡山での修行時代と言うのは親鸞の基礎を形作る大切な時期だったと言えるのではないでしょうか。
そして親鸞は1201年にこの山を下りるまで20年間修行を続けます。
「山を下りる?」
そうです。親鸞は29歳の年に比叡山を離れ新たな道へ踏み出したのです。
ただし、なぜ親鸞が山を下りたのかも正確にはわかっていません。親鸞はこの重大な決断の理由を一言も書き残していないのです。
親鸞の生涯にはこうした空白が多々存在します。親鸞がなぜその行動をしたのか、そもそも何をしていたのかも実はわからないことだらけなのです。
ですが、親鸞が山を下りたというのは事実です。つまりこの比叡山での仏道を諦めたということになります。
ただ、これは逆に当時の比叡山のあり方を知ることができれば、親鸞が山を下りた理由の一部が見えてくると言うことができるかもしれません。
従来の日本史や真宗史学では当時の比叡山は僧兵が跋扈し、貴族の子弟が僧侶になって堕落していたと言われてきましたが、果たして本当にそうだったのでしょうか。
実は近年の歴史学の研究ではそのような単純な構図では語れないことが明らかになってきています。
というわけで次の記事から親鸞がいた当時の比叡山の様子について見ていくことにしましょう
続く
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