新井俊一『親鸞『西方指南抄』現代語訳』概要と感想~親鸞から見た法然上人伝!親鸞が法然をどう捉えていたかを知れる貴重な一冊!

新井俊一『親鸞『西方指南抄』現代語訳』概要と感想~親鸞から見た法然上人伝!親鸞が法然をどう捉えていたかを知れる貴重な一冊!
今回ご紹介するのは2016年に春秋社より発行された新井俊一著『親鸞『西方指南抄』現代語訳』です。
早速この本について見ていきましょう。
親鸞最晩年の大著全三巻、本邦初の現代語訳。師法然の法語や問答をまとめた本書の価値は未定であるが、親鸞が主著『教行信証』の根拠として書いたとも言える重要な書であることは疑いない。斯界待望の現代語訳の提示。
Amazon商品紹介ページより
はじめに言わせてください。
本書には度肝を抜かれました!
『西方指南抄』は親鸞聖人が晩年に書いたとされる師法然上人の伝記、言行録というべき作品なのですが私も今回初めて読み衝撃を受けました。
「浄土真宗僧侶なのになぜそんな貴重な親鸞の著作を読んでいなかったのか」と思われた方もおられるかもしれませんが、これには事情があります。このことについて著者は冒頭で次のように述べています。
『西方指南抄』は東西両本願寺が出版した『聖典』には含まれていない。学会でも語られることが少なく、法話や講演で断片的に引用されるに過ぎない。以前からこのような状態が続いているのには次のような理由が考えられる。
⑴浄土真宗の人にとっては、『西方指南抄』が法然聖人の言行録としての性格が強いために、親鸞思想の研究にはあまり役立たないと思われてきた。反対に浄土宗の人にとっては、これは浄土真宗の書として、参考程度にしか扱われてこなかった。
⑵その内容の配列には、『教行証文類』に見られるような明確な論理性が見られない。不用意にこの書を見ると、さまざまな資料が雑然と配列されているような印象を受ける。
⑶『西方指南抄』に記録された法然聖人の言葉には、第十九願による諸行往生や臨終来迎を容認しているところがあり、法然自身が強調し、親鸞が継承した第十八願による念仏往生との矛盾を感じる。
等々の理由で、『西方指南抄』は、親鷲聖人が八十五歳という高齢で心血を注いで完成させたものであるにもかかわらず、浄土真宗の者にとっても扱いにくい文書となってきた。
春秋社、新井俊一『親鸞『西方指南抄』現代語訳』P1-2
いかがでしょうか。この解説を読んで驚かれた方も多いのではないでしょうか。
そうです。『西方指南抄』は『聖典』に収録されていないのです。だからこそ私はこの書をこれまで読んだことがなかったのです。私は大谷大学大学院で真宗の教学を学んでいたのですが、メインに読むのはやはり主著『教行信証』になります。そしてもちろんですが、『聖典』全体を何度も繰り返し読んだのでありますが、ここに収録されていない以上やはり手薄になってしまったというのが正直なところです。
そして理由⑵⑶の指摘も非常に重要です。実際に私もこの『西方指南抄』を読んでみて従来真宗で言われて来た「合理的思考の持ち主としての親鸞」ではなく、「神秘的な思考を持ち合わせた親鸞」を感じることとなりました。
ただ、これは『西方指南抄』が間違っているというわけではなく、こちらこそ親鸞聖人の姿に近いのではないかと私は考えています。と言いますのも近年の研究成果に小山聡子著『親鸞の信仰と呪術 病気治療と臨終行儀』という本があります。この本では親鸞聖人も呪術や神秘的な事象が当たり前の中世人のひとりであったことが明かされます。
明治以降、親鸞聖人はあたかも現代人であるかのような合理的人間として描かれてきましたが、聖人も中世を生きた人間です。中世のあり方とは全く無縁の存在ではありません。
そう考えると本書『西方指南抄』における親鸞聖人の記述は全く矛盾を感じるものではないと私は考えています。
そして続けて著者はこの書の意味について次のように語っています。少し長くなりますが重要な箇所ですのでじっくり読んでいきます。
次に『西方指南抄』の宗教書としての意味を考えてみたい。
第一に、法然聖人の言行録としての意味である。『西方指南抄』所収の法然聖人の書簡や法話は、浄土宗伝来の厭欣沙門了惠集録『黒谷上人語燈録』(文永十三年・一二七五年完成)の中の『漢語燈録』および『和語燈録』の内容と比較してもおおむね一致する。おそらく親鸞聖人も了恵師も同じ原資料を使ったのであろう。従って『西方指南抄』からは、法然聖人の生の声が聞こえるとともに、法然聖人の人となりに触れることができる。この書を読んでまず感じることは、浄土信仰の異なった段階にいる人々を包み込む法然聖人の人格の大きさと慈悲の深さである。次に心を打たれるのは、念仏往生の一点に関しては全く妥協しない法然聖人の強さと厳しさである。おそらく親鸞聖人も、そういう法然聖人に対する感動をこの書によって伝えようとしているのであろう。
第二に、『西方指南抄』が親鸞聖人自身の編集方針に基づいて編纂された書である、という意味である。これは浄土宗系の諸資料との比較の上で明らかになることであるが、『西方指南抄』では、法然聖人の言葉の中でも、念仏往生・本願他力の教えとあまり関係のない部分は省略して、その省略箇所を「乃至」で示している。これから見ても、親鸞聖人は、ただ師の言葉を後世に残そうと思って無批判にこの書を書いたのではなくて、親鸞聖人が法然聖人の教えの神髄と認めることを、法然聖人自身の言葉で伝えようとしているのだと思われる。
第三に、『西方指南抄』全体が親鸞聖人の著作だという意味である。八十代の半ばにあって、子供が慈父を仰ぐように、仏弟子が釈尊を慕うように、ひたすら法然聖人の言葉を記録しようとした親鸞聖人の無私の姿勢は、真実信心のありようを如実に私たちに示してくれる。『西方指南抄』には、『教行証文類』で説かれる往相回向・還相回向、念仏・信心による往生、三願転入、辺地往生・真実報土往生などの原型が法然聖人の言葉の中に現れてくる。その点では親鸞聖人は、『教行証文類』の根拠としての意味を『西方指南抄』に与えたのかも知れない。
第四に、『西方指南抄』には、親鸞聖人自身が語らなかったことを、法然聖人の言葉によって補う役割も持たせているようである。法然聖人は、雲上人、高位の武士、さらに地方武士から一般町民に至るまで、非常に広範囲な人々と関わっていた。法然聖人は高位の人に対しては、通仏教的・平安仏教的な表現を用いる場合もあるが、町民や地方武士に対しては、包み隠さず本音で語っている。従って、法然聖人の言葉には相互に矛盾しているように見えるところもある。それは矛盾しているのではなくて、相手の社会的地位や、資質・経験に合わせてものを言っているからである。しかし大切なことは、法然聖人の言葉の中に、たとえ相互に矛盾しているように見えたり、親鸞聖人の思想と矛盾するようなことが含まれていても、それが『西方指南抄』に記載されたということは、親鸞がそれを深い洞察力で理解して受け容れたということである。
本書の目的は、親鸞聖人の教えをこれから学ぼうとしている方々はもちろん、すでに真宗学を深く研究している方々にも、『西方指南抄』全体を通読して、法然・親鸞両聖人の真意に触れていただくことにある。先ほども言ったように、一部だけを読むと誤った理解を持つことになるかも知れないからである。
しかしいま言ったことと矛盾するようであるが、『西方指南抄』は必ずしも最初から読む必要はない。読みやすさ、分かりやすさの観点から言えば、法然聖人とその門弟との交換文書を記録した下巻から読み始められた方が入りやすいかも知れない。
本書は五年以上にわたる喜びと苦しみに満ちた作業の結果であり、これが今の私の能力の限界である。この現代語訳が完璧だとは自分でも思っていないが、読者が本書に何らかの資料的価値を見出してくだされば、これ以上の喜びはない。読者各位からの忌憚のない御批判を期待する。
春秋社、新井俊一『親鸞『西方指南抄』現代語訳』P2-4
これ以上私から付け加えることは何もないのですが、まずはこの『西方指南抄』を読んでみてください。特に真宗関係者の方は絶対に読んだ方がよいです。確実に驚きます。
正直に申しますと、私は従来の親鸞像よりもこの『西方指南抄』を通して見る親鸞像の方が親しみを感じます。もちろん本書は親鸞聖人から見た法然上人を説くものではありますが、やはりその語りには人柄がにじみ出てくるものです。法然上人をひたすら慕うその言葉の中に親鸞聖人の思いが感じられるようで、私はこの本に非常に感銘を受けました。
これから先も私はこの本を何度も何度も読み返すことでしょう。それほど衝撃を受けた作品でした。親鸞聖人のお人柄を感じるという意味でも私達真宗僧侶に大きな意味がある著作なのではないかと思います。
ぜひぜひおすすめしたい作品です。
以上、「新井俊一『親鸞『西方指南抄』現代語訳』概要と感想~親鸞から見た法然上人伝!親鸞が法然をどう捉えていたかを知れる貴重な一冊!」でした。
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