多川俊映『貞慶『愚迷発心集』を読む』概要と感想~衝撃の名著!貞慶と親鸞が同じことを言っていた!?

多川俊映『貞慶『愚迷発心集』を読む』概要と感想~衝撃の名著!貞慶と親鸞が同じことを言っていた!?
今回ご紹介するのは2004年に春秋社より発行された多川俊映著『貞慶『愚迷発心集』を読む』です。
早速この本について見ていきましょう。
〈愚かである自分〉の自覚から発心の祈りへ。
Amazon商品紹介ページより
鎌倉時代の名僧・貞慶の徹底した自己凝視は私達が目を向けない自己の内面まで透徹する。
現代語訳と詳細な解説で貞慶を読み解く。

解脱房貞慶(1155-1213)は興福寺を代表する法相宗の僧侶で笠置寺での隠遁生活も有名です。
前々回の記事「田中久夫『明恵』概要と感想~華厳宗中興の祖のおすすめ伝記!高山寺で有名な名僧の熱烈な求道の人生とは」で紹介した明恵もそうですが、貞慶も浄土宗、浄土真宗教団からは悪人視されがちな人物です。特にこの貞慶は法然教団の弾圧に直接繋がった『興福寺奏状』の起草者として知られ、専修念仏への強い批判の中心人物であったからです。
ただ、それもやはり法然門下側からの見方であって、やはりこの貞慶という人物も現代の私達が驚くほど仏道に真摯に生きた人でありました。
そして前回の記事で紹介した『解脱房貞慶の世界 『観世音菩薩感応抄』を読み解く』では書名通り『観世音菩薩感応抄』を中心に貞慶の思想を追っていきましたが、本書では彼の代表作として知られる『愚迷発心集』を中心に彼の内面を追っていくことになります。
この本もものすごいです。私も驚かされました。貞慶は自己をどこまでも凝視し、自身の心の闇を懺悔し続けます。
「悲しいかな。痛ましいかな」
この言葉は浄土真宗僧侶ならば必ず「はっ」とするものがあると思います。そうです親鸞聖人の悲嘆述懐です。親鸞聖人も自己の罪悪深重なることを嘆き、阿弥陀仏の救いを念じていました。まさにそうした悲痛なる懺悔を貞慶も繰り返していたのです。
少し長くなりますが貞慶の自己凝視についての著者の解説を見ていきましょう。
『愚迷発心集』のテーマは「発心」であり、堅固な求道心の発ることが神仏に至心に祈られたのですが、実はもう一つ忘れてはならないことがあります。それは、全篇が真撃できびしい自己凝視でつらぬかれているということです。『愚迷発心集』は、その意味で、むしろ自己凝視の書といってもいいほどです。もとより、そのきびしい凝視によって明らかにされるのは、愚迷な自己の実態です。
貞慶ほどの人ですから、仏道への志しも仏道に一途でありたいという気持ちも充分にあるのですが、わが身をよくよく顧れば、何かぐずぐずしている。日ごろ釈迦遺法の弟子と自負しているのなら、その教えに深く学んで、ただひたすらに仏道を究めればいいー。話はそれだけで、ある意味で、まことに簡単なのです。ところがー。自己の有体を凝視すればするほどに、いいようのない緩慢な習慣性に取りこまれた姿が、次々に明らかにされてくる。それは、釈尊思慕の思いとは裏腹に、ともすれば仏道を退屈する愚迷な自分の姿です。
ひるがえって、私たちもまた、時に自己をふり返ることがあります。その結果、多少なりとも自分の現況が見えてきますが、それはほとんど気分のよくないものであり、やるせない。また、苦痛なしには正視できないものも当然あります。そのため、さらに自己の有体を露にしていくことがなかなかできません。それどころか、不快・やるせなさ・苦痛を感じる分、それを打ち消す目先の楽しさに我を忘れようとしがちです。しかし、貞慶は、そこを「然れども」「然れども」「しかのみならず」と、その痛みややるせなさを乗りこえて自己凝視を深めていきます。
その自己凝視の透徹さは類を見ませんが、それゆえに人間一般に通底したものとなっており、読めば読むほどに、私たち自身の日常の実態がえぐり出されて、「ここにどうして自分のことか書かれてあるのか」という気持ちになってしまいます。しかし、そうした自己凝視を深め、自分の愚迷さを見定め目覚してこそ、はじめて仏の世界に出会えもするのだと思います。『愚迷発心集』は、その道筋を示唆していますが、なお、それを要約したのが、『法相心要紗』の、
ー愚なるを以て還って知んぬ、大乗の性あることを。
という一文ではないかと思います。透徹した自己凝視によって露になった愚迷な実態ー、それはあまりにも神仏の世界に遠いのですが、しかしだからこそ、神仏の世界を求めるのではないか。そして、それを一途に希求するほどの者が、どうして仏道を歩むことなどできぬといえよう。〈この私〉もまた、その道を退屈することなく歩き果せるであろうー。そうした確信が、「大乗の性を知る(菩薩の資質が具わっている)」ということの意味でしょう。そして、その確信とともに、発心すなわち堅固な道心への目覚めも自ずから出てくるのだと思います。
そうであれば、自己の愚迷さを見定め、それを自覚することこそが重大な宗教的作業です。発心をテーマとする『愚迷発心集』が、その紙数のほとんどを自己凝視に費やしている意味も自ずから首肯されます。まことに「愚迷発心」の題号が示すように、発心は愚迷の自覚ゆえに見い出されていくものなのです。
春秋社、多川俊映『貞慶『愚迷発心集』を読む』P55-57
いかがでしょうか。真宗の勉強を深くされた方ほどこの一説には驚くのではないかと思います。
この本を読めば貞慶へのイメージが変わること間違いなしです。そして同時に、親鸞聖人の独自性だと思われていたものが果たして彼のみのものだったのかということも考えさせられます。本書も真宗僧侶にぜひおすすめしたいです。
そして前回の記事でもお話ししましたが、私はこの貞慶に心惹かれるあまり、彼が隠遁していた笠置寺を最近訪れました。

この写真にありますように、笠置寺には謎の磨崖仏があります。これは崖を直接彫って描いた仏像の跡なのですが、貞慶はこの弥勒磨崖仏を深く信仰していました。
私もこの弥勒磨崖仏の前に行ってみたのですが、やはりここには何か神秘的な空気があります。喧騒から離れた瞑想的な生活を好んだ貞慶の気風が伝わってくるような場所でした。


ちなみに上の写真は本書の表紙になっている絵の場所です。

かつてはこの絵のように弥勒菩薩の姿がはっきりと見えたようです。貞慶はこの弥勒菩薩に深く帰依していました。
ちなみにですが、この絵の下の建物の屋根のちょっと上に貞慶が描かれているとのこと。たしかに肌色の頭がちょっとだけ見えています。左の石塔も当時よりも小さくなっていますが何となくその面影があります。
私はこの本を読んですっかり貞慶のお人柄に惚れ込んでしまいました。そして笠置寺の空気も大好きになりました。今や京都奈良でトップクラスに好きなお寺のひとつになっています。それほどこの本は私に大きな衝撃を与えました。
また、貞慶については森新之助氏の『摂関院政期思想史研究』という研究書で驚きの事実も語られていました。何と、貞慶は『興福寺奏上』の原案は書いたものの、彼が書いたのは法然を何とか擁護できないものかと思案したものだったというのです。これには私も度肝を抜かれました。貞慶は法然教団を弾圧した張本人ではなかったのです!もちろん、弾圧を食い止めることまではできませんでしたが、率先して法然教団を潰そうとしたわけではないということが森新之助氏の著書で明らかにされています。詳しくはこの記事ではお話しできませんが、また改めて紹介したいと思います。
いずれにせよ、この本は真宗僧侶たる私にとってとてつもないインパクトをもたらした一冊です。素晴らしい名著です。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。
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