藤善真澄『安禄山』あらすじと感想~玄宗・楊貴妃の盛唐を滅ぼした大反乱の裏側を知れるおすすめ参考書
藤善真澄『安禄山』概要と感想~玄宗・楊貴妃の盛唐を滅ぼした大反乱の裏側を知れるおすすめ参考書
今回ご紹介するのは1966年に人物往来社より発行された藤善真澄著『安禄山』です。
早速この本について見ていきましょう。
安禄山が活躍したのは唐の中期、玄宗治世の後半である。当時、唐では泰平の世に恵まれ、豪華絢爛たる文化の花が咲きほこっていた。安禄山はこの最中に忽然と姿を現わすと、またたく間に勢力を築き、皇帝の座をうかがって反旗をひるがえし、突如として消え去る。玄宗と楊貴妃を向うに廻した彼の生涯を描く。
紀伊国屋書店商品紹介ページより(この引用は1966年発行『安禄山』の文庫版からのものです)
本作の主人公安禄山は755年に起きた安史の乱の首謀者として知られています。
前回の記事「村山吉廣『楊貴妃 大唐帝国の栄華と滅亡』あらすじと感想~傾国の美女は悪女ではなかった?世界三大美女の悲しき最後とは」で唐の全盛期をもたらした名君玄宗皇帝と傾国の美女楊貴妃についてお話ししましたが、そのふたりを破滅に導いたのがこの安禄山になります。
本書について著者は冒頭で次のように述べています。
スポット・ライトを浴びる主役に目を奪われ、脇役の演技を見過す場合が多い。舞台を面白くするのは脇役であることを、つい忘れるからである。歴史も舞台と何ら変らない。主役を玄宗と楊貴妃だとすれば、安禄山は脇役である。主役の演ずるメロドラマを破局に導いていくのであるから、さしずめ罵詈雑言のかかる仇役といったところであろう。けれども玄宗と楊貴妃のロマンスに彩りを添えたのは他ならぬかれなのである。
安禄山が活躍したのは唐の中期、玄宗治世の後半であり、東大寺の大仏が完成した前後と考えれば間違いない。当時、唐では泰平の世に恵まれ、豪華絢欄たる文化の花が咲きほこっていた。安禄山はこの最中に忽然と姿を現わすと、またたく間に勢力を築き、皇帝の座を覘って反旗をひるがえし、突如として消え去る。本書はそうしたかれの波瀾の生涯を描こうとするものである。
人物往来社、藤善真澄『安禄山』P11
たしかに唐の歴史に関する本や『楊貴妃』では安禄山はあくまで脇役・・・。しかしこの人物がいたからこそ玄宗や楊貴妃の物語が歴史に残る悲劇として世界に名を残したのも事実でありましょう。
そしてこの本を読めば単なる極悪非道の脇役として見えてこなかった安禄山の別の姿を知ることになります。私もこの本を読んでかなり驚きました。「極悪非道の安禄山が帝位簒奪を目指して反乱を起こした」と一言で言ってしまえばそれでおしまいですが、なぜ彼がそのような暴挙に出たのかということを細かく見ていくとまた違ったものが見えてきます。これは面白い。
著者も巻末で次のように述べています。
安禄山・史思明の乱はあらゆる面に影響をおよぼした。均田制の崩壊にとどめを刺し、貴族社会に終末をもたらした。(中略)
唐はこれら反乱の傷痕をいやしきれないまま滅亡へと向かうのであるが、ただ安禄山の乱をそれほど高く評価するにはあたらない。いずれの結果も、すでに反乱以前に進行しつつあった諸現象で、反乱はそれに拍車をかけたものだから。換言すると、どのような大事件も歴史の流れに逆流するものではないといえる。
安禄山という人物をとりあげて、いまさらながら感じたことは、史料があって史料がないということである。おおむね反乱の記録だけで、禄山の人となりを知る手掛りとなるものは皆無に近い。わずかに残る史料も、反逆者の汚名をうけているだけに、極端な誹謗と中傷で満ちている。記録が唐側のものであればそれもやむを得ない。一人の人間を熟視するとき、愛着がわいてくる。つい客観的な見方を忘れ、同情的になってしまったことも否定できない。それでよいのだと思うのだが。
安禄山も平凡な人間である。気が弱く微力な点では人後におちない。ただ凡人であってもひとたび時運にのり、野心をたくましくすると、とてつもないことをやらかすものだという例証にふさわしい男である。カおよばず、不満足なままで終ったが、安禄山に関する史料だけは、ほとんど使用したつもりである。
人物往来社、藤善真澄『安禄山』P207-208
まさに安禄山も時代の流れで生まれてきた存在でした。彼の生まれや育ちも、反乱への道筋も当時の社会情勢あってのものです。もちろん、生まれや社会情勢だけで人生が決まるわけではありません。そこに安禄山という強烈な個があったからこその大事件でありましたが、「極悪非道の大逆人」というレッテルだけで終えてしまうのは彼の人となりや社会事情を見逃してしまうことになってしまうでしょう。
本書序盤でも著者は次のように語っています。
複雑な社会は複雑怪奇な人間を生産する。人々は利害によって離合集散し、保身の術がすべてを決定する。また、いったん成立した国家機構は、ある意味で桎梏の役割を果たすから、既成のわく内で、官界という魔の渕でうごめく者には、弱肉強食、人間不信の感情だけが支えとなるのもむりはない。唐代はそうした社会であった。頂点に立つ皇帝も例外ではなく、これから登場する様々な人間は、そのチャンピオンたちなのである。唐という満々と水をたたえた大湖の底には、急流があり、さかまく渦があったのである。
人物往来社、藤善真澄『安禄山』P18
まさに安禄山もこの複雑怪奇な中国社会の申し子のような存在でした。彼も最初から進んで皇帝簒奪の野心があったわけではありません。本書を読めばわかるのですが、どちらかといえば、宮廷内の権力争いに巻き込まれ、乱を起こすように仕向けられたと言ってもよいほどなのです。「このまま座して黙していてもどの道冤罪を着せられ殺される。であるならば・・・!」という面もあったのです。
玄宗という名君が唐の最盛期をもたらしましたが、その配下たる宮廷貴族たちは自分たちの保身のために凄まじい権力闘争を繰り広げていました。皇帝ですらそうした百戦錬磨の貴族達をうまく操れなければすぐに暗殺されてしまいます。こうした中で安禄山の反乱が起きてくるのです。単に「極悪非道な安禄山」が起こした事件とは言い切れないのはここに理由があります。
本書はそうした伏魔殿たる中国宮廷内の権力闘争の模様や安禄山の波乱万丈の生涯を知ることができます。ものすごく面白いです。前回の記事で紹介した『楊貴妃』とセットで読まれることを強くおすすめします。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。
以上、「藤善真澄『安禄山』~玄宗・楊貴妃の盛唐を滅ぼした大反乱の裏側を知れるおすすめ参考書」でした。(ちなみに、私が読んだのは旧版の人物往来社版ですが、中公文庫で『安禄山: 皇帝の座をうかがった男』として新版が出ていますのでそちらもお知らせしておきます)
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安禄山: 皇帝の座をうかがった男 (中公文庫 ふ 36-1)
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