愛犬の死から一夜明けて・・・今後のブログについて

僧侶の日記

愛犬の死から一夜明けて・・・今後のブログについて

昨夜、寝る前に自分でもはっきりわかりました。自分がまだ信じられていないことを・・・

そして今朝はパルくんが元気に歩いている夢で目を覚ましました。一晩経っても、どうやらまだ受け止めきれていないようです。

遺体を目の前にして、冷たくなった体を触ってまた涙が流れてきました。

頭ではわかっていても、やはりどうにもなりませんね・・・

昨夜はパルくんのことを思い、記事を書きました。記事を書いて公開することにためらいもあったのですが、私自身、気持ちを整理するためにも書かずにいられなかったというのが正直なところです。この気持ちを誰かに共感してもらいたかったのかもしれません。

ですが、いつまでもそれを引きずるわけにはいきません。

私は自分自身に課してきたことがあります。それがこのブログです。自分の学びのために本を読んで記事を書き、そしてこれから先のもっと大きな目標のための自分の糧とすることです。

私にはやるべきことがあります。パルの死は本当に悲しいです。記事を書いている今もまた涙が流れてきました。考えちゃうとだめですね。違うこと考えます。

私は以前、このブログで「死について」のお釈迦様の言葉を紹介しました。

この記事で紹介した言葉は次のようなものでした。長くなりますがすみません、私のためにここに引用させてください。

五七四 この世における人々の命は、定まったすがたなく、どれだけ生きられる解らない。いたましく、短くて、苦悩をともなっている。

五七五 生まれたものどもは、死をのがれる道がない。老いに達しては、死ぬ。実に生あるものどもの定めは、このとおりである。

五七六 熟した果実は早く落ちる。それと同じく、生まれた人々は、死なねばならぬ。かれらにはつねに死の怖れがある。

五七八 若い人も壮年の人も、愚者も賢者も、すべて死に屈服してしまう。すべての者は必ず死に至る。

五七九 かれらは死に捉えられてあの世に去って行くが、父もその子を救わず、親族もその親族を救わない。

五八〇 見よ。見まもっている親族がとめどなく悲嘆に暮れているのに、人は屠所に引かれる牛のように、一人ずつ、連れ去られる。

五八二 汝は、来た人の道を知らず、また去った人の道を進まない。汝は(生と死の)両極を見きわめないで、いたずらに泣き悲しむ。

五八四 泣き悲しんでは、心の安らぎは得られない。ただかれにはますます苦しみが生じ、身体がやつれるだけである。

五八五 みずから自己をそこないながら、身はせて醜くなる。そうしたからとて、死んだ人々はどうにもならない。嘆き悲しむのは無益である。

五八六 人が悲しむのをやめないならば、ますます苦悩を受けることになる。亡くなった人のことを嘆くならば、悲しみに捕われてしまったのだ。

五八七 見よ。他の〔生きている〕人々は、また自分のつくった業にしたがって死んで行く。かれら生あるものどもは死に捕われて、この世でふるえおののいている。

五八八 ひとびとがいろいろと考えてみても、結果は意図とは異なったものとなる。やぶれて消え去るのは、このとおりである。世の成りゆくさまを見よ。

五八九 たとい人が百年生きようとも、あるいはそれ以上生きようとも、終には親族の人々から離れて、この世の生命を捨てるに至る。

五九〇 だから〔尊敬さるべき人〕の教えを聞いて、人が死んで亡くなったのを見ては、「かれはもうわたしの力の及ばぬものなのだ」とさとって、嘆き悲しみを去れ。

中村元訳『ブッダのことば』「第三、大いなる章、八、矢 p129~131」

お釈迦様はやっぱり厳しい方だ・・・でも、これが真理だと思います・・・

今自分が当事者となって、家族を喪う悲しみを感じながらこれを読むとまた涙が出てくる・・・お釈迦様に「パルは死んだ。もう帰ってこない」と言われるとどうしても納得せざるをえません・・・

やっぱりパルはもう死んだんだと。もう帰ってこないのだと・・・

時間がかかるかもしれませんが私はそれを受け入れなければなりません。

悲しんで嘆き続けても、きっとパルは喜んでくれません。パルが安心して見守ってくれるような私にならねばなりません。お釈迦様はそういうことを言ってくれているのでしょうか。

悲しいときは悲しむ。泣きたいときは泣く。でも自分を傷つけるような悲しみ方はしない。

そして自分もパルと同じく命終えていく存在なのだと。周りの大切な人たちもいずれ死んでしまう。自分は残され、あるいは先に旅立つ存在なのだと。

あぁ、今はもう限界です。すみません、これ以上はもう考えられません・・・

明日からまた「いつも通り」、ブログを更新します。

日々できることをこれまで以上に大切にしていきたいと思います。このタイミングでパルが亡くなったことの意味をしっかりと噛みしめていきたいと思います。

すみません、まとまりのない記事だったかもしれませんが、何か伝わってくれるものがあれば幸いです。

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