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さよなら愛すべきプラハ~プラハ最後の夜と早朝のヴルタヴァ川 僧侶上田隆弘の世界一周記―チェコ編⑯
4月23日。
プラハでの8日間の滞在もいよいよこれが最後の夜だ。
本当に名残惜しい。
できることなら残り全ての日程をこのプラハで過ごしたいと思ってしまうほどだ。
しかしそんなことも言ってられない。
いつかは離れなければならないのだ。どんなに恋しくても。
というわけでぼくは最後の夜に、夜のプラハの街に出かけることにした。
川沿いの景色は相変わらず美しい。
昼に見せる姿とはまた違った印象を与えてくれる。
等間隔に並ぶ街灯の光がプラハの幻想的な雰囲気を醸し出す。
橋の下からライトアップされたプラハ城が見える。
昼も夜も、プラハ城はこの街のシンボルとしてずっとそこにそびえ続ける。
しばらく川に沿って歩き続ける。
この景色を見ることができるのもこれで最後かと思うと、感傷的な気分になる。
街中の建物すべてが芸術的だ。夜の明かりに照らされてそれが一層引き立つ。
街そのものが博物館と言われるのも当然だ。
「それにしても美しい。プラハはなぜこんなに美しいのか!」
これは春江一也の『プラハの春』という小説に出てきた一節だ。
これほど見事にプラハの魅力を言い当てた言葉がほかに存在するだろうか。
プラハで過ごした日々の中で、何度となくこの言葉がぼくの頭をよぎった。
ため息がでるほどの美しさ。そしてそのため息と共に、この言葉が思い出されるのだ。
翌朝、プラハ出発の電車は8時50分。
ぼくはその前に最後の散歩に出かけた。
ほんの少しの時間だったが、どうしてももう一度だけヴルタヴァ川に会いに行きたくなったのだ。
いつもは人でいっぱいのカレル橋も、さすがに朝の6時半ではこの様子。
人のいないカレル橋を通るのは初めてだ。
静かな朝の空気。
空は少しどんよりしていたが、心は晴れやかだ。
最後にもう一度、ここに来ることができたのだから。
振り返れば旧市街の街並み。
何度となく通ったこの風景も見納め。
プラハは本当に色んな姿を見せてくれた。
時間帯によっても、天気によっても、曜日によっても、そのすべてで表情豊かに語りかけてくれた。
それにしても、どうしてぼくはこんなにもプラハに惚れてしまったのだろうか。
プラハは美しい。いや、美しすぎる。
だが、それだけではない。
目に見える美しさだけがぼくを虜にしたわけではない。
目には見えない内面的なもの。
きっとそれが感じられたからこそ、ぼくはここまで惹かれたのだろう。
プラハが生きてきた歴史、文化、精神性。
ぼくはプラハの心がたまらなく好きなのだ。
だからこそ外面にもそれが美しさとなって現れているようにぼくには見えてくる。
何かを強烈に好きになるということは、外面だけの問題ではないのかもしれない。
改めて人間の心とものの見え方の関係に驚いたのであった。
さて、もう時間だ。
次の目的地はオーストリアのウィーン。
ヨーロッパ随一の文化の都だ。
プラハとはまた違った美しさがきっとそこにはあるのだろう。
さらば、愛すべきプラハよ!
夢のような時間をありがとう。
続く
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