(91)サールナート(鹿野園)のダメーク・ストゥーパへ~ブッダ初転法輪の聖地!仏教教団の始まりはここから!
さて、私にとって波乱含みとなったブッダガヤ滞在でありましたが、いよいよこの仏跡も巡りも佳境へと突入していきます。次の目的地はブッダ最初の説法の地サールナート。ここからブッダ教団が始まったということで、仏教において非常に重要な聖地となっています。
さて、私にとって波乱含みとなったブッダガヤ滞在でありましたが、いよいよこの仏跡も巡りも佳境へと突入していきます。次の目的地はブッダ最初の説法の地サールナート。ここからブッダ教団が始まったということで、仏教において非常に重要な聖地となっています。
ブッダガヤは仏教の聖地中の聖地です。
ですが私はブッダガヤという地に対して全く感動できなかったのでした。いや、それどころではありません。私はこの地でネガティブな感情に支配されてしまいました・・・
ここで神聖な心境になれない私は仏教僧侶として失格ではないか。私はそんな念に駆られてしまったのです。
この記事ではブッダガヤに関する衝撃の事実をお伝えします。私達がイメージする仏教聖地ブッダガヤの実態に皆さんもショックを受けることでしょう。
・・・これはもしかしたら知らない方が幸せなことなのかもしれません。
これまでの記事でブッダガヤ近郊を紹介してきましたが、いよいよここからブッダ悟りの聖地ブッダガヤについてお話ししていきます。
ブッダガヤのシンボルの大塔は5~6世紀頃の創建とされていて、あの玄奘三蔵法師もこの大塔にお参りしています。その聖地を私は訪れました。
ナーランダー大学・・・
皆さんはこの仏跡の名前を聞いたことがあるでしょうか。
ブッダ誕生の地ルンビニーや、悟りの地ブッダガヤ、初転法輪のサールナート(鹿野園)などと比べると明らかにマイナーな遺跡です。
しかしこの遺跡こそ私がインドで最も感動した仏跡のひとつとなったのでした。
ラージギル(王舎城)周辺には5つの岩山があり、そのひとつがブッダの説法で有名な霊鷲山です。この山が私達日本の仏教徒にとって重要な聖地となったのは何と言っても、ここが無量寿経や法華経の舞台であるからです。
今回の記事ではそんな霊鷲山に登った体験をお話ししていきます。
クシナガラの涅槃堂から車で5分ほどの距離にはランバル塚というブッダ火葬の地があります。
ブッダは生前、その火葬の方法を詳しくアーナンダに説いていました。そして自身の遺骨をどうするのかについても語っています。
今回の記事ではそんなブッダの遺骨を巡る問題について考えていきます。
クシナガラはブッダ臨終の地ということでブッダ八大聖地の中でも特に重んじられている場所です。
境内は広い公園のようになっていて、少し歩くと薄いクリーム色をした涅槃堂が木々の隙間から見えてきます。お寺としてはかなり独特な形状をしているこの涅槃堂。私はこの涅槃堂に夕方と早朝、二度訪れることになりました。
前回の記事ではネパール仏教の象徴スワヤンブナートを紹介しましたが、今回の記事ではそのネパールの独特な仏教事情についてお話ししていきます。特に記事タイトルにあるように、日本と同じく妻帯する仏教がこの国に存在するという点に注目していきたいと思います。
さあ、第三次インド遠征がいよいよ始まります。
私の最初の目的地は南インドの古都タンジャーブル。
私はブッダゆかりの地を巡る前にここタンジャーブルでスリランカ仏教紀行の積み残しを片付けに来たのでありました。
11世紀にスリランカを呑み込んだ大国チョーラ朝とはいかなる国だったのでしょうか。その首都を訪れてみました。