重松明久『覚如』概要と感想~本願寺を創建した親鸞のひ孫。その壮絶な幼少期と『御伝鈔』制作の流れを知るのにおすすめ

重松明久『覚如』概要と感想~本願寺を創建した親鸞のひ孫。その壮絶な幼少期と『御伝鈔』制作の流れを知るのにおすすめ
今回ご紹介するのは1987年に吉川弘文館より発行された重松明久著『覚如』です。
早速この本について見ていきましょう。
本願寺教団のあり方が云々される昨今、親鸞の単なる墓堂としての大谷廟堂を、本願寺という寺院に盛り上げた覚如の生涯は、いま新しく見直すべきときであろう。叔父唯善との廟堂をめぐる世俗的主宰権争いや、長男存覚との義絶にみる思想上の対立など、覚如の生涯に凝縮される草創期教団の諸問題を見事に描写した創見に富む好著。
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本伝記の主人公覚如(1271-1351)は親鸞聖人のひ孫に当たる僧侶で、本願寺教団成立に多大な影響を与えた人物になります。

著者は本書と覚如について冒頭で次のように述べています。
真宗史上、親鸞や蓮如の伝記は数多いが、覚如に関して、単行本として刊行されたものは、絶無に近い。いわば、両巨峰の間に埋没して、その影はきわめて薄い。もちろん、真宗教義の完成者は親鸞であり、また、その教団的発展は蓮如の功に帰しなければならない。しかし、蓮如が親鸞の思想的遺産を継受して、教団としての飛躍的発展を実現するための、いわば跳躍台としての役割は、覚如にみとめざるをえない。全盛期の花景色も美しいが、しかし、風雪に堪えて、ひたすらエネルギーを蓄積した雌伏期に関する興味も、つきないものがある。蓮如によって完成された本願寺教団樹立の基礎工事の施工者としての、覚如の果した業績について、軽視することは、決して許されないであろう。
ところで、覚如に対する従来の人物評価は、かなり冷淡である。いわく、親鸞の思想は、覚如によって歪曲された。親鸞に教団建設の意図はなかったが、覚如の本願寺創建によって、世俗的権威化が推進された。東国門弟の離反はもちろん、実子存覚さえも、あえて義絶してしまった偏狭な性格の持主であった、等々。しかし、この小著においては、覚如の人物評価、ことに、かれの業績の功罪を論評する意図は、毛頭ないことをことわっておきたい。ただ、実証的にかれの行実を直視し、事実に即した行動記録が、企図されたものにすぎない。覚如の究極的な人物論評については、ここに記録したかれの行実を材料として、むしろ読者各位に、これをゆだねておきたいと思う。もちろん、覚如の生きた時代環境としての南北朝時代が、日本の封建革命の胎動期に当っており、一面、宗教界においても、古代的な善根主義的仏教が傾頽期に入りつつあった混沌の中にあって、民衆的な中世仏教のまさに固成されようとする転換期に当っており、これらの政治的・社会的ならびに宗教的環境のなかにあって、自己自身の道を貫ぬこうとした、覚如自身の立場に即しつつ、かれの果した史的役割が評価されなければならないことは、改めてのべるまでもないが。
吉川弘文館、重松明久『覚如』P1-3
ここで述べられるように、従来覚如はあまり評価されてこなかった人物です。
ただ、時は経ち様々な歴史研究がなされて来た現在において、やはり改めてこの人物に光を当てるのは重要なことだと私は思います。
親鸞に教団を設立する意図はなかったとよく言われますが、もし覚如が本願寺を設立し『御伝鈔』を書いていなかったら歴史はどうなっていたでしょうか。戦国時代に織田信長と互角に渡り合うほどの大勢力なった本願寺です。この大勢力があるからこそ守ってこれたものもあったのではないでしょうか。覚如の本願寺創建がなければ、おそらく歴史は全く違った方向に行っていたのではないかと思います。歴史に「もしも」は禁物ですが、やはりこれだけ歴史に大きな影響を与えた存在として覚如は重要な人物ではないかと私は思います。
さて、本書を読み進めていてまず驚いたのが覚如の壮絶な幼少期です。
覚如は幼い頃から記憶力、理解力が抜群で天台宗の青蓮院に入り宗澄の下で稚児として学んでいました。
ただ、14歳の時に事件が起こります。覚如は飛び抜けて美しい顔つきをしていたということで、三井寺の高僧浄珍の命令で誘拐されてしまったのです。「え?」と思われるかもしれませんが、これは事実です。浄珍は三井寺の僧兵30人を送り出し、師の宗澄のいない隙を狙って攫って行ってしまったのでした。当時、美しい稚児は寵愛の対象として見られていた時代です。美しい稚児を手元に置いておきたいという願望にストレートに従ったのがこの誘拐だったのでしょう。
誘拐されたならなぜ助けに行かないのか。当局は何をしているのか。
そう思われた方も多いかもしれませんが、中世のこの時代、トラブルは基本的に自分たちで解決しなければなりませんでした。浄珍が三井寺の僧兵を30人も動員した以上、こちらもその規模で戦わなければなりません。しかしそれでは騒動が大きくなりすぎてしまう・・・ということでこの件は泣き寝入りとなったそうです。
いやはや『室町は今日もハードボイルド』という本で書かれていた通り、なんとハードボイルドでアナーキーな世界でしょう。
ただ、誘拐された覚如ではありましたが、待遇はかなりよかったようで日々浄珍に寵愛を受け、様々な催しに連れられていたようです。しかもなんとその同年中に今度は奈良の興福寺一乗院の門主、信昭が覚如を欲しがり、誘拐作戦を決行するも失敗するという事件が起きています。
結局、覚如はその後興福寺系の禅房に移ることになり、そこでも美しき稚児として寵愛を受けていたとされています。
詳しく説明するとややこしくなるのでこれ以上は申しませんが、覚如の幼少期はこうして過ぎていきます。14歳を幼少期と言ってしまうのは少し問題があるかもしれませんが、いずれにせよ、私達の感覚からするとかなり異常な環境で育っています。
しかし当時の風習から言うとそこまで奇特なことではなかったことでしょう。むしろ本来出会うこともできないような高僧や高位貴族との接点を得ることができたという点ではプラスであったという見方もできます。
いずれにせよ、幼少期から学問に長け、様々な社会を見て来た覚如には並々ならぬ思いが蓄えられていたのかもしれません。
ここからこの伝記ではこの数奇な生涯を送った覚如の道筋を追っていくことになります。真宗僧侶である私にとっても覚如はほとんど馴染みの薄い存在でありましたが、この本を読んでその認識はがらっと変わりました。やはりこの人もとてつもないスケールの僧侶でした。
後の親鸞教団について考えていく上でも本書は必読の一冊です。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。
以上、「重松明久『覚如』概要と感想~本願寺を創建した親鸞のひ孫。その壮絶な幼少期と『御伝鈔』制作の流れを知るのにおすすめ」でした。
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