野口実『北条時政』あらすじと感想~北条時政の実際の姿に驚くこと間違いなし!坂東武者のイメージが変わる名著!

野口実『北条時政』あらすじと感想~北条時政の実際の姿に驚くこと間違いなし!坂東武者のイメージが変わる名著!
今回ご紹介するのは2022年にミネルヴァ書房より発行された野口実著『北条時政』です。
早速この本について見ていきましょう。
北条時政(1138年から1215年)鎌倉幕府初代執権。
Amazon商品紹介ページより
源頼朝の死後、二代将軍・頼家を廃し、実朝を擁立し実権を握る。さらに娘婿・平賀朝雅を将軍にしようとするも失敗、子の政子と義時に逐われ伊豆に隠棲したとされる。緻密な史料批判による実証作業を踏まえ、最新の「武士論」研究の成果に基づいて、時政の実像を捉え直す。
本書は鎌倉幕府初代執権となった北条時政のおすすめ伝記です。北条時政と言えば源頼朝と結婚した北条政子の父でもあります。
そして北条時政といえば、近年の大河ドラマでも大活躍した人物でもあります。
私も三谷幸喜さんの『鎌倉殿の13人』が大好きでちょうど今再び見返している所なのですが、やはり北条時政と言えば田舎の気のいいおじさんというイメージがあります。
坂東武者ということで、京都の貴族とは違う素朴な人柄が託されやすい人物の筆頭がこの北条時政なのではないでしょうか。
ですが本書を読めばそんなイメージが決定的に覆されることになります。私もこの本を読んで驚きました。北条時政だけでなく、坂東武者のイメージそのものすら私達は再考を迫られています。坂東武者はただの荒々しい田舎の武者ではなかったのです。
このことについて著者は冒頭で次のように述べています。少し長くなりますが重要な箇所ですのでじっくりと読んでいきます。
武士は、「一所懸命」と言われるように、所領に執着して土と共に生きた。その一族や郎等たちも共通の神仏を祭り、いったん緩急あれば、その司祭者でもある族長(家督・惣領)のもとに結集して「武士団」を結成する。鎌倉幕府が成立した頃の武士団のイメージというのは、こんなものであろう。(中略)
こうした武士(武士団)に対する理解を支えているのが、戦前来の「退廃的で『女々しい』都市(京都)の貴族に対して、地方(田舎)をバックに成立した武士は勇ましく、逗しく、健全な『男らしい存在である』とする「常識」と、武士と貴族を峻別して古代から中世への展開を階級闘争として理解する戦後歴史学の「理論」である。とくに前者は、「常識」と述べたように根強いものがあり、それは、学問や芸能をこととする貴族を否定的に捉える一方、無知蒙昧で非文化的な存在としながらも武士を肯定的に理解する心性を育んでいった(野口 一九九四・二〇一二)。
しかし、あらためて考えるまでもないことだが、中世の武士は武芸だけに勤しんでいたわけではない。武力の行使を正当化するための身分を得るには王権守護の任に就かなければならない。そのため儀礼の作法(有職故実)に精通する必要がある。在地に領主として臨むためには文筆能力や宗教的な権威を負わなければならない。有力な武士は一族を統合するためにも国衙の在庁官人や荘園の下司の地位を占めたから、行政に関する専門的な知識を求められたし、自らを文化的に荘厳する必要もあったのである(野口 一九九三・一九九四・二〇一七)。
さて、そんな観点から本書の主人公である北条時政を概観してみよう。
名字の地である伊豆北条の地は狭小で、婿に迎えた源頼朝を擁して挙兵した時の武力もせいぜい数十。だから、郡規模の本領を有し、数百騎の武力を率いた相模の三浦氏や下総の千葉氏などとは比べようもないちっぽけな武士団を率いる存在に過ぎない。そういえば、二〇一二年のNHK大河ドラマ『平清盛』に登場した北条時政(遠藤憲一が演じた)もダイコンの入った籠を抱えていたりして、江戸時代の庄屋さんのような風情であった。しかし、彼の本拠とした北条の地(現、静岡県伊豆の国市韮山)は、狩野川水運と伊豆半島を縦貫する陸路の結節するところで、まさに伊豆国の喉元を押さえるような場所である。現在の三島市にあった国街に近く、時政はその在庁官人であった。源義経退京後の京都守護に任じて、面倒な朝廷との交渉や畿内近国の軍政を担い、やがては並み居る有力御家人を従えて鎌倉殿の執権別当という地位を確立している。それに、彼の妻は中央貴族の娘だったではないか。これはどうも庄屋さんのイメージとは整合しそうもない。
北条時政の実像は闇の中にあるようである、それでは、大河ドラマで描かれたような彼のイメージはどのように作られてきたのだろうか。そして、彼の真の姿は。
ミネルヴァ書房より発行された野口実著『北条時政』Pⅰーⅲ
本書ではまず、そもそも従来の田舎武士たる北条時政のイメージがどのようにして作られていったかを見ていきます。
私達が持っている北条時政や北条一族についてのイメージというのは歴史そのものではありません。その時代その時代において学者や作家たちが作り上げたイメージを私達は受け取っています。
上の引用にもありましたように、かつてはマルクス主義の影響を強く受けた歴史観が主流でしたが、現在ではそのような学説はほとんど支持されていません。これは私達の生きる時代そのものが変わっていったのもありますが、新資料やそれに基づいた研究がどんどん進んできているからでもあります。
しかし、一度作られた通説やイメージはなかなか消え去るものではありません。「堕落した上流階級たる貴族は断罪されるべき存在であり、民衆から立ち上がった武士が新たな世を切り開いた」という理論は確かに魅力的なストーリーではありますが、私達はもはやこの過去の定説を乗り越えなければならないところにきているのではないでしょうか。
本書の主人公北条時政はそんな歴史観から脱出するのに格好の存在です。
時政は単なる田舎武士ではなく、京都とも深いつながりがあり、所領がなくとも交通の要所に位置した関係でかなりの情報を手に入れることができる存在でした。さらに物資の流通にも関わっており、従来の畑作業をする武士のイメージとは異なり、所領以外からの収益も得ていたことが明らかにされます。
そうです、もはや「単なる気のいいおやじさん」のレベルをはるかに超えた有能な人物こそ北条時政だったのです。
たしかに冷静になって考えてみればそうですよね。何の教養や経験もない田舎のおじさんが京都の政治の最前線で堂々と渡り合うなど不可能です。そんな甘い世界ではありません。時政は京都の警備や外交交渉などを見事にやってのけました。これは並大抵のことではありません。
また、北条時政を支えた家族や人脈についても本書では詳しく解説されます。これも驚きの事実が満載でした。
北条時政は若い後妻「牧の方」を迎え、野心家の「牧の方」にそそのかされて、鎌倉幕府のっとりを企てて失脚したというように言われますが、これにも実際は多くの要素が絡んでいました。それにそもそも、この「牧の方」という女性がとてつもなく優秀で、しかも京都に強力な人脈を持っていたのです。この「牧の方」の存在なくして源頼朝の成功はなかったかもしれません。
さらに、時政、牧の方が失脚し伊豆で暮らしていた後も、北条家は仲が良かったことも明かされます。従来では時政と嫡男義時、娘政子と仲違いしたように描かれていましたが、そう単純な話ではなかったようです。
とにかく、本書では綿密な資料研究によって明かされた北条時政の驚くべき姿を見ていくことになります。これは素晴らしい作品でした。
坂東武者とは何かを考える上でも本書は非常に有益です。
そして北条時政が建てた願成就院についても本書では解説がありますので仏像好きの方にもぜひおすすめしたいです。

と言いますのも、このお寺にはあの運慶作の仏像が納められていて、今でもそのお姿を拝することができます。

私も今年の冬にお参りしてきました。運慶らしさを感じられる素晴らしい仏像でした。

また、ここには北条時政のお墓もあります。
というわけで、本書は源平合戦や坂東武者、そして運慶仏像に興味のある方にもぜひおすすめしたい作品となっています。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。
以上、「野口実『北条時政』あらすじと感想~北条時政の実際の姿に驚くこと間違いなし!坂東武者のイメージが変わる名著!」でした。
Amazon商品紹介ページはこちら
北条時政 頼朝の妻の父、近日の珍物か (ミネルヴァ日本評伝選)
前の記事はこちら

関連記事


