急に訪れた愛犬の死-家族の死はどうしてこんなにも苦しいのだろう
ペットとの死別。わかってはいてもその別れはつらい・・・
先ほど、私たち上田家の家族、愛犬パルが14歳の誕生日を目前に命を終えました。
パルくんは5歳の頃から癲癇を発症し、その頃から体調が不安定で私たち家族はいつどうなるかわからないという心配の中でこの子をずっと見守ってきました。13歳まで生きられるとは誰もが想像もしていませんでしたが、パルくんはこれまで頑張ってくれました。
5年ほど前より病気の影響で下半身も麻痺し、それこそ介護をしながら一緒に暮らしてきました。
後ろ足は動かないながらも前足で楽しそうに動き回るパルくんに私たちはいつも元気をもらっていました。
つい2日前の夜まで、元気一杯だったのです。
去年の10月に一度危篤状態まで陥り、もうだめかと覚悟してからの急回復に私たちは心の底から喜んでいました。ほんの少し前まで彼は走っていたのです。「こんな元気になったの久しぶりだね。あとちょっとで誕生日だから、皆でお祝いしようね」と皆で話していたのです。
でも・・・あっという間でした。
獣医さんのお話では脳にダメージがあり、それが原因のようでした。
私たちは持病だった肝臓や胆のうで闘病しながらゆっくりと亡くなるのかなと思っていました。
ですが、お別れはあまりにも突然でした。
病院で治療を受け、家に連れて帰り様子を見ている最中、急に息が荒くなりました。
病院に連れていく間もなく、苦しそうな呼吸の音が消え、息を引き取っていくのがわかりました。呼吸が止まった後、のどのあたりが微かに震えていたのを強烈に覚えています。その震えもやがて止まりました・・・心臓に手を当てても、もう、動きません。彼が死んでしまったことを嫌でも突き付けられたかのようでした・・・
いつかこうなることはわかっていました。でも、やはり呆然としてしまう・・・
明日からしばらく病院通いだね。なんとか良くなればいいね。これからまた大変だと、そう皆で話していました。
でも、もうその「これから」がないのです。
明日からも続くと思っていたパルとの日々はもう、ないのです。
記事を書いている今、文字にしてこう残している今、それを感じます・・・そうでなければ、未だに信じられないかもしれません。
彼は今もすぐそこで眠っているように横たわっています。いつものように声をかけたらこっちを向いてくれるような気がします。朝起きたらいつものようにご飯をねだりに来てくれるような気がします。
でも、それももうないのです。
なぜ私はこんな言葉を繰り返しているのでしょうか。私にもわかりません、こうせずにはいられないのです。泣きながらこれを書いているのです。
いくら僧侶としてたくさんの方の葬儀に関わっていても、やはり家族の死はつらい・・・そう簡単には受け止めきれません・・・
「いつどうなるかわからない」
私はそれをわかっていたつもりでした。覚悟していたはずでした。
でも・・・わかっていてもどうにもならないのです。今でも信じられないのです。
最近元気だったから一緒にまた外歩きたいな。新しい服を着させてあげたいな。
その思いが今や「あと一回でも一緒に外に行きたかったな。新しい服着たところを見たかったな」という未練や後悔に変わってしまいました。
わかっています。これがどんなに虚しいことか自分でも嫌というほどわかっています。ですがパルの姿を見ているとそれが止まらないのです。
「僧侶なんだからもっとしっかりしなさい」と思われるかもしれません。
ですがこれが家族を亡くした私の正直な気持ちです。悲しくてやりきれないんです・・・
明後日、パルくんを火葬します。
最後のお見送りの時は笑って「また会おうね」と伝えたいと思います。
本当にありがとうと伝えたい・・・今はまだ心の整理がつかないけど、パルと過ごせた時間は本当に幸せだった。大切な時間を本当にありがとう。
2021年3月29日 上田隆弘
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