(65)南インドの古都タンジャーブルへ~あまりに巨大!これはスリランカもひとたまりもない!
さあ、第三次インド遠征がいよいよ始まります。
私の最初の目的地は南インドの古都タンジャーブル。
私はブッダゆかりの地を巡る前にここタンジャーブルでスリランカ仏教紀行の積み残しを片付けに来たのでありました。
11世紀にスリランカを呑み込んだ大国チョーラ朝とはいかなる国だったのでしょうか。その首都を訪れてみました。
さあ、第三次インド遠征がいよいよ始まります。
私の最初の目的地は南インドの古都タンジャーブル。
私はブッダゆかりの地を巡る前にここタンジャーブルでスリランカ仏教紀行の積み残しを片付けに来たのでありました。
11世紀にスリランカを呑み込んだ大国チョーラ朝とはいかなる国だったのでしょうか。その首都を訪れてみました。
ここスリランカでは毎月の満月の日に当たるこのポーヤデイにはお寺参りをするという習慣が根付いています。
ポーヤデイで賑わうケラニヤ寺院を見ることができたのは私にとって非常にありがたい経験となりました。スリランカの仏教徒の信仰深さをまざまざと感じました。日本とは違う仏教との付き合い方があるのだと心底感じた体験でした。
コロンボ滞在の中で私が特に楽しみにしていたことがあります。
それがAFP通信社コロンボ支局長との面会でした。
AFP通信社はフランスに本拠地がある世界的なメディアですが、あるご縁からそのコロンボ支局長とお会いすることになったのです。そして私はスリランカ情勢などについて質問させて頂きました。
スリランカの世界的作家マーティン・ウィクラマシンハ。ものすごい作家がここにいました!
ドストエフスキーを彷彿とさせる心理描写、チェーホフの如きストーリング、ゾラ的な徹底的な社会観察。これはすごいです。
ウィクラマシンハの小説はスリランカの姿を知るのに最高の手引きとなることでしょう。ぜひぜひおすすめしたい作家です。
コロンボはスリランカ最大の都市で、人口も都市圏も合わせるとでは200万人を超えます。また、スリランカのビジネスの中心でもあるこの街は発展も著しく、高層ビルが次々に建てられています。日本の首都圏とほとんど変わらないような発展ぶりと綺麗さには私も着いて早々驚きました。
カタラガマからコロンボへと向けて出発した私でしたが、その途中、日本でもよく知られているある港を私は見ることになりました。それがハンバントタ港です。
中国の一帯一路との関係性でこの港はよく言及されますが、そのことについてもこの記事では考えていきます。
カタラガマ神自体は元々ヒンドゥー教の神様でありますが、スリランカ仏教において仏教の守護神として信仰されるようになりました。日本で言う神仏習合にかなり近い形です。
そしてカタラガマはヒンドゥー教徒、仏教徒どちらにとっても信仰の対象でしたが、その様相が20世紀中頃より変わり始めます。
カタラガマは現代スリランカで最も人気のある巡礼地です。宗教を学ぶ人間としてここは外すことはできません。
このカタラガマには現在スリランカ全土から巡礼者が絶えませんが、なぜこの聖地はこれほどまでにスリランカ人を惹きつけてやまないのでしょうか。この記事ではそのことについてじっくりと見ていきます。
前回の記事でスリランカにも大乗仏教の伝統が存在していたことをお話ししましたが、今回の記事ではそんなスリランカの大乗仏教の流れについてざっくりとお話ししていきます。
仏教とは何かを考える上で非常に重要なポイントがこの記事で語られることになります。読者の皆さんもきっと驚くことでしょう。
スリランカといえば上座部仏教の聖地というイメージがあるかもしれませんが、実はこの地には大乗仏教も根付いていたのでありました。特に8世紀には全盛期を迎え密教の中心地として世界に大きな影響を与えていました。
私はその痕跡を訪ねるべく、スリランカの奥地に向かうことにしたのでありました。