(83)ブッダ説法の聖地霊鷲山~無量寿経や法華経の舞台となった聖地へ
ラージギル(王舎城)周辺には5つの岩山があり、そのひとつがブッダの説法で有名な霊鷲山です。この山が私達日本の仏教徒にとって重要な聖地となったのは何と言っても、ここが無量寿経や法華経の舞台であるからです。
今回の記事ではそんな霊鷲山に登った体験をお話ししていきます。
ラージギル(王舎城)周辺には5つの岩山があり、そのひとつがブッダの説法で有名な霊鷲山です。この山が私達日本の仏教徒にとって重要な聖地となったのは何と言っても、ここが無量寿経や法華経の舞台であるからです。
今回の記事ではそんな霊鷲山に登った体験をお話ししていきます。
ラージギルはブッダ在世当時の大国マガダ国の首都として知られています。ですがブッダの死去後はマガダ国の首都がパータリプトラに移りここもすっかり寂しい土地へと変わっていってしまっていたとのこと。無論、当時の王宮なども残っていません。
この記事ではそんなラージギルにおけるブッダゆかりの地、竹林精舎を紹介します。
ガンジス川に面したこの街はブッダ在世時から交通の要衝であり、ブッダもここからガンジス川を渡り最後の旅へと向かっていったとされています。「ブッダの渡し」と呼ばれるのはこうした理由からでした。
また、この地が仏教の歴史において重要なのはここで第三結集が行われたとされているからです。
ブッダ在世時のヴァイシャーリーはリッチャビ族の都で、インド随一の商業都市として栄えていたことが知られています。
ブッダもこの都市には何度となく滞在し説法をしています。そしてここが八大聖地に選ばれたのはブッダの臨終の旅路の重要なポイントであったことと猿王奉蜜の伝説によります。
クシナガラからヴァイシャーリーに向けての道中にあるケサリア大塔。この遺跡は1998年に発掘調査が行われたことで有名になりました。
日本ではあまり知られていないケサリア大塔ですが、世界最大級の仏塔がインドにあるというのは私も意外でした。しかもこの巨大な仏塔が土に埋まっている様も見ることができたのは実に興味深いことでした。
クシナガラの涅槃堂から車で5分ほどの距離にはランバル塚というブッダ火葬の地があります。
ブッダは生前、その火葬の方法を詳しくアーナンダに説いていました。そして自身の遺骨をどうするのかについても語っています。
今回の記事ではそんなブッダの遺骨を巡る問題について考えていきます。
クシナガラはブッダ臨終の地ということでブッダ八大聖地の中でも特に重んじられている場所です。
境内は広い公園のようになっていて、少し歩くと薄いクリーム色をした涅槃堂が木々の隙間から見えてきます。お寺としてはかなり独特な形状をしているこの涅槃堂。私はこの涅槃堂に夕方と早朝、二度訪れることになりました。
前回の記事ではネパール仏教の象徴スワヤンブナートを紹介しましたが、今回の記事ではそのネパールの独特な仏教事情についてお話ししていきます。特に記事タイトルにあるように、日本と同じく妻帯する仏教がこの国に存在するという点に注目していきたいと思います。
ネパール仏教の象徴たるスワヤンブナート。この寺院はネパール仏教最古の仏教寺院として知られる世界遺産です。
スワヤンブナートは独特な空気が漂う場所でした。インドともスリランカともやはり違います。そしてやはりあの目です。「ネパールといえばこれ」というほど私の中に強烈な印象を残した場所でした。
ネパール最大のヒンドゥー教寺院であるパシュパティナート寺院。この寺院はガンジス川の支流バグマティ川に面していて、ここに火葬場が作られています。
ネパール人にとって、ここはインドのバラナシと同じような意味を持つ重要な聖地となっています。私もそのような火葬の現場を見てみたいと思いここを訪れることにしました。