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真宗木辺派本山 錦織寺を訪ねて~滋賀県野洲市の親鸞聖人御逗留の地。主著『教行信証』の執筆も

錦織寺
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真宗木辺派本山 錦織寺を訪ねて~滋賀県野洲市の親鸞聖人御逗留の地。主著『教行信証』の執筆も

みなさんこんにちは。

本日は当寺真宗木辺派函館錦識寺の本山、錦織寺きんしょくじ ついてお話ししていきたいと思います。

と言いますのも、2月上旬、所用のため本山へお参りする機会があり、本山のお姿を撮影して参りましたのでこの機会にぜひみなさんにお伝え出来たらという次第であります。

さて、本山、錦織寺は一体どちらにございますかといいますと、京都からも近い琵琶湖南岸の地域、野洲市にございます。

境内に入りますと、すぐ真正面に親鸞聖人のお像が安置されております御影堂みえいどうが姿を現します。

説明が書かれていた掲示板がありましたので、そちらも撮影させて頂きました。

こちらによるとこの御影堂は1701年に再建された歴史ある建造物だそうです。

そしてここ錦織寺は親鸞聖人が1237年、実際にここを訪問し、まさにここで主著『教行信証』の一部を執筆されたと言われております。

親鸞聖人の銅像の後ろにございますのが本尊の阿弥陀如来像を安置する阿弥陀堂、さらにその奥にございますのが毘沙門天像を安置する天安堂です。

天安堂

天安堂の解説と一緒に阿弥陀堂の掲示板も見て参りましょう。

ぱっと見るだけではわかりにくいですが、この2つのお堂の解説をじっくり読んでみますと、実は少し不思議な点があることに気付かれる方もおられるかもしれません。

それはどんな点かと言いますと、次のような事柄であります。まずは年代順に並べてみましょう。

天安堂の創建が858年

親鸞聖人がここを訪ねられたのが1235年

そして錦織寺の名の由来となった天女の伝説が起きたのが1238年。

さて、これの何が不思議なのかとい言いますと、ここ真宗木辺派本山の錦織寺は、親鸞聖人が生まれる前から存在しているお寺である・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ということなのです。

一体これはどういうことなのでしょうか。

実はこの問いの答えは思いの他シンプルであります。

もう一度天安堂の掲示板を見てみましょう。説明の最初の4行がキーポイントです。

いかがでしょうか。

そうです。このお寺はもともと天台宗の流れを汲むお寺だったのです。

天台宗といえば最澄。比叡山延暦寺が総本山です。

その比叡山の流れを汲んだ霊場だったからこそ、今でも毘沙門天像が安置され立派なお堂も建てられているのです。

そして親鸞聖人がここを訪れ、その教えやお人柄によって錦織寺は天台宗の霊場から親鸞の教えを頂く浄土真宗のお寺へと変わっていったのです。

つまりもともとあった天台宗のお寺から浄土真宗のお寺へと宗派が変わったということなのです。

親鸞聖人が生まれる前からこのお寺が存在しているというのもここに理由があります。

本州では1000年以上もの歴史を持つお寺が数多くあります。

創建当初からずっと同じ宗派のお寺もあれば、錦織寺のように天台宗から浄土真宗へと変わったお寺というのも実は多いのです。

夕暮れ時の錦織寺です。

本山の周辺はのどかな田園風景が広がっています。

なんとのどかな風景でしょう。

夕暮れの光は私の心を優しく包み込み、柔らかな風がそっと吹き抜けます。

「あぁ・・・」と小さなため息が自然とこぼれます。

「のどかでいい場所だなぁ・・・本当に落ち着く・・・」

しみじみとした気持ちで私は本山を後にするのでした。

真宗木辺派の本山錦織寺は滋賀県野洲市のさらに奥まった場所にあり、なかなか気軽に行くのは難しいお寺ではあります。

しかし、すぐ近くには近江商人で有名な五箇荘の街並みや織田信長の安土城跡などもあり、歴史探方の地としてこの一帯は知られています。

ぜひ機会がありましたら本山錦織寺にもお参りいただけましたら幸いでございます。

本山錦織寺のホームページはこちらになります。興味のある方はぜひご参照ください。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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