Dickens' "David Copperfield" Synopsis and Comments - Mr. and Mrs. Micawber, whom Dostoevsky also loved.

David. Dickens, England's greatest writer

ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド』のあらすじ解説と感想~ドストエフスキーも愛したミコーバー夫妻とは

『デイヴィッド・コパフィールド』は1849年から1850年にかけて発表されたディケンズの代表作です。

私が読んだのは新潮文庫の中野好夫訳の『デイヴィッド・コパフィールド』です。

早速あらすじを見ていきます。

誕生まえに父を失ったデイヴィッドは、母の再婚により冷酷な継父のため苦難の日々をおくる。寄宿学校に入れられていた彼は、母の死によってロンドンの継父の商会で小僧として働かされる。自分の将来を考え、意を決して逃げだした彼は、ドーヴァに住む大伯母の家をめざし徒歩の旅をはじめる。多くの特色ある人物を精彩に富む描写で捉えた、ディケンズの自伝的要素あふれる代表作。

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あらすじにもありますように、この作品はディケンズの自伝的な要素をはらんだ彼の代表作であり、サマセット・モームの「世界の十大小説」にも選ばれている名作です。

ディケンズ自身もこの作品をとても気に入っていたそうです。巻末の解説を引用します。

ディケンズ自身も、深くこの作品を愛し、加えて自信を持っていたらしいことは、短い序文の中で、「私の全著作の中で、私はこれが一ばん好きである。……世の多くの甘い親たちと同様に、私も、心の底に、一ばんの可愛い子供というものを持っている。そしてその名は、デイヴィッド・コパフィールドというのだ」と書いているに見てもわかる。

新潮文庫 中野好夫訳『デイヴィッド・コパフィールド』P486

この小説は文庫本にして4冊という大作でありますが、ディケンズの思いが込められた作品となっています。

『デイヴィッド・コパフィールド』ミコーバー夫妻とドストエフスキーの関係

ドストエフスキーがディケンズ作品を特に高く評価していたことはこれまでの記事でもお話ししてきましたが、改めて彼とディケンズについて語られた文を引用します。

幽囚時代のドストエフスキーがいつも読んだのは、『ピックウィック・ぺイパーズ』と『デイヴィッド・カパーフィールド』だけだった。それに一八五七年の手紙にたまたま書かれたある一句は、ディケンズがこの時期の彼に親しまれていたことを証している。ドストエフスキーがシべリアから帰って書いた最初の長篇『虐げれた人々』の中のネリーは『骨董店』(ディケンズの小説、一八四一年)の頁からじかに借りたものだ、ということは批評家たちもつねに認めてきた。

筑摩書房 E・H・カー 松村達雄訳Dostoevsky."P79

ドストエフスキーのシベリア幽囚時代、彼が好んで読んでいたのが今回ご紹介している『デイヴィッド・コパフィールド』だったのです。

そして興味深いことに、その10年以上後の、妻アンナ夫人とのヨーロッパ放浪時代に『デイヴィッド・コパフィールド』の影響が見て取れるシーンが現れるのです。

妻アンナ夫人の回想記には次のように記されています。

一八六九年は、あいかわらず、経済状態はきわめてわるくて貧乏生活をつづけなければならなかった。夫は、『白痴』を書く約束で、印刷紙一枚について百五十ルーブルもらい、それは七千ルーブルほどにものぼっていた。そのうち三千ルーブルは、外国に立つまえに結婚費用として受けとっていた。のこりの四千ルーブルは、ぺテルブルグで質に入れてきた物の利子をはらい、しばしば義理の息子や兄嫁の家族の面倒をみるために使わなければならず、わたしたちの取り分として残りはもういくらもなかった。だがこんなふうに貧乏してはいても、わたしたちは愚痴もこぼさず、ときにはそう気にもかけずに過ごした。夫は、自分のことをミスター・ミコーバー、わたしのことをミセス・ミコーバーと呼んでいた(ディケンズの「デーヴィド・コパーフィールド」に出てくる貧しい楽天家夫妻)。わたしたちは仲よく暮していたし、まもなく新しい幸福が訪れようとしていたので、すべてが順調に行くような気がしたほどだった。

みすず書房 アンナ・ドストエフスカヤ 松下裕訳『回想のドストエフスキー1』P203

ドストエフスキー夫妻のヨーロッパ放浪は借金取りから逃れた国外脱出という側面があった旅でした。結婚前にドストエフスキーは亡き兄と共同で経営していた雑誌社が倒産し莫大な借金を抱えていたのです。

上の引用に出てくる1ルーブリは現代ではおよそ2000円ほどだそうです。

さて、そんなお金に困っていたドストエフスキー夫妻ですが、上の引用にあるようにそこまで落ち込んではいなかったようです。

ドストエフスキーは自分たちをミスター・ミコーバー、ミセス・ミコーバーと呼んでいたほどです。このミコーバー夫妻こそ、ディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』の登場人物だったのです。

先に述べましたように『デイヴィッド・コパフィールド』はディケンズの自伝的小説でもあります。

このミスター・ミコーバーという人物も実はモデルがいます。

それがなんと、ディケンズの実の父親だったのです。

『デイヴィッド・コパフィールド』の巻末の解説を引用します。

I mentioned above that my father John was a junior clerk in the Navy's accounting department. My father, however, was a good man, but he was very easy-going, especially when it came to money, and he was strangely proud of his position. Therefore, although he was not necessarily poorly paid, he always lived in poverty and struggled with debts. In the end, at the age of 12, Dickens was unable to make ends meet and was sent to a debtor's prison in London. The most colorful character in the film is undoubtedly Mista Micawber, the model for the other Mista Micawber.

Shincho Bunko, translated by Yoshio Nakano, David Copperfield㈠, p475-476.

こうしてお金はないが呑気で底抜けの好人物たる父をモデルにディケンズはミコーバー夫妻を作り上げます。

ミコーバー夫妻の印象的なシーンをいくつか挙げてみましょう。

Mr. Micawber's poverty had finally come to a standstill, and one day he was caught early in the morning and taken to the debtors' detention center in Bala Ward. When he left home, he murmured to me that the Way of Heaven was not my fault, and I was saddened, as he must have been. However, I later heard that he was already playing the nine-pillar game in the afternoon.

Shincho Bunko, translated by Yoshio Nakano, David Copperfield㈠, p. 349.

朝に借金で投獄されて嘆いていたかと思ったら午後にはけろっと遊戯にふけるほどの楽天家ぶりがここでは示されています。

また、借金返済の訴訟がうまくまとまり、投獄から解放されることが決まりそうになったときのやりとりが以下の引用です。これはミセス・ミコーバーが夫を心配するあまり精神が不安定になってしまうシーンとなります。ちょっと長いですが引用します。

"Well...(one's) masterhuman (Homo sapiens)I can't throw away a house. I heard that my husband hid the fact that he was in trouble from me in the beginning. Anyway, he was an easygoing optimist, so I guess he thought he could get over it somehow. She gave away her mother's pearl necklace and bracelet at half their market value, and even sold off a set of coral pearls given to her by her father on her wedding day for the same price. Even so, how could I abandon my husband? Yes, I would. Yes, I would," she exclaimed, getting more and more excited. I would never do such a thing, no matter how much he asked me to do it! No matter how much you ask me, I can't do such a thing!

 I was more than a little miffed at this - he said it as if I had asked him to do such a thing - and I looked on, mortified.

I don't deny that my husband is at fault, too. I don't deny that he is a man who has no idea what is going on in his life, and that he never informed me about his property or his debts. But even so, I can't abandon my husband!

 By then, I was all but screeching. Startled, I darted toward the club room. Mr. Micawber sat at the long table hosting the meeting,

  Yes, how about you, pony?

  Yes, how about you, pony?

  Yes, how about you, pony?

  Yes, how, shh, shh!

 He was just about to start a cheerful chorus, but I restrained him for the moment and told him about his wife's unusual condition. Immediately, he burst into tears and came running out with me with the heads and tails of small shrimps he had been eating stuck to his vest.

Emma, my angel! What is wrong with you? he yelled as he rushed into the room.

Hey, Micawber, I would never abandon you."

Oh, precious Emma, I know exactly what you mean," he says, taking his wife in both arms.

He is the father of these children! He is the parent of these twins. My dear, dear husband," Mrs. Micawber exclaimed, writhing in agony.

How could I ever - ever - abandon this master?"

 Mr. Micawber, who was completely moved by this confession of deep affection (come to think of it, I was also in tears), hugged her from above and told her to look up and calm down, as if pleading with her to do so. But the more I told her to look up, the more she stared into the void, and the more I told her to calm down, the more excited she became. Finally, Mr. Micawber became so overwhelmed that he joined us and began to cry.

Shincho Bunko, translated by Yoshio Nakano, David Copperfield㈠, p360-363.

ミセス・ミコーバーが貧困にも負けずどれだけ夫を愛しているか、そしてミスター・ミコーバーの楽天家ぶり、善良っぷりがはっきりとうかがえるシーンです。

そして何より二人の愛情、強い結びつきをこの場面では感じることができます。

またこの場面で興味深いのは、ドストエフスキー夫妻もこれと似たような状況に実際に陥っていたという事実です。

ドストエフスキーはヨーロッパ放浪中、強度のギャンブル中毒になりカジノに狂います。

そのためすってんてんになると身の回りのものを片っ端から質に入れてその場をしのがなければなりませんでした。

その時に奥様の大切な装飾品や服までも質に入れなければならず、いくつかのものは結局取り戻すことはできなかったとアンナ夫人は回想記で述べています。

この回想記にはその時の顛末も含めて、ヨーロッパ放浪時代のことが書かれていますのでドストエフスキーの人となりや人生を知りたい方にはおすすめです。

また、もっと刺激が欲しい方にはこちらの『ドストエーフスキイ夫人 アンナの日記』がおすすめです。

こちらはドストエフスキーがちょうどギャンブル中毒がもっともひどかった時に書かれていた日記です。狂人のごとくカジノに溺れるドストエフスキーを間近で見続けるアンナ夫人の日記です。

「今日はいくら負けて、手元にはもう〇枚のお金しかない」などのかなり生々しいリアルな日々をこの日記から知ることができます。

まさしくミコーバー夫妻の陥った貧困ということができるでしょう。(※ミコーバー夫妻はギャンブルで貧しくなったわけではありません。しかも実際のところはミコーバーどころではなく二人はどん底にあったこともこの日記から見えてきます)

summary

ドストエフスキーとアンナ夫人はヨーロッパ放浪中、極度の貧困に苦しめられました。

しかし、確かに生活は苦しかったもののどこか楽天的な空気も漂っていたようです。

先程も紹介しましたがもう一度アンナ夫人の回想を引用します。

こんなふうに貧乏してはいても、わたしたちは愚痴もこぼさず、ときにはそう気にもかけずに過ごした。夫は、自分のことをミスター・ミコーバー、わたしのことをミセス・ミコーバーと呼んでいた(ディケンズの「デーヴィド・コパーフィールド」に出てくる貧しい楽天家夫妻)。わたしたちは仲よく暮していたし、まもなく新しい幸福が訪れようとしていたので、すべてが順調に行くような気がしたほどだった。

みすず書房 アンナ・ドストエフスカヤ 松下裕訳『回想のドストエフスキー1』P203

ドストエフスキー夫妻は貧しいながらも、ディケンズのユーモアを借りてこの難局を乗り切っていたのではないでしょうか。

貧困のさ中でもディケンズの描くミコーバー夫妻は明るさとユーモアを失うことはありません。

特にミスター・ミコーバーの楽天家ぶりとユーモアはとびきりのものです。

たしかに生活能力はなかったかもしれませんが、それでもなおそんな主人をミセス・ミコーバーも愛し続けたのでしょう。

ドストエフスキーはそんなミスター・ミコーバーに自分を重ねて、暗くならずに愉快に過ごそうとしていたのかもしれません。そしてそんなドストエフスキーを見捨てずに相変わらず愛し続けてくれるアンナ夫人に感謝を込めてミセス・ミコーバーと呼んでいたのかもしれません。

まあ、とはいえギャンブル中毒で狂っていたドストエフスキーはなかなかに強烈なので、このミコーバー夫妻を自分たちに譬えるというジョークを笑って受け入れるアンナ夫人が一番すごいというのが私の率直な感想です。

アンナ夫人は器が大きすぎます。

ドストエフスキー夫妻のヨーロッパ放浪時代は私の中でも最も興味深い時期です。この時期がなければ夫妻の関係は全くちがったものになっていたでしょうし、そもそもCrime and Punishment."以降のドストエフスキーは世界史上に存在していなかったかもしれません。

そんな彼らの生活を知る上でミコーバー夫妻という存在を知れた『デイヴィッド・コパフィールド』はとても有意義な読書となりました。

以上、「ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド』あらすじ解説―ドストエフスキーとの関係」でした。

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