(68)1895年のエンゲルスの死と莫大な遺産について
エンゲルスの遺産はなんと400万ドル、現代の日本円で軽く4億円以上もあったようです。そこにさらに様々な形の資産もあったでしょうから総額で言えばとてつもないものがあったと思われます。そしてそれらのほとんどはマルクス一族に相続されることになりました。
またエンゲルスは本人の希望により死後海洋散骨されることになります。彼のお墓はこの世に存在しないのです。これには私も驚きました。
エンゲルスの遺産はなんと400万ドル、現代の日本円で軽く4億円以上もあったようです。そこにさらに様々な形の資産もあったでしょうから総額で言えばとてつもないものがあったと思われます。そしてそれらのほとんどはマルクス一族に相続されることになりました。
またエンゲルスは本人の希望により死後海洋散骨されることになります。彼のお墓はこの世に存在しないのです。これには私も驚きました。
マルクス亡き後、彼の思想を広めるために身を粉にして奮闘していたエンゲルス。
そのエンゲルスがマルクスの原稿に手を加え『資本論』第3巻は完成という形となりました。
ただ、はたしてこれがマルクスの作品、思想であると言えるのかは微妙なものなのではないでしょうか。
メモの集積をつなぎ合わせたものを果たしてその人の作品、思想と呼べるのか。
しかもそのメモ自体も、膨大な文献を読んでいたマルクスが無秩序に蓄えていたものにすぎません。思想として体系立ててそれが書かれていたかというと疑問が残るというのが正直なところです
Engels was already editing Marx's voluminous manuscript at the time of the first volume of Capital. Even when Marx was alive, Engels was struggling with this task.
What happened after Marx's death?
The work became an unimaginably arduous path.
A huge pile of manuscripts filled with bad writing that is difficult to decipher, incoherent sentences, and disorganized quotations.
Engels was so sick in the eye from all this editing work!
In this article, I will discuss in detail the details of the events and the problems with the second and third volumes of "Capitalism.
誰も読まない、いや読めない難解な『資本論』を一般の人にもわかりやすく広めたことの意義はいくら強調してもし足りないくらい大きなものだと思います。
難解で大部な『資本論』、簡単でコンパクトな『空想から科学へ』。
この組み合わせがあったからこそマルクス主義が爆発的に広がっていったということもできるかもしれません。
エンゲルスの『反デューリング論』はマルクス主義が広まる上でとてつもないインパクトを与えることになりました。
ですが、それに対して近年は「エンゲルスはマルクスを歪めて広めた。その後のマルクス主義が起こした出来事はエンゲルスがその原因である」という批判が強くなります。
はたしてエンゲルスは本当にマルクスを歪めたのか。それともマルクスの難解(理解不能)な思想を見事に噛み砕き解説したのか。これは非常に大きな問題です。
そのことについてこの記事では考えていきます
エンゲルスはかつて経済学と人間の歴史にヘーゲルを適用したように、今度は科学技術にまでもヘーゲルの弁証法を適用しました。
イデオロギーは科学にも適用できるのです。科学と言えば数式のような客観的なデータを連想しますが、それをもイデオロギーの世界観の下構築できるというのは驚きしかありません。
しかもそれらが大真面目に話されていたというのですから、それこそ別世界です。
共産圏の科学の枠組みにさえ影響を与えたエンゲルス、恐るべしです。
Only 11 people attended the funeral of the great Marx, who would later influence countless others...
This surprised me as well.
But conversely, it is interesting to see how Marx, who was largely unknown or unappreciated by the public, took the world by storm from here.
Then, from this point on, that man will finally increase his presence.
It was here that Engels' work finally became significant.
1881年、マルクスは妻の最後を看取ることもできず、自身も病気と闘っていました。世界を動かした巨人マルクスも、晩年は病気に苦しめられ、執筆もほとんど捗ることがありませんでした。
そしてマルクスは『資本論』第2巻、3巻を完成させることなく1883年に亡くなります。
ですがマルクスが死しても、マルクスの物語は終わりません。むしろ、死して後、彼の思想はより巨大なものとなって世界中に大きな影響を与えることになります。そこにいたのはやはりあの男、エンゲルスでした
According to the revolutionary theory of Marx and Engels, a proletariat revolution would take place after capitalism matured and the economy collapsed. Engels confidently stated that a proletariat revolution would take place in Russia, where capitalism had not yet reached maturity. What about the concept of the "law of history" itself, which is sure to prevail in this case?
This article will look at that
マルクス・エンゲルスの強敵はバクーニンだけではありませんでした。
バクーニンは「マルクスの共産主義が独裁的な国家権威主義になることを見抜いていた」非常に危険な存在で、マルクス・エンゲルスが利用しようとしていたインターナショナルを消滅させた難敵でした。
今回紹介するラッサールもそれに劣らず彼らにとって厄介な敵なのでありました。