R. Gombrich, "History of Theravada Buddhism in India and Sri Lanka" - "Who Listened to Buddha's Teachings?" a great book that makes us think about the connection between society and Buddhism.

India Sri Lanka Buddhism in Sri Lanka, Nepal and Southeast Asia

R・ゴンブリッチ『インド・スリランカ上座仏教史』概要と感想~「ブッダの教えは誰が聴いたのか」社会と仏教のつながりを考えさせられる名著

今回ご紹介するのは2005年に春秋社より発行されたリチャード・F・ゴンブリッチ著、森祖道、山川一成訳の『インド・スリランカ上座仏教史―テーラワーダの社会』です。

伝来より現代まで、都市化・人口増加を起因とし、激変していくスリランカにおいて、上座仏教(テーラワーダ)はいかに変貌を遂げたのか。その推移を社会史的視点から考察する。

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This book is highly recommended for learning the general framework of Sri Lankan Buddhism.

Sri Lanka is a country where Theravada Buddhism, which is different from Mahayana Buddhism in Japan, has taken root, as the title of this book suggests. The main flow of this book is to trace the history of Buddhism in Sri Lanka back to the birth of Buddhism in India.

本書の特徴について巻末の訳者あとがきでは次のように述べられています。

原著の概要とその特徴などについて説明する。本書は全八章より成るが、冒頭の第1章「序論」では、まず本書の研究テーマとして「仏教の社会史」という問題を提示している。仏教の歴史、その在り方をこれを取り巻き成立させている外部環境や外的条件としての社会(これは仏教的表現によれば世俗の世間に他ならない)との接点、その視座から考察し検証するという「仏教社会史」の研究は、原書者も述べているように、確かに稀少な試みである。しかも彼がこの問題を説き起すスタートラインに登場するものは、マルクス主義社会思想であり、マックス・ウェーバーの宗教社会学であり、また西欧伝統のキリスト教思想なのである。この点は当代イギリスを代表する知識人としてのゴンブリッチ教授の該博なる文明論的知識教養と視野の広さを如実に示すものと言えよう。この知的視野の広さは、いわば同時代的な横に広がる視野の広さであり、これがまず本書の特徴の一つである。次にもう一つの本書の視野の広さは、仏教史をインド史の発端たるヴェーダ時代より説き起し(これだけで第2章の前半を占める)、インド・スリランカを貫き、近現代にいたるまでの長い通史を論じた、いわば時間的な縦の視界の広さ(長さ)であろう。通常、インド仏教史といえば、当然のことながら、インド亜大陸での歴史に終始し、スリランカ仏教史は、アソーカ王と同時代のスリランカ王、デーヴァーナン・ピヤティッサより始まる。もっともこのスリランカ仏教史だけで、およそニ三〇〇年の長さを有し、これは歴史上、いかなる個別の国地域の仏教史よりも長いわけである。言い換えればこれは史上最長の仏教史であるのだが、このスリランカ仏教史を現代にいたるまで通観し、それをアソーカ王時代までのインド仏教史に連続させて一貫して通論したのが本書であるから、この点も本書の特徴の一つとなっているのである。(中略)

以上のように本書は、ゴータマ・ブッダ出現以前のインド最古代の宗教社会状勢(バラモン教時代)より論を起し、スリランカの近現代仏教史にいたるまでの、インド・スリランカの長い仏教の歩みを上座仏教の通史として社会史的に論述していて、この点が前述の通り、本書の大きな特色となっているわけである。本言の元来の副題が「古代ベナレスから現代コロンボまでの社会史」となっている所以である。

春秋社、リチャード・F・ゴンブリッチ、森祖道、山川一成訳『インド・スリランカ上座仏教史―テーラワーダの社会』P353-355

ここで述べられるように、本書で特徴的なのは「仏教の社会史」という視点があることです。

本書では単に思想的、歴史的な問題だけでなく、当時の社会との関わりの中において仏教がどのように存在していくかを見ていきます。

その中でも特に私の中で印象に残っているのが次の箇所です。

革新が多数の人々、または少なくとも有力者たちの間で受け入れられたのでなければ、歴史はその革新を記憶に止めることはない。過去に花開いたほとんどの宗教は、単にその思想に説得力があったためだけではなく、ある点ではそれらが有力な後援を得た結果、花開いたのである。我々の感情に訴えるものが何であれ、抑圧された人々の宗教はたいていの場合世に知られぬままである(全てがそうとは限らず、キリスト教はその例外である)。

思想的説得力は本来どこに存するのか、あるいはむしろ、これこそが私にとっての真の疑問なのであるが、宗教上の革新はなぜ受け入れられるのか?もちろん宗教は思想のみで成り立つものではなく、感情と行動の諸様式―習慣や制度とを提供する。にもかかわらず、ここでは宗教上の革新と変遷の問題を念頭に置きつつ、行動様式や感情も、まず第一に言語と言語のみが伝達し得る思想を通して語られねばならないと私は考える。従って「思想的説得カ」について論ずることは、宗教上の革新一般について論ずる場合の理に適った手短かで便利な方法なのである。

新しい思想が、当面の問題に対してすでに役立っているものよりもさらに良い解決方法を提供するならば、それは説得力を持って人々に受け入れられるであろう、というのが私の解答なのである。

春秋社、リチャード・F・ゴンブリッチ、森祖道、山川一成訳『インド・スリランカ上座仏教史―テーラワーダの社会』P19-20

これを言い換えるなら、「誰がその教えを聴いたのか」という問題に他なりません。

実は、この「誰がブッダの教えを聴き、感動したのか」という問題について私はこの本を読む直前にとても印象深い経験をすることになりました。

と言いますのも、私は最近インドに初めて行ってきました。しかもその最初の地がハリドワールという、ガンジス上流のヒンドゥー教の聖地だったのです。

ここで沐浴している人々に対し、「沐浴は救いにはなりません」と仮にブッダが言ったとしてそれが何になるでしょうか。ヒンドゥー教(ブッダ在世時はバラモン教)世界に生きる人々に対してブッダの教えはあまりに現実離れで共感不能だったのではないかと私は思ってしまったのです。

私達はかつてインドで仏教が興隆したといいますと、インドの多くの人が仏教に帰依したとイメージしてしまいがちですが、はたしてそれは本当はどうだったのかということをここで強烈に感じたのでありました。

そんな私が帰国後にこの本を読んでどれほど驚いたことか!まさに私が疑問に思った「誰がブッダの教えを聴いたのか」という問題をストレートに論じていたのです。

この本を読めば皆さんもきっと驚くと思います。上の引用では「思想的説得力」という言葉がありましたが、誰にとって何が説得力ある言葉だったのかというのは非常に大きな問題です。これはぜひ多くの方に読んで頂きたい大きな着眼点です。

この本はそんな視点を持ちながらスリランカの仏教まで網羅した恐るべき作品です。

ぜひぜひおすすめしたい名著です。スリランカ仏教の大きな流れを知る上でも非常にありがたい一冊です。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

以上、「R・ゴンブリッチ『インド・スリランカ上座仏教史』~「ブッダの教えは誰が聴いたのか」社会と仏教のつながりを考えさせられる名著」でした。

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