History of China 07: The Mainstream of Chinese Thought and Religion - Also recommended to learn about the revolution in knowledge brought about by the art of printing and its influence on Buddhism and Confucianism!

Chinese History 07 Chinese Buddhism, Thought and History

『中国の歴史07 中国思想と宗教の本流』概要と感想~印刷術がもたらした知の革命や仏教・儒教への影響を知るのにもおすすめ!

今回ご紹介するのは2005年に講談社より発行された小島毅著『中国の歴史07 中国思想と宗教の本流』です。

Let's take a quick look at the book.

中国伝統文化の型を作り上げた変動と改革の時代
士大夫の精神、朱子学の形成

大唐帝国を揺るがせた安史の乱から200年、五代乱離のあとを承けて宋朝建国。文治主義をとったことの功罪は、いかなるものだったか。北方の異民族王朝に対し絶えず軍事的劣勢にありながらも、後世まで規範となる政治・社会・経済システムを作り上げ、文化の華がひときわ咲き誇った宋朝300年の歴史を通観する。

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この本では960年から1276年にわたって中国を統治した宋という国の歴史を学ぶことができます。

平清盛(1118-1181)Wikipedia.

宋といえば私の中で平清盛の日宋貿易のイメージしかなかったのですがこの本を読んで驚きました。隋や唐と比べて印象が薄い宋ではありますが、中国文化が圧倒的に洗練されたものになったのはこの時代だったのでした。

本書ではそんな唐の歴史とともにその文化面も詳しく見ていくことができます。写真も豊富ですのでその見事な陶磁器の姿も見ることができます。視覚的にイメージできるのでこれはありがたいです。

そして私が最も驚いたのは印刷術の発明によってもたらされた革命的な変化です。「本を読む」という行為が決定的に変容したその瞬間が非常に興味深かったです。せっかくですのでその箇所を見ていきましょう。本が登場するまでの書物は竹簡や木簡、帛書(絹に書いたもの)が多く、紙に書かれたものは巻物として保管されていました。

書物はかなりの長さの(巻)を単位として、丸めて保管されていたのである。したがって、ある作品を閲読する際には、各巻のはじめの部分はすぐに見ることができるものの、途中の部分を見るには文字通り巻物をほどいていかなければならなかった。巻物(これを〈巻子本〉という)を広げるにはそれ相応の空間が必要で、調べ物のために何種類もの書物を同時に広げて比較検討するという作業は困難であった。というより、そもそもそうした調べ方自体が存在しなかったであろう。書物とは即座に開いて参照すべきものではなく、基本的にはその内容を記憶すべきものだった。

しかし、刷ることによる書物の製作は、本の様式を変えた。版木で刷れば、刷られたものは元の版木の横幅を単位とするかたまりの集積となる。版木の横幅が〈頁〉という概念を生んだ。はじめはそれらをつなげて巻物にしていたであろう。やがて、巻物を頁単位で折り畳む方法〈折り本〉が考案される。そのほうが、頁ごとに刷られた版面を見やすいからだ。ファクシミリ初期の頃、受信した内容が長くてロール式の印字紙がだらだらと出てきた時に、これを頁の切れ目ごとに山折りと谷折りを交互に繰り返し、折り畳んでいった経験をお持ちではなかろうか。あれである。今でも葬儀・法事でお坊さんが懐から取りだすお経がこの形態をしている。宋代の大蔵経はそもそもこうして製本されていた。

やがてこれを折り畳むのではなく、切断して束ねるという手法が編み出される。その場合、今でも会議資料などをクリップで留めるように、端を綴じるということもあったろう。いわば大福帳方式である。だが、これでは厚い本に不向きで本を広げるのに版面の二倍の面積が必要になる。こうして考え出されたのが、頁の中心を糸で綴じ合わせ、谷折りで重ねられた版面を見開きで書見するという形態のものであった。これは頁を広げた時に蝶のような形になることから胡蝶綴じと呼ばれている。宋代には書物は主としてこの形態であった。(中略)

これは読書行為にとって革命的ともいえる変化だった。まずは、巻の途中であろうと、いつでも必要なところを参照できるようになった。付箋を挟んでおけばなおよい。瞬時にしてその部分を開くことができる。うろ覚えの内容を、すぐに原典で確認できる。しかも、版木と同じ大きさの場所があれば一冊の書物を開くことができる。何冊もの書物を同時に広げて比較検討することが可能になった。「甲の本ではこうあるが、乙の本では同じことをこう記録している」―一字一字についての校訂作業や、ある事件の記述をめぐる考証の学風が興るための技術的な前提である。人並み外れた記憶力を誇る人物でなくても、こうした作業への参加が可能になった。

講談社、小島毅『中国の歴史07 中国思想と宗教の本流』P233-235

「書物とは即座に開いて参照すべきものではなく、基本的にはその内容を記憶すべきものだった。」

これは盲点でした。たしかに巻物だと読みたい場所を瞬時に開くことはできません。しかも上で指摘されていたように、他の文献と比較することができなかったというのも言われてみれば「なるほど!」となりますよね。

そこで登場したのが印刷本で、これが私たちが今「書物」としてイメージする「本」の原型だったというのですからこれは目から鱗でした。

「巻の途中であろうと、いつでも必要なところを参照できるようになった。付箋を挟んでおけばなおよい。瞬時にしてその部分を開くことができる。うろ覚えの内容を、すぐに原典で確認できる」ことで、もはや超人的な暗記能力は必要なくなりました。もちろん、暗記できればできるほどよいことに変わりはありませんが、それよりも資料を比較検討しそこから自由闊達に思索していくことが重要になる時代に変化したというのは極めて重大な意義を持っているのではないでしょうか。

これはインターネットやAIが驚くべき速度で発達している現代とも重なるかもしれません。私達現代人にとっても「知識の意義」が根底から問われているようにも思います。

宋時代に印刷術が発達し、知識の意義が大きく変わりました。その変化に仏教も儒教も道教も大きな影響を受けています。その点についてもこの本では見ていくことができます。これは刺激的な読書になりました。

ぜひぜひおすすめしたい一冊です。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

以上、「『中国の歴史07 中国思想と宗教の本流』~印刷術がもたらした知の革命や仏教・儒教への影響を知るのにもおすすめ!」でした。

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