ロシア文学

ブログ筆者イチオシの作家エミール・ゾラ

エミール・ゾラの小説スタイル・自然主義文学とは~ゾラの何がすごいのかを考える

ある作家がどのようなグループに属しているのか、どのような傾向を持っているのかということを知るには〇〇主義、~~派という言葉がよく用いられます。

ですが、いかんせんこの言葉自体が難しくて余計ややこしくなるということがあったりはしませんでしょうか。

そんな中、ゾラは自分自身の言葉で自らの小説スタイルである「自然主義文学」を解説しています。それが非常にわかりやすかったのでこの記事ではゾラの言葉を参考にゾラの小説スタイルの特徴を考えていきます。

壊滅ブログ筆者イチオシの作家エミール・ゾラ

ゾラ『壊滅』あらすじと感想~フランス第二帝政を崩壊させた1870年普仏戦争を見事に活写! 戦争文学の傑作!

今作は日本ではあまり知られてはいませんが戦争文学の金字塔と評価されている作品です。

ゾラ得意の五感を刺激する文章はまるで自分が間近で戦争を見ているかのような感覚にさせます。

ゾラはやはり芸術家です。読む者に恐るべきインスピレーション、イメージ、ショックを与えます。彼は単に世の中の相を写し取っただけではなく、それを芸術に昇華させています。

『壊滅』は叢書のクライマックスにふさわしい重厚な作品でした。戦争文学の傑作、金字塔という名声は疑いようもありません。素晴らしい作品でした。

獣人ブログ筆者イチオシの作家エミール・ゾラ

ゾラ『獣人』あらすじと感想~『罪と罰』にインスパイアされたゾラの鉄道サスペンス!殺人は理性か本能か!

理性で殺したラスコーリニコフ、本能で殺したジャック。

この二人の主人公の対比はドストエフスキーとゾラの人間観の違いを最も明確に示しているのではないでしょうか。

『罪と罰』にはまった人ならぜひともこちらの作品も読んで頂けたらなと思います。

バルザックの『ゴリオ爺さん』(以下の記事参照)と共におすすめしたい一冊です。

ゾラブログ筆者イチオシの作家エミール・ゾラ

19世紀後半のフランス社会と文化を知るならゾラがおすすめ!エミール・ゾラ「ルーゴン・マッカール叢書」とは

前回の記事「エミール・ゾラが想像をはるかに超えて面白かった件について―『居酒屋』の衝撃」ではエミール・ゾラの「ルーゴン・マッカール叢書」なるものがフランス第二帝政のことを学ぶにはもってこいであり、ドストエフスキーを知るためにも大きな意味があるのではないかということをお話ししました。

この記事ではその「ルーゴン・マッカール叢書」とは一体何なのかということをざっくりとお話ししていきます。

ゾラブログ筆者イチオシの作家エミール・ゾラ

『居酒屋』の衝撃!フランス人作家エミール・ゾラが面白すぎた件について

ゾラを知ることはそのままフランス社会を学ぶことになり、結果的にドストエフスキーのヨーロッパ観を知ることになると感じた私は、まずゾラの代表作『居酒屋』を読んでみることにしました。

そしてこの小説を読み始めて私はとてつもない衝撃を受けることになります。

ゾラは恐るべき作家です。

この人は間違いなく読む価値がある…

私はエミール・ゾラという作家に強烈に惹き付けられてしまったことを感じました。

ゾラとドストエフスキーブログ筆者イチオシの作家エミール・ゾラ

フランス人作家エミール・ゾラとドストエフスキー ゾラを知ればドストエフスキーも知れる!

フランス第二帝政期は私たちの生活と直結する非常に重要な時代です。

そしてドストエフスキーはそのようなフランスに対して、色々と物申していたのでありました。

となるとやはりこの時代のフランスの社会情勢、思想、文化を知ることはドストエフスキーのことをより深く知るためにも非常に重要であると思いました。

第二帝政期のフランスをさらに深く知るには何を読めばいいだろうか…

そう考えていた時に私が出会ったのがフランスの偉大なる作家エミール・ゾラだったのです。

鹿島茂フランス文学と歴史・文化

鹿島茂『絶景、パリ万国博覧会 サン=シモンの鉄の夢』渋沢栄一も訪れたパリ万国博覧会―欲望喚起の装置としてのパリ万博

パリ万博はロンドンのようにフランスの工業化を進めるというだけではなく、欲望の追求を国家レベルで推し進めようとした事業でした。

これはフランス第二帝政という時代を考える上で非常に重要な視点であると思います。

ドストエフスキーはこういう時代背景の下、パリへと足を踏み入れたのです。

このような背景を知るとドストエフスキー作品がまた違った味わいを見せてくれるのではないでしょうか。

水晶宮物語フランス文学と歴史・文化

松村昌家『水晶宮物語 ロンドン万国博覧会1851』~世界初の万国博覧会とドストエフスキーのつながり

ロンドン万博は世界で初めて開かれた万国博覧会で、1851年にその歴史は始まりました。

その頃ドストエフスキーはというと、シベリアのオムスク監獄で流刑生活を送っていました。

ドストエフスキーは1862年に初のヨーロッパ旅行に出かけています。そしてその時にロンドンを訪れており、第一回ロンドン万博後も残されていたこの水晶宮も見たと言われています。

この記事では松村昌家著『水晶宮物語 ロンドン万国博覧会1851』を参考にお話を進めていきます。

フランス文学と歴史・文化

ナポレオン三世のフランス第二帝政とドストエフスキーの意外なつながりとは

ナポレオン三世のフランス第二帝政期はドストエフスキーが初めて自分の目で見たフランスであり、この時代のフランスが後の世界のライフスタイルを決定づけていくという意味でも非常に重要な時代です。

この時代を知ることによって、ドストエフスキーが五大長編で何を言いたかったのかということがより明確になっていくのではないでしょうか。

ゴリオ爺さんフランス文学と歴史・文化

バルザック『ゴリオ爺さん』あらすじと感想―フランス青年の成り上がり物語~ドストエフスキー『罪と罰』とのつながりとは

『ゴリオ爺さん』は1830年に出版されたバルザックの代表作で、世界十大小説のひとつに入るほどの名作とされています。

この小説を読んで、私は驚きました。

というのも、主人公の青年ラスティニャックの置かれた状況が『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフとそっくりだったのです。

『ゴリオ爺さん』を読むことで、ドストエフスキーがなぜラスティニャックと似ながらもその進む道が全く異なるラスコーリニコフを生み出したのかということも考えることが出来ました。