ドストエフスキー

師の家の記録ドストエフスキー作品

ドストエフスキー『死の家の記録』あらすじと感想~シベリア流刑での極限生活を描いた傑作!

この作品は心理探究の怪物であるドストエフスキーが、シベリアの監獄という極限状況の中、常人ならざる囚人たちと共に生活し、間近で彼らを観察した手記なのですから面白くないわけがありません。あのトルストイやツルゲーネフが絶賛するように、今作の情景描写はまるで映画を見ているかのようにリアルに、そして臨場感たっぷりで描かれています。
この小説はドストエフスキー作品の中で『罪と罰』と並んでその入り口としておすすめな作品です。

ドストエフスキードストエフスキー作品

ドストエフスキー『叔父の夢』、『ステパンチコヴォ村とその住人』あらすじ・感想

今回紹介する2作品はドストエフスキーが4年間のシベリア流刑を終え、セミパランチスクでの一兵卒として勤務していた時代に書かれたものです。

セミパランチスクは現在ではカザフスタン北部にあたり、ドストエフスキーが滞在した当時、ロシアの国境警備隊がここに駐屯していました。

ドストエフスキーはシベリア流刑の後、すぐにサンクトペテルブルクに帰ることは許されず、そのまま辺境の地で国境警備隊としての任を与えられることになっていました

ドストエフスキー初期作品ドストエフスキー作品

ドストエフスキー初期作品あらすじまとめ

この記事では1846年から1849年のシベリア流刑までに書かれた作品のあらすじを簡潔にまとめていきます。

ドストエフスキーといえば『罪と罰』や『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』など、長編のイメージが強いですが実はその作家人生の初期には多くの短編を書いていました。

ですが、デビュー作『貧しき人びと』の後の彼は苦悩が続きます。文壇からは酷評続きでヒット作と呼べるようなものがまったく出てこないのです。

これから紹介していく初期短編はドストエフスキーのそんな苦悩の時代の作品になります。

二重人格ドストエフスキー作品

ドストエフスキー『二重人格(分身)』あらすじと感想~自意識過剰男が狂気にまっしぐら。私のお気に入り作品

個人的には私はこの作品が大好きです。

初めて読んだ時は新ゴリャートキンの存在に混乱してしまいましたが、もう一度じっくり読んでいくと主人公の旧ゴリャートキンにとても感情移入してしまいました。

彼はたしかに不器用で世渡り下手で卑屈な言動を繰り返すのですが、世渡り上手なイケてる人間にはない魅力が彼にはあるのです。

私はそうした旧ゴリャートキンに共感を覚えます。

『二重人格』は『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』といった長編作品とはまた違った魅力がいっぱいの作品です。

ドストエフスキー作品

ドストエフスキーのデビュー作『貧しき人びと』あらすじと感想~貧しくも美しい心を持つ2人の恋の物語 

この作品は中編小説ということでドストエフスキーの五大長編と比べると手頃で手に取りやすい作品であるのですが、ドストエフスキーの入門としていきなりこれを読むと理解するのはなかなか難しいかもしれません。

ある程度の前知識が必要とされますが、逆に言えばそれさえあればドストエフスキーの貧しい人や虐げられた人への優しさ、愛情がこの作品では感じられます。

ドストエフスキーの原点とも言える作品です。

ゾラとドストエフスキーブログ筆者イチオシの作家エミール・ゾラ

エミール・ゾラとドストエフスキーまとめ―「ルーゴン・マッカール叢書」を読んで

この記事ではゾラとドストエフスキーについての所感をまとめています。

私自身、フランスのことをここまでやるとは考えていなかったので、遠回りになってしまったなと思いつつ、思いがけない収穫があったのでとても満足しています。

正直、私はフランスのことがあまり好きではなかったのですが、今はむしろ好きになってきている自分がいます。恥ずかしながら今やパリに行きたくて仕方がないほどになっています。

食わず嫌いだったというわけではありませんが、相手のことをよく知ってみると意外といいところも見えてくるなと改めて思わされた体験となりました。

木村泰司ブログ筆者イチオシの作家エミール・ゾラ

木村泰司『印象派という革命』ゾラとフランス印象派―セザンヌ、マネ、モネとの関係

前回までの記事では「日本ではなぜゾラはマイナーで、ドストエフスキーは人気なのか」を様々な面から考えてみましたが、今回はちょっと視点を変えてゾラとフランス印象派絵画についてお話ししていきます。

私はゾラに興味を持ったことで印象派絵画に興味を持つことになりました。

それとは逆に、印象派絵画に興味を持っている方がゾラの小説につながっていくということもあるかもしれません。ぜひともおすすめしたい記事です

ゾラとドストエフスキーブログ筆者イチオシの作家エミール・ゾラ

ゾラとドストエフスキーの人間観の違い・空白の有無について考えてみた

この記事ではゾラとドストエフスキーの人間観、そして空白の有無という切り口から2人の作家を考えていきます。

空白の有無が謎を呼び、その謎が議論を生み、議論が議論を拡大する。

ゾラとドストエフスキーの違いがこうした面からも見れたのは私にとっても非常に興味深いものでありました。

ゾラとドストエフスキーブログ筆者イチオシの作家エミール・ゾラ

ゾラから見るフランス人と日本人の道徳観の違いと時代背景

ヨーロッパと日本という関係性、道徳観の違い。

これもゾラが日本でマイナーであった大きな要因であるように思います。

ですが現代はかつてのように貧しい社会や強力な「家の論理」が支配する日本ではありません。

何度もこのブログで申していますように、フランス第二帝政期は私たちのライフスタイルに直結しています。

現代を生きる私たちの生活はまさにゾラの描く世界がベースにあるのです。

であるならば、日本においては今こそゾラの描く小説が最も意味を持つ時代なのかもしれません。

ゾラとドストエフスキーブログ筆者イチオシの作家エミール・ゾラ

日本ではなぜゾラはマイナーで、ドストエフスキーは人気なのか―ゾラへの誤解

前回の記事ではフランスでの発行部数からゾラの人気ぶりを見ていきました。

その圧倒的な売れ行きからわかるように、ゾラはフランスを代表する作家です。

ですが日本で親しまれている大作家が数多くいる中で、ゾラは日本では異様なほど影が薄い存在となっています。

なぜゾラはこんなにも知名度が低い作家となってしまったのでしょうか。

今回の記事では日本でゾラがマイナーとなってしまった理由と、それと比較するためにドストエフスキーがなぜ日本で絶大な人気を誇るのかを考えていきたいと思います。