チェーホフ

ロシアの大作家チェーホフの名作たち

チェーホフ『箱にはいった男』あらすじと感想~精神の自由を放棄した奴隷人間の末路

「箱に入った男」ことベーリコフはその小心さ故自分で何かを決めることができず、お上、つまり権力者のお墨付きがなければ生きていけない人間です。

お上による禁止というのは従う側にとっては何も考える必要がありません。ただそれを破った人間が悪。単純明快です。

しかしこれが許可とか認可になると、どこまでがよくて何をしたらだめかはある程度自分で考えなければなりません。彼は自分で考えることをとにかく恐れるのです。

この作品を読んでいると今の日本とほとんど変わらない状況が浮かび上がってきます。

この作品は今こそ読みたいおすすめな作品です。

退屈な話ロシアの大作家チェーホフの名作たち

チェーホフ『黒衣の僧』あらすじと感想~天才と狂気は紙一重?思わず考えずにはいられない名作

天才とは何なのか。逆に言えば狂気とは何なのか。人と違ったことを考えたり、人と違うものが見えることが狂気であるならば、天才とはもれなく治療の必要な狂人となってしまうではないか。

そして巷でもてはやされる天才が結局そうではない以上、凡人が天才として祭り上げられているに過ぎないのではないか。そんな世の中などうんざりだと主人公コーヴリンは語ります。

これはとても考えさせられますよね。

天才ってそもそもなんだろう。狂気と紙一重のものなのではないだろうか。

これはとても面白いテーマです。そして同時に恐ろしくもあります。そんな恐るべき深淵をチェーホフは得意のシンプルな語りで問いかけてきます。

退屈な話ロシアの大作家チェーホフの名作たち

チェーホフ小説の極み!『六号病棟』あらすじと感想~あまりに恐ろしく、あまりに衝撃的な作品

まず皆さんにお伝えしたいことがあります。

それは「この作品はあまりに恐ろしく、あまりに衝撃的である」ということです。

この作品はチェーホフ作品中屈指、いや最もえげつないストーリーと言うことができるかもしれません。

この作品はチェーホフどころか、最近読んだ本の中でも特に強烈な印象を私に与えたのでした。これはもっともっと日本で広がってほしい作品だと私は思います。

ロシアの大作家チェーホフの名作たち

サハリン体験を経たチェーホフの人間観の変化とは~理想主義と決別し、トルストイを超えんとしたチェーホフ

人間の可能性を信じるオプチミズム。

「人間は真実を求めて二歩前進し、一歩後退する。苦悩や過ち、退屈が、人間を後ろに投げ返すが、真実の渇きと不屈の意志は、前へ前へと駆り立てる」という人生観がチェーホフにはあります。

地獄の島サハリン島を経て書かれた『決闘』はチェーホフの思想を知る上でも非常に重要な作品となっています。

ロシアの大作家チェーホフの名作たち

「理想は人を救わない」と説くチェーホフの真意とは~『決闘』から見るチェーホフとトルストイの関係

チェーホフは作家として確固たる地位を抱いてから晩年にいたるまでトルストイと親しく交流していました。

しかし芸術家トルストイ、そして人間トルストイとしては亡くなるまで尊敬の意を持っていましたが作家、思想家としてのトルストイとは距離を置くようになっていきます。彼の中でトルストイ思想との決別があったのです。

それがいよいよ形になって現れ出てくるのが『決闘』という作品だったのです。

ともしびロシアの大作家チェーホフの名作たち

チェーホフ『決闘』あらすじと感想~ロシア文学の伝統「余計者」の系譜に決着を着けた傑作

チェーホフはこの作品の主人公に「ロシアの余計者」の血を引くラエーフスキーという人物を置きました。

ロシア文学の伝統とも言える「余計者」たちは人生に飽き、生きることに投げやりな存在でした。しかしチェーホフはこの作品においてそんな余計者の末裔ラエーフスキーに試練を与えます。

チェーホフは人生の意味は何かを問い続けた作家です。その彼にとって「人生は意味のない虚しいものだ、どうせ自分にはどうしようもない」と投げやりになっている余計者たちの思想をどう乗り越えていくのかというテーマは非常に重要なものであったように思われます。

ロシアの大作家チェーホフの名作たち

『サハリン島』あらすじ感想―チェーホフのシベリア体験~ドストエフスキー『死の家の記録』との共通点

サハリンと言えば私たち北海道民には馴染みの場所ですが、当時のサハリンは流刑囚が送られる地獄の島として知られていました。チェーホフは頭の中で考えるだけの抽象論ではなく、実際に人間としてどう生きるかを探究した人でした。まずは身をもって人間を知ること。自分が動くこと。そうした信念がチェーホフをサハリンへと突き動かしたのでした

チェーホフ論ロシアの大作家チェーホフの名作たち

トーマス・マン『チェーホフ論』~ドイツのノーベル賞作家が語る『退屈な話』の魅力とは

『魔の山』、『ヴェニスに死す』などで有名なドイツのノーベル賞作家トーマス・マンは『チェーホフ論』という論文を書いています。その中で彼は一番好きな作品として『退屈な話』を挙げています。

今回の記事ではその『チェーホフ論』を見ていきながら、彼の『退屈な話』評を見ていきたいと思います。

退屈な話ロシアの大作家チェーホフの名作たち

チェーホフ『退屈な話』あらすじと感想~トルストイも絶賛した名作短編

この作品のタイトルは『退屈な話』ですが、読んでみると退屈どころではありません。とてつもない作品です。

地位や名誉を手に入れた老教授の悲しい老境が淡々と手記の形で綴られていきます。

『魔の山』で有名なドイツの文豪トーマス・マンが「『退屈な』とみずから名乗りながら読む者を圧倒し去る物語」とこの作品を評したのはあまりに絶妙であるなと思います。まさしくその通りです。この作品は読む者を圧倒します。

そしてあのトルストイもこの作品の持つ力に驚嘆しています。ぜひおすすめしたい名著です

ともしびロシアの大作家チェーホフの名作たち

チェーホフ『かけ』あらすじと感想~真の自由とは何かを探究した名作短編

この作品はページ数にしてたったの10ぺージほどの短編です。しかしこの短編の中に驚くほどの思索が込められています。

真の自由とは何か。私たちは何に囚われているのかということをチェーホフはこの作品で問いかけています。

恐るべし、チェーホフ・・・

長編小説で長々と物語を語りながら根源的な深い問題について考えていくならまだわかります。しかし10ページほどの短編でこれだけ凝縮された思想問題を語ってしまうのは異常だと思いました。チェーホフには本当に驚かされます。