猟人日記

ツルゲーネフの代表作『猟人日記』あらすじと解説~ツルゲーネフの名を一躍文壇に知らしめた傑作

『猟人日記』ではツルゲーネフの芸術性がいかんなく発揮されています。彼の自然に対する美的センスは並外れたものがあるようです。

また、この作品は彼の幼少期、虐げられた農奴の姿を目の当たりにしていたことも執筆の大きな要因となっています。

そしてこの『猟人日記』によってロシア社会は大きな衝撃を受け、これを読んだ皇帝アレクサンドル2世が農奴解放令の布告を決心したとも言われています。

ツルゲーネフを代表する芸術作品としてだけではなく、ロシア社会の実態を捉えたという点でもこの作品の持つ意味は大きなものであると言えそうです。

ヴィアルドー

ツルゲーネフとヴィアルドー夫人の宿命の恋~ツルゲーネフの運命を決めたオペラ女優の存在

ツルゲーネフは大地主の御曹司でしかも容姿端麗。文壇のスターとして活躍し、さらに社交界では軽妙洒脱な話術や抜群の知性で伊達男として通っていました。これはモテないわけがありません。これはドストエフスキーと比べても興味深いです。彼とは真逆のモテっぷりです。ツルゲーネフは若い頃から恋多き男でした。

しかし、そんな彼でしたが生涯結婚することはありませんでした。

彼には生涯にわたって愛し続けた一人の女性がいたのです。

それがポーリーヌ・ヴィアルドーというオペラの歌姫だったのです。

この記事ではそんなツルゲーネフの恋についてお話ししていきます。ドストエフスキーとの比較も興味深かったです。

ツルゲーネフ側から見たプーシキン講演~ドストエフスキーとの最終決戦の結末はいかに!?

1880年、ツルゲーネフはモスクワでプーシキン像除幕式の記念講演に招待されます。この講演会はドストエフスキーも招待されていて、最晩年の2人が直接その文学論を戦わせた歴史的な一日として有名です。

ドストエフスキー伝記や参考書ではこのプーシキン講演がドストエフスキーの名声の絶頂として描かれることが多く、ツルゲーネフはその引き立て役、あるいは敵役として描かれがちです。

そのためドストエフスキー側からツルゲーネフを見るとどうしても偏ったものになってしまいます。

というわけで今回はツルゲーネフ側から見たプーシキン講演を見ていきたいと思います。

ツルゲーネフとドストエフスキー『悪霊』の関係~芸術家ツルゲーネフの粋な行動とは

ドストエフスキーは自身の作品『悪霊』でツルゲーネフを風刺したカルマジーノフという人物を描き、こっぴどくやっつけることになりました。

このように風刺されるというのはツルゲーネフにとってもかなりの痛手となったと思われます。

ですが彼は個人的な関係を超えて芸術を愛します。

ドストエフスキーとは仲違いしてしまいましたが、彼の作品についてはその価値を十分に評価しているのです。そして公正にもフランスの作家に彼を紹介するということまでしているのです。これは芸術を愛するが故に行われた尊敬すべき行動だと私は思います。

ロシア文学史に残るドイツでのドストエフスキーとツルゲーネフの大喧嘩

1845年に初めて顔を合わせ、間もなく犬猿の仲となったドストエフスキーとツルゲーネフ。

彼らの因縁は2人の最晩年まで続くことになります。

そんな2人が決定的な衝突をした有名な事件が1867年、ドイツのバーデン・バーデンという世界的に知られる保養地で起こることになりました。

この記事ではそんな二人の衝突についてお話ししていきます。

スラブ派・西欧派とは?ドストエフスキーとツルゲーネフの立場の違い―これがわかればロシア文学もすっきり!

ドストエフスキーやツルゲーネフ、トルストイの作品や解説を読んでいてよく出てくるのがタイトルにもあるスラブ派・西欧派という言葉。

当時のロシア文学は純粋な娯楽や芸術としてだけではなく、国や人間のあり方について激論を交わす場として存在していました。

彼らにとっては文学とは自分の生き方、そして世の中のあり方を問う人生を賭けた勝負の場だったのです。

その尋常ではない熱量、覚悟が今なお世界中でロシア文学が愛されている理由の一つなのではないかと私は考えています。

ツルゲーネフとドストエフスキーの出会い―因縁のはじまり

ツルゲーネフとドストエフスキーの不仲は有名な話となっています。

それは文学における思想の違いだけでなく、性格の違いや個人的ないざこざも絡み、二人の最晩年までそのライバル関係は続くことになりました。

今回の記事ではそんな二人が初めて出会ったシーンを紹介していきます。

時は1845年、ドストエフスキーがデビュー作『貧しき人びと』を完成させ、批評家ベリンスキーに激賞されたことで一躍文壇のニュースターとなった頃のお話です。その頃、ツルゲーネフは期待の若手としてすでに文壇で活躍し始めていました。

トゥルゲーネフ伝

ツルゲーネフの青年期に起きた海難事故―若き文豪の意外なエピソード

今回紹介するお話は「若い日に出合った海難事故に際しての「大きな坊ちゃん」らしい無様さ」と伝記作家アンリ・トロワイヤが形容したエピソードになります。

この海難事故はツルゲーネフが20歳になる年のエピソードです。

若い頃の話ですので伝記でもかなり早い段階でこのエピソードと対面することになりました。

初めてこの出来事を知った時はかなり驚きました。ドストエフスキーのライバルと呼ばれるほどの大文豪がこんな若き日を過ごしたというのは衝撃でした。

トゥルゲーネフ伝

ツルゲーネフの農奴制嫌悪のはじまりと暴君のごとき母ードストエフスキーとの比較

この記事ではアンリ・トロワイヤの『トゥルゲーネフ伝』と佐藤清郎の『ツルゲーネフの生涯』を参考にツルゲーネフの文学人生の原体験となった彼の幼少期と青年期をざっくりと見ていきます。

ツルゲーネフの母ヴァルヴァーラはまるで専制君主のような暴君ぶりで農奴に恐れられていました。

ツルゲーネフは間近で虐待される農奴の姿を同情の目で見ていました。そしてそのまなざしは単なる他人事ではなく、彼自身が感じる恐怖と憎しみと一体化したものでした。

ツルゲーネフの幼少期はそうした非常に気の毒なものでした・・・

トゥルゲーネフ伝

アンリ・トロワイヤ『トゥルゲーネフ伝』~ツルゲーネフのおすすめ伝記!

トロワイヤは彼の他の伝記作品と同じく、この作品でも物語的な語り口でツルゲーネフの生涯を綴ります。

特に、ドストエフスキーをもっと知りたいという方には必見です。ドストエフスキーがなぜ彼をこんなにも毛嫌いしたかがよくわかります。そして、そんなツルゲーネフがなぜそのようになっていったのかも幼少期から遡って知ることができます。

ひとつひとつのエピソードがとても興味深かったです。

とてもおすすめな伝記です。