ロシアの文豪ツルゲーネフ

ロシアの文豪ツルゲーネフ

スラブ派・西欧派とは?ドストエフスキーとツルゲーネフの立場の違い―これがわかればロシア文学もすっきり!

ドストエフスキーやツルゲーネフ、トルストイの作品や解説を読んでいてよく出てくるのがタイトルにもあるスラブ派・西欧派という言葉。

当時のロシア文学は純粋な娯楽や芸術としてだけではなく、国や人間のあり方について激論を交わす場として存在していました。

彼らにとっては文学とは自分の生き方、そして世の中のあり方を問う人生を賭けた勝負の場だったのです。

その尋常ではない熱量、覚悟が今なお世界中でロシア文学が愛されている理由の一つなのではないかと私は考えています。

ロシアの文豪ツルゲーネフ

ツルゲーネフとドストエフスキーの出会い―因縁のはじまり

ツルゲーネフとドストエフスキーの不仲は有名な話となっています。

それは文学における思想の違いだけでなく、性格の違いや個人的ないざこざも絡み、二人の最晩年までそのライバル関係は続くことになりました。

今回の記事ではそんな二人が初めて出会ったシーンを紹介していきます。

時は1845年、ドストエフスキーがデビュー作『貧しき人びと』を完成させ、批評家ベリンスキーに激賞されたことで一躍文壇のニュースターとなった頃のお話です。その頃、ツルゲーネフは期待の若手としてすでに文壇で活躍し始めていました。

トゥルゲーネフ伝ロシアの文豪ツルゲーネフ

ツルゲーネフの青年期に起きた海難事故―若き文豪の意外なエピソード

今回紹介するお話は「若い日に出合った海難事故に際しての「大きな坊ちゃん」らしい無様さ」と伝記作家アンリ・トロワイヤが形容したエピソードになります。

この海難事故はツルゲーネフが20歳になる年のエピソードです。

若い頃の話ですので伝記でもかなり早い段階でこのエピソードと対面することになりました。

初めてこの出来事を知った時はかなり驚きました。ドストエフスキーのライバルと呼ばれるほどの大文豪がこんな若き日を過ごしたというのは衝撃でした。

トゥルゲーネフ伝ロシアの文豪ツルゲーネフ

ツルゲーネフの農奴制嫌悪のはじまりと暴君のごとき母ードストエフスキーとの比較

この記事ではアンリ・トロワイヤの『トゥルゲーネフ伝』と佐藤清郎の『ツルゲーネフの生涯』を参考にツルゲーネフの文学人生の原体験となった彼の幼少期と青年期をざっくりと見ていきます。

ツルゲーネフの母ヴァルヴァーラはまるで専制君主のような暴君ぶりで農奴に恐れられていました。

ツルゲーネフは間近で虐待される農奴の姿を同情の目で見ていました。そしてそのまなざしは単なる他人事ではなく、彼自身が感じる恐怖と憎しみと一体化したものでした。

ツルゲーネフの幼少期はそうした非常に気の毒なものでした・・・

トゥルゲーネフ伝ロシアの文豪ツルゲーネフ

アンリ・トロワイヤ『トゥルゲーネフ伝』~ツルゲーネフのおすすめ伝記!

トロワイヤは彼の他の伝記作品と同じく、この作品でも物語的な語り口でツルゲーネフの生涯を綴ります。

特に、ドストエフスキーをもっと知りたいという方には必見です。ドストエフスキーがなぜ彼をこんなにも毛嫌いしたかがよくわかります。そして、そんなツルゲーネフがなぜそのようになっていったのかも幼少期から遡って知ることができます。

ひとつひとつのエピソードがとても興味深かったです。

とてもおすすめな伝記です。

ロシアの文豪ツルゲーネフ

ロシアの文豪ツルゲーネフの生涯と代表作を紹介―『あいびき』や『初恋』『父と子』の作者ツルゲーネフの人間像

ドストエフスキーのライバル、ツルゲーネフ。彼を知ることでドストエフスキーが何に対して批判していたのか、彼がどのようなことに怒り、ロシアについてどのように考えていたかがよりはっきりしてくると思われます。

また、ツルゲーネフの文学は芸術作品として世界中で非常に高い評価を得ています。

文学としての芸術とは何か、そしてそれを補ってやまないドストエフスキーの思想力とは何かというのもツルゲーネフを読むことで見えてくるのではないかと感じています。

芸術家ツルゲーネフの凄みをこれから見ていくことになりそうです。