フロイトの『レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期の想い出』に見るフロイト理論の仕組みとその問題点とは
この記事で紹介する『レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期の想い出』はまさに、歴史的人物にフロイト理論を当てはめるとどういうことになるのかということが最もわかりやすい例です。
フロイトがいかにして自身の理論を適用し、物語を創造していくのかをこの記事で見ていきます。
フロイトの『ドストエフスキーと父親殺し』を読む前にぜひこちらもご覧いただければと思います。
この記事で紹介する『レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期の想い出』はまさに、歴史的人物にフロイト理論を当てはめるとどういうことになるのかということが最もわかりやすい例です。
フロイトがいかにして自身の理論を適用し、物語を創造していくのかをこの記事で見ていきます。
フロイトの『ドストエフスキーと父親殺し』を読む前にぜひこちらもご覧いただければと思います。
この記事では前回紹介した『精神分析に別れを告げようーフロイト帝国の衰退と没落』 から、フロイト理論を読む上で気を付けるべき原則を紹介していきたいと思います。フロイトの実態が恐ろしいほど見えてきます。きっと読めば驚くと思います。フロイト理論は私たちの日常でもよく耳にするものですが、これがいかに根拠のないものかということが明らかにされます。
前回の記事で紹介したフロイトの伝記、ルイス・ブレーガー著『フロイト 視野の暗点』でも、フロイトがいかに科学的根拠のないまま理論を作り上げ、それを適用していったかが書かれていました。その伝記で書かれていたフロイトのあり方をより詳しく、ひとつひとつの理論がいかに根拠もなく語られていたかを知るのにこの本はおすすめです。
かなり衝撃的な内容が書かれています。私もかなりショックを受けました。
この伝記の著者ルイス・ブレーガーは現代精神分析研究所の初代所長を務めた人物です。
つまり、この本はフロイト側の精神分析家による伝記になります。ですが、この伝記は非常に公正です。フロイトの間違っているところや欠点もこの本ではかなり詳しく指摘され、英雄視したり神話化するような伝記ではありません。
その上でフロイトがいかにして世に出たのか、彼の特徴はどこにあったのかということを解説していく伝記です。これは非常にありがたいものでした。
マルクスとフロイトは人間の過去・現在・未来の物語を提供しました。
その救済的な物語があったからこそ多くの人々を惹きつけたとトニー・ジャットは語ります。
そして彼らの語る物語が本当に正しいか正しくないかは問題ではありません。
人を惹きつける魅力的な物語であるかどうかがマルクス・フロイト理論が影響を持つ大きなポイントと言えるのではないでしょうか。
世界的な歴史家トニー・ジャットは「マルクス主義は世俗的宗教である」という決定的な言葉を述べます。
その理由は記事内で述べる通りですが、マルクス主義は宗教的な要素がふんだんに取り込まれており、それがあるからこそマルクス主義が多くの人に信じられたという見解が語られます。
E・H・カーはこの伝記においてマルクスの『資本論』における問題点を指摘していきます。そして有名な「剰余価値説」や「労働価値」などの矛盾点を取り上げ、そうした問題点がありながらもなぜマルクスはここまで多くの人に信じられているかを分析していきます。
経済学や思想、イデオロギー面だけではなく、世界全体との関わりという視点からアプローチするのは、歴史家たるE・H・カーならではの一歩引いた視点と言うことができるかもしれません。
当ブログではこれよりしばらく、マルクスについての記事を更新していくことになります。
そこでこの記事では改めてマルクス主義というのはそもそも何なのかということを見ていき、それへの批判と批判への反論も見ていきます。
マルクスは宗教を批判しました。
宗教を批判するマルクスの言葉に1人の宗教者として私は何と答えるのか。
これは私にとって大きな課題です。
私はマルクス主義者ではありません。
ですが、 世界中の人をこれだけ動かす魔力がマルクスにはあった。それは事実だと思います。 ではその魔力の源泉は何なのか。 なぜマルクス思想はこんなにも多くの人を惹きつけたのか。 そもそもマルクスとは何者なのか、どんな時代背景の下彼は生きていたのか。 そうしたことを学ぶことは宗教をもっと知ること、いや、人間そのものを知る大きな手掛かりになると私は思います。
この記事ではショーペンハウアーのおすすめ作品を4本と、番外編ということで解説記事と参考記事を6本紹介していきます。
彼の本を読み、考え、記事にするのはなかなかに厳しい時間でした。普段の数倍疲労感がたまり、気持ちも落ち込みました。
しかしだからこそショーペンハウアーの悲観主義を乗り超えねばならぬとも感じました。ドストエフスキーや、チェーホフ、ゾラはその偉大なる先達なのだと改めて感じたのでありました。あの時代の文豪たちがなぜあそこまで本気で「生きること」について思索し続けていたのかが少しわかったような気がしました。