「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう~寿命とは何か、死と病をどう考えるのか―お釈迦様のことばに聴く
「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。―お釈迦様のことばに聴く 六 「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。―このことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る…
「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。―お釈迦様のことばに聴く 六 「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。―このことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る…
花の香りは風に逆らっては進んで行かない。しかし徳のある人々の香りは、風に逆らっても進んで行く―お釈迦様のことばに聴く 五三 花の香りは風に逆らっては進んで行かない。栴檀せんだんもタガラの花もジャスミンもみなそうである。し…
うるわしく、あでやかに咲く花でも、香りのないものがある―お釈迦様のことばに聴く 五一 うるわしく、あでやかに咲く花でも、香りの無いものがあるように、善く説かれたことばでも、それを実行しない人には実りがない。 岩波書店、中…
前回の記事「他人の過失を見るなかれ。ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ―お釈迦様のことばに聴く」ではお釈迦様のことばをもとに、なぜ人は他者を攻撃せずにはいられないのかということを考えました。
今回の記事では引き続きこの言葉を参考に、なぜ人は他者に寛容でいられないのかをもう少し踏み込んで考えていきたいと思います。
どうして人はこんなにも他者を攻撃せずにはいられないのでしょうか。どうして他人の過失や気に食わないところを責めずにはいられないのでしょうか。
なぜ日本人は他人の過失に不寛容になってしまったのか、この記事ではそのことについて考えていきたいと思います
心は、捉え難く、軽々とざわめき、欲するがままにおもむく―お釈迦様のことばに聴く 三三 心は、動揺し、ざわめき、護り難く、制し難い。英知ある人はこれを直なおくする。―弓矢職人が矢柄を直くするように。 三五 心は、捉え難く、…
放逸に耽るな。愛欲と歓楽に親しむな。おこたることなく思念をこらす者は、大いなる楽しみを得る―お釈迦様のことばに聴く 二五 思慮ある人は、奮い立ち、努めはげみ、自制・克己によって、激流もおし流すことのできない島をつくれ。 …
たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである―お釈迦様のことばに聴く 一九 たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。―…
悪いことをした人は、この世で憂え、来世でも憂え、ふたつのところで共に憂える―お釈迦様のことばに聴く 一五 悪いことをした人は、この世で憂え、来世でも憂え、ふたつのところで共に憂える。かれは、自分の行為が汚れているのを見て…