ツルゲーネフ『父と子』の「ニヒリスト」が生まれてきた時代背景をざっくりと

ツルゲーネフとドストエフスキー

ツルゲーネフ『父と子』の「ニヒリスト」が生まれてきた時代背景をざっくりと

前の記事ではツルゲーネフの代表作『父と子』のあらすじをざっくりとご紹介しました。

「ニヒリスト」という言葉はツルゲーネフのこの作品がきっかけで生まれてきた言葉です。

ニヒリズムというとニーチェのイメージが強かったのですが、その源流がツルゲーネフだったのです。

前回の記事でもニヒリストとはどのような人間かについて少しお話ししましたが今回の記事ではそのニヒリストが生まれてきたロシアの時代背景をお話ししていきたいと思います。

『父と子』の巻末解説でニヒリストが生まれてくる当時の時代背景が非常にわかりやすくまとめられていました。

これを知ることはドストエフスキーを学ぶ上でも非常に参考になりますので長くなりますが引用していきます。

父たちの世代、すなわち一八三〇-四〇年代は、一八二五年のデカブリスト(十二月党)の反乱の失敗につづく、二コライ一世の反動政治の暗黒時代であった。

自由主義の撲滅を目ざす専制政府の弾圧は、デカブリストの後継者たちである青年貴族や大学生たちを理論的な思索の世界へ追いこんだ。

カント、シェリング、へーゲルの哲学が、シラーの美学が、当時のロシア大学生たちの福音となった。

そのころモスクワ大学に存在した若い理想主義者たちの代表的なグループは、スタンケーヴィチの会とゲルツェンの会の二つであった。

前者は啓蒙主義と観念論の立場に立ち、主に歴史、哲学、芸術の問題に関心をもった。彼らは理想主義哲学を信奉し、物質的価値に対する精神的価値の優位を唱えた。しかしこれらの理想主義的夢想家たちも、農奴制下のロシアの悲惨な現実に目をつぶっていることはできず、主としてへーゲル哲学からロシアの進路と民族の運命について結論をひき出そうとしたが、抽象論にとどまり、現実との結びつきをもつことができなかった。

ゲルツェンたちは、フランスの空想社会主義者たちの人道的な夢想に魅せられ、主として政治問題に興味をもち、人類への奉仕を誓った。

四〇年代に入ると、大多数の夢想家や哲学者たちが、形而上学や美学よりも歴史や政治の問題に興味をもつようになり、ロシアの国民的性格、歴史的使命の問題をめぐって、スラヴ派と西欧派に真二つにわれて、激しく論争した。

スラヴ派は、ロシア、スラヴ文明は正教を基礎にするとし、ロシアの救いは民族の独自性の維持、文化の特異性の顕揚、呪われた西欧の無益な模倣の根絶にあるとした。

西欧派は、ロシアはヨーロッパの一部であり、当然西欧文明に属さねばならぬ、その後進性は長年にわたるタタールの軛のためである。今こそ西欧文化の優れた要素を吸収し、西欧諸国の列に伍さねばならぬとした。

しかし農奴制の廃止を主張する点においては両派とも一致していた。

スラヴ派のアクサーコフの皇帝への親書、西欧派のツルゲーネフの『猟人日記』等、彼らの筆により、言論により、国民を目ざめさせ、ついに上からの農奴解放を実現させるにいたった。

一八四〇年代の理想主義的な夢想家たちは、行動においては無力だったが、言葉によって当時の社会を目ざめさせた。これが彼らの歴史的な役割だった。

新潮社、工藤精一郎訳『父と子』P419-421

ドストエフスキーも当然10代20代の若き日をこのような状況下で過ごしています。彼もシラーの大の愛好家であり、その影響は彼の晩年の大作『カラマーゾフの兄弟』にも色濃く反映されています。

そしてドストエフスキーは次第に過激思想にのめり込むようになり有名な1849年のシベリア流刑へと繋がっていってしまうのです。

では引き続き解説の続きを見ていきます。

子の世代、つまり一八五〇年代後半から六〇年代は、ニコライ一世の弾圧政治が終り、自由主義的な傾向をもつアレクサンドルニ世が即位して、あらゆる面にわたって国民精神が大いに高揚した時代である。

夢想家と哲学者の息子たちは、父の世代の無力を恥じて、敢然と行動へ走った。六〇年代には二つの世代、つまり観念の世代と行動の世代の分裂が顕著になった。この分裂は知識階級の間に、貴族階級と雑階級の不和を生んだ。

彼らは田舎の司祭や、没落地主や、小商人や、小役人の息子たちで、六〇年代の初めに教師、弁護士、ジャーナリスト、医者、苦学生などとなって社会の前面に登場し、旧時代の指導者たちに従うことを拒否して、革命的な意見を発表した。この子の世代にもまたチェルヌイシェフスキー、ドブロリューボフを代表とする派と、ピーサレフを崇拝する派があった。

新時代の最も輝かしい代表者は、経済学者、歴史家、哲学者、評論家であるチェルヌイシェフスキーであった。彼はフォイエルバッハ、ドイツ唯物論、フランス社会主義を究め、独自の哲学的、歴史的唯物論を確立した。

彼は貧困、不正、圧迫、災厄、階級闘争、社会の不平等などは、すべて経済的な原因によるものであり、社会の構造が改められさえすれば、すぐにも根絶できるとし、これは社会主義社会においてのみ達成されると結論した。

文芸批評の面では、観念的美学を排斥して、芸術に対する人生の優越を主張し、芸術は社会的に有意義でなければならぬ、無益なものは芸術から追放すべきだとした。

彼の流刑後、この思想は弟子ドブロリューボフによって主として文学批評の面で広められた。彼は当時自由主義的な貴族の間ではやっていた芸術至上主義を排撃し、文学は生活改善の道具であるとし、文学と革命を結びつけ、作家に社会奉仕を要求した。

一方、ピーサレフは「ニヒリズム」の代表者として熱烈な信奉者をもった。

前二者が広く社会問題に興味をもったのに反し、彼は主として個人の問題に注意を向けた。彼は思想の完全な独立と自由のために、道徳、社会、文学における一切の権威を否定し、理性と論理と有用性の範囲内にあるものだけを認める「考えるレアリスト」をその理想像とした。

彼は芸術における感傷主義、ロマン主義、理想主義、神秘主義などを排し、一足の長靴のほうがシェイクスピアの悲劇よりも重要であり、その仕事が実用的な目的をもつ故に、一人の靴屋のほうがラファエロにまさるとし、プーシキンの詩までもなまけ者の暇つぶしと攻撃した。

彼は『父と子』のバザーロフこそ「考えるレアリスト」であり、若い世代はツルゲーネフの言葉を用いて自分たちをニヒリストと呼ぶべきだと主張した。

ニヒリストは科学を神におきかえた無神論者であり、唯物論者だった。

六〇年代のニヒリズムは、革命理論の虚無主義とは異なり、主として道徳的、政治的、個人的な一切の制約、あるいは国家、教会、家庭の一切の権威に対する個人の反抗であった。ツルゲーネフはこうした時代の流れを見てとって、バザーロフという時代の子を創造したのである。

新潮社、工藤精一郎訳『父と子』P421-423

「一足の長靴のほうがシェイクスピアの悲劇よりも重要であり、その仕事が実用的な目的をもつ故に、一人の靴屋のほうがラファエロにまさるとし、プーシキンの詩までもなまけ者の暇つぶしと攻撃した。」というのはなかなか強烈ですよね。

そしてそれまでのすべての権威を否定し、行動がなければ何の意味もないという、これまた極端から極端へと飛び移る何ともロシア的な飛躍。

ほどほどにとか、徐々に改革していくというようなグレーゾーンが一切ない極端な思想がここでもやはり顔を見せます。ニヒリストという極端な存在がロシアから生まれてくるのもやはりそうした極端から極端へと揺れ動くロシア的精神があるからなのかもしれません。

ツルゲーネフはそうした精神的混沌を嫌います。ですが嫌いでそうした人たちから距離を置いていたからこそ、一歩引いた観察者の目で彼らを見れたのかもしれません。そしてその結果バザーロフというロシア文学史上の一事件と言えるような人物造形に成功したということができます。

ツルゲーネフは世の中を読み取る達人です。実際にロシアで蔓延していた空気感を巧みに描きだしたのが『父と子』という作品です。

この作品を読めば当時の時代の空気感を感じられますので非常におすすめです。

以上、「ツルゲーネフ『父と子』の「ニヒリスト」が生まれてきた時代背景をざっくりと」でした。

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