『ペスト』はカミュだけじゃない―プーシキンもペストの傑作を書いていた

ドストエフスキーとロシア

『ペスト』はカミュだけじゃない―プーシキンもペストの傑作を書いていた

以前私のブログで紹介したプーシキンの小悲劇『ペスト流行時の酒もり』。

上の記事を書いていた時はあまり意識していなかったのですが、それまであまり読まれてこなかったカミュが新型コロナウイルスの流行によっていきなりベストセラーになるという現象が起きていたことを今になってふと思い出しました。

自粛期間中、本を読もうとした人が増えたことも大きな要因だと思われますが、やはり世の中の状況が人々の関心をカミュの『ペスト』に向かわせたのでしょう。

・・・で、あるならば、プーシキンだってそうなってもおかしくないはず・・・

今さらですが私はそう思ったのであります。

ただ、プーシキンの場合はカミュに比べて格段に知名度が低いこと、さらに『ペスト流行時の酒もり』に至ってはほぼ知られていないというのが現状だと思います。

ましてカミュの『ペスト』というタイトルは強いインパクトを残しますが、『ペスト流行時の酒もり』だと何か違ったイメージを抱かせます。

これではなかなかカミュのようにはいかなさそうです。

しかしプーシキンのこの作品もロシアでコレラが流行していた時に書かれたもので、彼自身もペストではなくとも疫病の恐怖の中で書き上げていたものだったのです。

『プーシキン全集3』の巻末解説にも次のように書かれています。

ペストに滅ぼされた屍の街のテーマは、一八三〇年秋のプーシキンにとっては、とくに身近なものであった。すなわち、その頃、ロシヤのいくつかの県においてコレラが猖獗をきわめ、プーシキンは、検疫のために封鎖されたモスクワに戻ることができず、ボルジノ村に蟄居を余儀なくされた。

河出書房新社、北垣信行、栗原成郎訳『プーシキン全集3 民話詩・劇詩』P621-622

『プーシキン伝』の作者アンリ・トロワイヤもこう述べています。

コレラは、ボルジノ周辺の田園を荒廃させる。今日明日のうちにも悪疫の流行がまさにこの村にまで広がってきて、自分の農民たちや召使たちを殺してしまうものと彼は覚悟している。彼は、自分の死も近いと思っているのだ。末期の息、今わの際の深淵という考えが、彼に取り憑いて離れない。

アンリ・トロワイヤ『プーシキン伝』篠塚比名子訳 P500

プーシキンもコレラという、死をもたらす疫病の恐怖の真っただ中にいたのです。

そんな中で書かれたのが今回紹介している『ペスト流行時の酒もり』で、それは実際に死が間近に迫った中での執筆だったのです。

現代とは違い医療も発達していない世の中ですからその恐怖たるや凄まじいものがあったでしょう。町は大混乱だったと思われます。

そんな状況の中プーシキンは死と向き合いこの作品を作り上げていったのです。

以前の記事でも引用しましたが、ここでも改めてこの作品について少しだけ概要をお話しします。

『ぺスト流行時の酒もり』において、プーシキンは、他の「小悲劇」におけると同様に、極限状況における人間の心理を描き出している。ぺストの恐るべき破壊力が人間を極度の緊張に追いこんでいる状況のもとで、死の恐怖を克服する道が三つ、この作品において示されている。

その第一は宗教的な救いの道であり、それは、「神を畏れぬ」酒宴を解散させ、各人を信仰に立ち帰らせ、全能の神の意志に従うことを奨める老司祭の形象のなかに具象化されている。

第二の道は忘却であり、宴席に連なる人びとのように、酒と恋と狂躁のうちに死の恐怖を忘れ去ること、つまり、慰戯、憂さ晴らしである。

第三の道は運命愛―運命の主体的な受けとめ―であり、反逆の精神である。それはベリンスキイが賞讃した「真に悲劇的な理念」である。

ワルシンガムは現実を直視し、死から顔をそむけない。ぺストと、それによって呼び起こされる死の不可避性の自覚とは、真に勇気ある人間に、自己の精神の深さを測る可能性を与える。それ故に、ワルシンガムはぺストにささげた讃歌を嗄れ声で歌うのである。

この疫病讃歌には悪魔的な快感があり、プーシキンのディオニュソス的魔性の側面があらわれている。ワルシンガムは老司祭の霊的平安へのいざないを拒否する。司祭は去り、ワルシンガムは「深い物思いに沈んだまま、その場にとどまる」。
※適宜改行しました

河出書房新社、北垣信行、栗原成郎訳『プーシキン全集3 民話詩・劇詩』P621-622

プーシキンはこの作品で、死の絶望の中でも苦悩を苦悩として受け止めるという生き方を述べます。

苦悩から目を背けず、それを背負いながらも生きていくという姿勢・・・

ページ数にして20ページにも満たないコンパクトな作品ながらこの作品に込められた主題はあまりに根源的です。プーシキンはたった20ページ弱の物語でそれを見事なまでに凝縮し、芸術にまで高めました。

ペストを題材とした作品としてこれほどの完成度を誇る作品は世界中探してもなかなかないと思います。

カミュがここまで読まれるならぜひプーシキンにももっとスポットライトが当たってもよいのではないかと私は思ったのでありました。

というわけで改めてこの記事でもプーシキンを紹介させて頂きました。興味のある方はぜひ読んで頂けると嬉しいです。とにかく名作です。知られざる名作とはまさにこのこと。プーシキンはそんな作品のオンパレードです。

ぜひ手に取ってみてください。

以上、「『ペスト』はカミュだけじゃない―プーシキンもペストの傑作を書いていた」でした。

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