ドストエフスキー年表と作品一覧~ドストエフスキーの生涯をざっくりと

ドストエフスキー ドストエフスキー作品

はじめに

フョードル・ドストエフスキー(1821-1881)Wikipediaより

この記事ではドストエフスキー作品一覧と彼の生涯を簡潔にまとめた年表を掲載します。

彼の作品がいつどんな時に書かれたかを知ることは作品をより深く知ることの手助けになります。

初期短編作品は年表からは割愛させて頂きましたの御了承ください。

リンク先ではそれぞれの作品のあらすじや感想をお話ししていますのでぜひそちらもご覧ください。

年表と作品一覧は、
小林秀雄『ドストエフスキイの生活』新潮社、平成24年35刷発行
原卓也訳『カラマーゾフの兄弟(下)』新潮社、平成28年78刷発行記載の年譜を参考にしています。

ドストエフスキー作品一覧

1821年10月30日(ロシア暦)、ドストエフスキー誕生
1845年(24歳) 『貧しき人びと』
1846年(25歳) 『二重人格』『プロハロチン氏』
1847年(26歳) 『九通の手紙にもられた小説』『家主の妻』
1848年(27歳) 『弱い心』『ポルズンコフ』『正直な泥棒』『クリスマス・ツリーと結婚式』『白夜』『他人の妻とベッドの下の夫』
1849年(28歳) 『ネートチカ・ネズワーノワ』
1849~1854年シベリア流刑
1857年(36歳) 『小英雄』
1859年(38歳) 『叔父の夢』『ステパンチコヴォ村とその住人』
1860年(39歳) 『死の家の記録(※完成は1862年)』
1861年(40歳) 『虐げられた人びと』
1862年(41歳) 『いまわしい話』
1863年(42歳) 『冬に記す夏の印象』
1864年(43歳) 『地下室の手記』
1865年(44歳) 『鰐』
1866年(45歳) 『罪と罰』『賭博者』
1868年(47歳) 『白痴』
1870年(49歳) 『永遠の夫』
1871~72年(51~52歳) 『悪霊』
1873年(52歳)       『作家の日記』
1875年(54歳)       『未成年』
1876~77年(55~56歳) 『作家の日記』
1879~80年(58~59歳) 『カラマーゾフの兄弟』
1880~81年(59~60歳) 『作家の日記』
1881年1月28日、ドストエフスキー死去

ドストエフスキー年表

1821(0歳)、医師ミハイルの子としてモスクワにて誕生

1831年(10歳)、父ミハイル、トゥ―ラ県ダーロヴォエ村に領地を購入。ドストエフスキー初めての田園生活 シラーの『群盗』の芝居に感銘を受ける。

1834年(13歳)、モスクワの寄宿学校に入学

1836年(15歳)、教師の感化によってプーシキンに熱中

1837年(16歳)、2月、母マリヤが死去。5月、兄のミハイルと共にペテルブルグに遊学

1838年(17歳)、ペテルブルグの工兵士官学校に入学。この頃バルザックユゴ―ホフマンを耽読。

1839年(18才)、父ミハイル死去。※フロイトも依拠した「農奴による殺害説」があったが現在は疑問視されている。詳しくはロシア文学研究者の齋須直人氏の以下のツイート参照。杉里直人著『詳註版 カラマーゾフの兄弟』より引用されています

1843年(22歳)、工兵学校を卒業しペテルブルグの工兵隊に勤務。12月よりバルザックの『ウージェニー・グランデ』の翻訳に着手

1844年(23歳)、10月に退職。作家として生計を立てようとする。『貧しき人々』起稿

1845年(24歳)、春、処女作『貧しき人びと』完成。批評家ベリンスキーに激賞される。『二重人格』起稿

1846年(25歳)1月『貧しき人びと』発表。2月『二重人格』発表

1847年(26歳)、ベリンスキーと不和になり、社会主義者ペトラシェフスキーのサークルに通い始める。

1848年(27歳)、『ポルズンコフ』など、多数の短編を発表

1849年(28歳)
4月、ペトラシェフスキーサークルに参加していたことで逮捕。
12月、4年間のシベリア流刑が確定。シベリアへ搬送され、翌1月到着。

1854年(33歳)
2月、刑期満了。しかしペテルブルグ帰還は認められず、シベリア国境守備隊の一兵卒としてセミパランチスクに移動。
春、地方官吏イサーエフの妻マリヤと知り合い、夫人に恋する。

1855年(34歳)、『死の家の記録』起稿。イサーエフ死去

1857年(36歳)、イサーエフの未亡人、マリヤと結婚。

1859年(38歳)
3月、少尉として退官。セミパランチスクを離れトヴェリに住むことを許される。『叔父の夢』を発表
11月、ペテルブルグ居住が許され、12月にペテルブルグへ帰還
12月『ステパンチコヴォ村とその住人』発表

1860年(39歳)『死の家の記録』連載開始

1861年(40年)、兄ミハイルと共同編集の雑誌『時代』が創刊。同誌より『虐げられた人びと』を連載。

1862年(41歳)、6月より初めてのヨーロッパ旅行。パリ、ロンドンなどを訪れる。年末、アポリナーリヤ・スースロワという女性と交際が始まる。

1863年(42歳)
彼のヨーロッパ旅行記である『冬に記す夏の印象』発表。
5月、政府より『時代』誌の発刊停止を命令される。
夏、アポリナーリヤ・スースロワを伴って2度目のヨーロッパ旅行へ。ドイツのバーデン・バーデンで賭博に耽る。
冬、妻マリヤの持病である肺病が悪化する。

1864年(43歳)、廃刊となった『時代』に代わり、兄と共に新雑誌『世紀』発刊。 3~4月『地下室の手記』連載
4月、妻マリヤ肺病にて死去。7月、兄ミハイル急死

1865年(44歳)
2月、『鰐』発表。6月、『世紀』廃刊。莫大な借金を背負う。
7月から10月に3度目のヨーロッパ旅行。この旅行中、ヴィスバーデンで賭博に耽り、一文無しの困窮の中『罪と罰』の構想が浮かぶ。

1866年(45歳)1月より『罪と罰』連載開始。12月に完結。
10月『賭博者』執筆。速記を務めたアンナ・グリゴーリエヴナに結婚を申し込む。

1867年(46歳)
2月15日、アンナ・グリゴーリエヴナ(21歳)と結婚。
4月、借金取りから逃れるためアンナと共にヨーロッパ外遊へ。ここから4年間海外滞在。
6月、バーデン・バーデンでツルゲーネフと衝突。カジノでルーレットに耽る。
8月、バーデン・バーデンを去りジュネーブへ。年末、『白痴』起稿。

1868年(47歳)、1月から12月にかけて『白痴』連載、完結。
2月長女ソーニャ誕生。しかし5月に肺炎で死亡。9月にスイスを去り、イタリアへ。

1869年(48歳)、夏、イタリアを去りプラハを経由しドイツ、ドレスデンへ。
9月、次女リュボーフィ誕生。秋、『永遠の夫』の執筆。

1870年(49歳)、1,2月に『永遠の夫』掲載。『悪霊』の執筆に没頭

1871年(50歳)『悪霊』連載開始。第二編を完結後1年にわたって休載を発表。7月8日、ペテルブルグに帰還。同月16日に長男フョードル誕生。

1872年(51歳)、夏にペテルブルグ南方の保養地スターラヤ・ルッサを訪れる。11、12月に『悪霊』が掲載され完結。

1873年(52歳)、『市民』誌に『作家の日記』を連載開始

1874年(53歳)、5月スターラヤ・ルッサに移り住み、冬も滞在。

1875年(54歳)、1月『未成年』連載開始、12月に完結。8月、次男アレクセイ生まれる。ドイツの保養地エムスへ赴く。

1876年(55歳)、個人雑誌『作家の日記』を創刊。『百姓マレー』、『おとなしい女』など名作短編あり。夏、再びエムスへ赴く。

1877年(56歳)、『作家の日記』継続、短編『おかしな男の夢』あり。
春、スターラヤ・ルッサに別荘を買う。7月、幼少期を過ごしたダーロヴォエ村を訪れる。

1878年(57歳)、5月16日、次男アレクセイ急死。6月、友人の哲学者ソロヴィヨフと共にオプチーナ修道院を訪れる。その後『カラマーゾフの兄弟』の執筆始まる。

1879年(58歳)、1月、『カラマーゾフの兄弟』連載開始。夏エムスへ療養。

1880年(59歳)、11月、『カラマーゾフの兄弟』完結
6月、モスクワにてプーシキン記念像除幕式に参加、記念公演を行い、聴衆に感銘を与える。『作家の日記』再び始まる。

1881年(60歳)、1月、『作家の日記』最終号。1月26日喀血。28日死去。2月1日、アレクサンドル・ネフスキー寺院で葬儀。

おわりに

今回の記事では作品一覧と簡易的な年表を見ていきました。

ドストエフスキーの生涯は簡易的な年表では言い尽くせない波乱万丈なものです。特にアンナ夫人とのヨーロッパ外遊の頃は賭博に狂った壮絶な日々を送っています。そのエピソードは以前このブログでも紹介したアンナ・ドストエフスカヤ『回想のドストエフスキー』」『ドストエーフスキイ夫人 アンナの日記』という本に詳しく描かれています。

また、私がドストエフスキーを読むきっかけになった『カラマーゾフの兄弟』においても、ちょうど彼が執筆を始めようとしていた時に最愛の子アレクセイが急死しているのです。死因は急に発症した癲癇の発作でした。

ドストエフスキー自身も若いころから強度の癲癇の発作に苦しんでいました。そのため、彼は自分の遺伝によって最愛の子を失ってしまったという絶望に苦しめられたと言われています。

その後、その絶望を癒すためロシアで最も尊敬されていたオプチーナ修道院を訪れ、長老と面会をしています。その時の体験が作品に大きな影響を与えていると言われています。

ドストエフスキー作品は彼の生涯とも密接な関係を持っています。彼の生涯を知ることは作品を知る上でも非常に大きな助けとなるのではないでしょうか。

以上、「ドストエフスキー年表と作品一覧~ドストエフスキーの生涯をざっくりと」でした。

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