『居酒屋』の衝撃!フランス人作家エミール・ゾラが面白すぎた件について
ゾラを知ることはそのままフランス社会を学ぶことになり、結果的にドストエフスキーのヨーロッパ観を知ることになると感じた私は、まずゾラの代表作『居酒屋』を読んでみることにしました。
そしてこの小説を読み始めて私はとてつもない衝撃を受けることになります。
ゾラは恐るべき作家です。
この人は間違いなく読む価値がある…
私はエミール・ゾラという作家に強烈に惹き付けられてしまったことを感じました。
ゾラを知ることはそのままフランス社会を学ぶことになり、結果的にドストエフスキーのヨーロッパ観を知ることになると感じた私は、まずゾラの代表作『居酒屋』を読んでみることにしました。
そしてこの小説を読み始めて私はとてつもない衝撃を受けることになります。
ゾラは恐るべき作家です。
この人は間違いなく読む価値がある…
私はエミール・ゾラという作家に強烈に惹き付けられてしまったことを感じました。
フランス第二帝政期は私たちの生活と直結する非常に重要な時代です。
そしてドストエフスキーはそのようなフランスに対して、色々と物申していたのでありました。
となるとやはりこの時代のフランスの社会情勢、思想、文化を知ることはドストエフスキーのことをより深く知るためにも非常に重要であると思いました。
第二帝政期のフランスをさらに深く知るには何を読めばいいだろうか…
そう考えていた時に私が出会ったのがフランスの偉大なる作家エミール・ゾラだったのです。
私たちの生活に深く根ざしているデパート。当たり前のように私たちはデパートと共に生活していますが、このデパートがいつどこで生まれたのか、皆さんはご存知でしょうか。
実はそれがこのフランス第二帝政期のパリだったのです。
デパートの誕生は世界の商業スタイルを一変させることになりました。
私たちが普段何気なく買い物しているこの世界の成り立ちがビシッとこの一冊に凝縮されています。この本はものすごい本です。社会科の教科書にしてほしいくらいです。非常におすすめです。
パリ万博はロンドンのようにフランスの工業化を進めるというだけではなく、欲望の追求を国家レベルで推し進めようとした事業でした。
これはフランス第二帝政という時代を考える上で非常に重要な視点であると思います。
ドストエフスキーはこういう時代背景の下、パリへと足を踏み入れたのです。
このような背景を知るとドストエフスキー作品がまた違った味わいを見せてくれるのではないでしょうか。
ロンドン万博は世界で初めて開かれた万国博覧会で、1851年にその歴史は始まりました。
その頃ドストエフスキーはというと、シベリアのオムスク監獄で流刑生活を送っていました。
ドストエフスキーは1862年に初のヨーロッパ旅行に出かけています。そしてその時にロンドンを訪れており、第一回ロンドン万博後も残されていたこの水晶宮も見たと言われています。
この記事では松村昌家著『水晶宮物語 ロンドン万国博覧会1851』を参考にお話を進めていきます。
ナポレオン三世はあのナポレオン・ボナパルトの血を引き、フランス二月革命後の政治混乱に乗じて1851年にクーデターを実行、そして1852年からフランス皇帝となった人物です。
この記事では鹿島茂氏の『怪帝ナポレオンⅢ世―第二帝政全史』を参考に、後期ドストエフスキー時代に大きな影響を与えたフランス第二帝政についてざっくりとお話ししていきます。
ナポレオン三世のフランス第二帝政期はドストエフスキーが初めて自分の目で見たフランスであり、この時代のフランスが後の世界のライフスタイルを決定づけていくという意味でも非常に重要な時代です。
この時代を知ることによって、ドストエフスキーが五大長編で何を言いたかったのかということがより明確になっていくのではないでしょうか。
この記事では19世紀前半、特に1830年頃からのフランス文化と人々の生活を知るのに便利な書籍をご紹介していきます。
フランス文化といえば豪華な社交界やフランス料理、ファッションなどを思い浮かべるかと思いますが、それらが花開くのは実はフランス革命以後のこの時代からでした。
ロシアの上流社会はフランス文化に強い影響を受けています。この当時のフランス文化を知ることはロシア人のメンタリティーを学ぶことにもとても役に立つのではないでしょうか。
『ゴリオ爺さん』は1830年に出版されたバルザックの代表作で、世界十大小説のひとつに入るほどの名作とされています。
この小説を読んで、私は驚きました。
というのも、主人公の青年ラスティニャックの置かれた状況が『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフとそっくりだったのです。
『ゴリオ爺さん』を読むことで、ドストエフスキーがなぜラスティニャックと似ながらもその進む道が全く異なるラスコーリニコフを生み出したのかということも考えることが出来ました。
ここまでの記事でフランスの歴史をざっくりと眺めてきましたが前回の記事の終盤に出てきました二月革命、これがドストエフスキーのシベリア流刑と関係があるとしたら皆さんはどう感じますでしょうか?
実はドストエフスキーの流刑も、フランスの政治情勢と深い関係があったからこそ起きてしまった出来事だったのです。
この記事ではそのフランス二月革命とドストエフスキーの流刑の関係についてお話ししていきます。