僧侶の日記「中国クローン犬販売の衝撃」

皆さん、こんにちは。

私は現在、ドストエフスキーに関する記事を書いているところだったのですが、今朝の朝刊で見たニュースがあまりにショッキングなものだったので、思わずこの件について書かずにはいられなくなってしまいました。

今朝の北海道新聞の記事によりますと、中国ではクローン犬、クローン猫の販売が人気となっているそうです。

愛犬、愛猫が亡くなって一週間以内にその体細胞を採取し、企業に提供すると10か月後にはクローンの赤ちゃんが生まれてくるそうです。

もちろん、失敗するリスクも高く、うまく妊娠し出産できる確率は現在でも30%ほどだそう。

しかしこの企業は18年7月から19年末までに犬46匹、猫4匹を「生産」したという実績があり、20年度にはさらに多くのペットの「生産」を請け負うといいます。

価格は犬でおよそ580万円、猫で380万円。

「ペットの死後、沈み込む飼い主が難しい心理状態を抜け出せるように、クローン技術の開放を考えた」と担当者は述べているそうです。

皆さん、どう思いますか?

私の家にも犬が3匹います。そのうち1匹は持病のある高齢犬です。今年はもつかな・・・と毎年家族で心配しながら一緒に暮らしています。

「もしこの子が生まれ変わったなら・・・」

どうでしょうか。まったく悩まずにそんな希望を否定することは出来るでしょうか?

私にはできません。

死んでほしくない。ずっと一緒にいたい。少しでも長生きして元気な姿を見せてほしい・・・

・・・でも、いつかはこの子も死んでしまいます。

5年前にも私たち家族は一匹の犬を見送っています。あの時も家族皆で泣いて悲しんだことを思い出します。本当に愛すべき犬でした。今でもよくあの子の話が会話に出てきます。

あの悲しみを私たちはまた味わうことになるのでしょう。

・・・ですが、中国ではすでにクローン技術によってそれを乗り越えてしまおうという試みが現実になされているわけです。

これまではSFの世界だけの出来事だったものが今や現実の世界へとその姿を現し始めたのです。

見た目がまったく同じクローン犬、いやDNAも同じなのですから中身も一緒のクローン犬が死後にまた生まれてくるのです。

死んだ犬が生き返った!よかったよかった!また一緒に暮らせるね!

・・・本当にそうなのでしょうか・・・

残された家族は本当にそれで心から喜ぶことは出来るのでしょうか?

私にはわかりません。もしかしたらそうかもしれませんし、そうでないかもしれません。

しかし何か心に引っかかるものがあるのです。

死別の悲しみは誰しも避けて通りたいものです。出来るならお別れなんてしたくないというのが人情でありましょう。

しかし、そのどうやっても抗うことのできない死別という現実があるからこそ、残された人間がいかに生きるか、そして亡くなっていく人間も何を残していきたいのかと真剣に考えて生きていくことが出来たのではないでしょうか。

その連綿とした継承、繰り返しが私たちの生きている今の世界を作り上げてきたのではないでしょうか。

しかし、このクローン技術はその抗うことのできない「死」というものを忘却しようという試みにつながっていくのではないでしょうか。

これまで絶対に人間には不可能でありタブーとされてきた「生命の創作」。

これは神の領域であると宗教は語ってきました。

しかし科学は足を止めることはありません。歩みを止めることが許されないのが現実でありましょう。

これまでは抽象的な倫理問題として、クローンなどの生命倫理が議論されてきたわけであります。

しかしこれからは実際問題としてクローン問題が私たちの生活に関わってくることになりそうです。

この問題に絶対的な正解はありません。しかし私たちは否応なくこの問題に直面させられることになるでしょう。

お金さえ払えばこの子を死なせなくて済む。いや、生き返らすことすらできる。

これまでは病気や死は避けられないものであり、手の施しようもなく死別していくしかありませんでした。

しかし、もはや死ななくて済む「可能性」が与えられてしまったのです。

この「可能性」が私たちを苦しめることになるでしょう。

なぜなら、「もしもっとお金があれば助けられたかもしれないのに」という状況が出現してしまうからです。

「1000万円あれば死ななくて済むかもしれませんよ。」

そう言われてしまった時、お金があればいいです。でももしなかったら?あっても使えなかったら?

死が避けようもなく、手の施しようもないのならば、私たちは覚悟を決めることが出来ます。

しかし生きられるかもしれないという「可能性」を与えられてしまうと、私たちは生かすか生かさないかを選ばなければならなくなります。

自然の摂理ならば、私たちに責任はありません。

しかし「可能性」を与えられ、どちらかを選ばなければならないとしたら、自分が決めた決定に責任がついてしまうのです。

それは法的な責任ではなく、心の問題としての責任です。

選ばなければならないという心理的負担はとてつもないものになります。

現代の科学、医療の問題はかつては自然の摂理であった死が、人間の選択によって決められるものに変化してしまいました。

そこにこそ、もはやSFの世界だけで語られるだけではない、現実に直面する問題としての「いのちの問題」が出現してくるのでしょう。

中国でクローン犬の販売が流行しているというショッキングなニュースを読み、私はとにかく驚きました。まさかここまで進んでいたとは思いもしませんでした。

皆さんはどう思いますか?

HOME