ブラガイのイスラム修道院と圧倒的な湧水の美しさ ボスニア編⑭
ブラガイは個人的にとても興味のあった場所で、ボスニアに行くならぜひとも訪れてみたいと思っていた地でありました。
ブラガイは美しい湧水と、そこに立つイスラム修道院が有名。
キリスト教の修道院は数多くあれど、イスラム修道院を訪れることはなかなか珍しい体験です。
現地に着くと水量の多さと勢いに圧倒されてしまいました。見上げれば断崖絶壁。ものすごい絶景でした。
ブラガイは個人的にとても興味のあった場所で、ボスニアに行くならぜひとも訪れてみたいと思っていた地でありました。
ブラガイは美しい湧水と、そこに立つイスラム修道院が有名。
キリスト教の修道院は数多くあれど、イスラム修道院を訪れることはなかなか珍しい体験です。
現地に着くと水量の多さと勢いに圧倒されてしまいました。見上げれば断崖絶壁。ものすごい絶景でした。
オスマン帝国統治下に作られた城塞都市ポチテリ。ここは山の上に立つ要塞で、ここからの眺めはボスニアでも随一の美しさです。
ですがガイドのミルザさんの言うように、観光地としての潜在能力はあるけれどもそれを生かし切れていないというのがとても感じられた場所でした。
ですが日本では絶対ありえない状況の建物に入ったり、崖ぎりぎりから絶景を眺めることができたというのはある意味記憶に残る体験でありました。
スレブレニツァメモリアルホールの見学を終え、私たちは一路サラエボへの道を引き返していきました。
スレブレニツァからサラエボまでの道のりは片道およそ3時間ほど。
私はその間、ミルザさんと様々な話をしました。
ボスニアの文化のことやミルザさんのイタリア時代のこと、コーヒーのことやサッカーのことなど、ここでは話しきれないほどたくさんのお話をしました。
そしてスレブレニツァでの衝撃的な体験の後に、私の中にどうしてもミルザさんに聞いてみたいことが生まれてきました。
私はこの帰り道、思い切ってそれをミルザさんに打ち明けてみることにしたのでした。
スレブレニツァのお墓をお参りした後、私たちが向かったのはスレブレニツァメモリアルホール。
メモリアルホールといっても、外観は古びた工場といった趣。
ですが、古びた工場というのもあながち間違いではありません。実はここはかつて実際に工場として使われていた建物で、紛争中この工場は国連軍の管理下に置かれ近郊から避難してきたムスリムの収容所として使用されていました。
しかし国連の監視下で安全を確保されるはずでしたが、結果的には多くの人が虐殺されることになってしまいました。
その時の犠牲者のご遺体がついさっきまでお参りしていたお墓に埋葬されているのです。
2019年4月29日、私は現地ガイドのミルザさんと二人でスレブレニツァという町へと向かいました。
そこは欧州で戦後最悪のジェノサイドが起こった地として知られています。
現在、そこには広大な墓地が作られ、メモリアルセンターが立っています。
そう。そこには突然の暴力で命を失った人たちが埋葬されているのです。
私が強盗という不慮の暴力に遭った翌日にこの場所へ行くことになったのは不思議な巡り合わせとしか思えません。
私は重い気持ちのまま、スレブレニツァへの道を進み続けました。