本日のお題 「なんでお坊さんなのに髪があるの?」(前編)

皆さんこんにちは。当ブログの記念すべき第一弾の記事はこのブログのきっかけとなったこちらの問いです。

なんでお坊さんなのに髪があるの?」

みなさんもお葬儀や法事、お盆など様々な場面でお坊さんの姿を目にしたことがあることでしょう。しかしその中で明らかに丸坊主ではなく、髪がふさふさのお坊さんの存在にも皆さんはお気づきのことでありましょう。「浄土真宗のお坊さんは髪を生やしていてもよい」、そのような決まりをご存知の方も数多くいらっしゃると思います。

ですが、ここで改めて問うてみましょう。

「なんでお坊さんなのに髪があってもいいの?」

さて、改めてそもそもそれは何でと聞かれると、この問いは一言で表すには実に難しい問いであります!

しかしあえて渾身の力を込めてざっくりと答えるならば、その答えはこうなります!

「・・・お坊さんじゃないからです・・・」

はい。なんとも身も蓋もないような答えになってしまいましたが、髪があるお坊さんがいるのは実はそれが正式なお坊さんではないからなのです。

お坊さんではないならじゃあ今まで見てきたあの人たちは一体何なんだとお思いになられる方もおられることでしょう。しかし!ここで注意しておきたいのが「正式なお坊さんではない」というところにあります。

ここでいう「正式なお坊さん」という言葉を理解する鍵は日本仏教におけるお坊さんの位置づけにあります。浄土真宗の開祖とされる親鸞聖人が活躍されていた時代は平安末期から鎌倉時代初期のことでありました。

この当時のお坊さんはいわば国家公務員でありました。お坊さんは国から認可されなければ正式なお坊さんとは名乗れなかったのです。なぜそうなったかといいますと、当時のお坊さんの為すべき任務とは修行に励み、その力でもって国の安泰を祈願するというものだったからなのです。

もちろん、お坊さん一人一人は真剣に悟りを目指し厳しい修行をなされていたことでありましょう。しかし国の安泰がかかっているのですから能力や身分が相応の者でないと国から認められることはなかったのです。

そしてその当時の日本仏教の中心が皆さんご存知、比叡山延暦寺というお寺でした。

親鸞聖人もこの比叡山延暦寺に9歳のころに入寺し、20年間このお寺で厳しい修行をなされました。そしてもちろん親鸞聖人も正式な僧侶としての務めを果たされていたわけであります。

しかしこの親鸞聖人、ある時からこんな悩みに苦しむようになってまいります。

「私はこのままここにいて本当に救われるのだろうか。世の中には数え切れぬほど苦しみにうめいている人がいるではないか。私はこれでいいのだろうか」

この言葉を理解するにはこの当時の時代背景を知ることが必要です。この当時京都では度重なる自然災害による飢饉や疫病が蔓延し、そこに源平の戦乱まで加わり、街中は文字通り死屍累々の状況であったと伝えられています。その地獄のような有様は鴨長明の『方丈記』に詳しく記されています。

つまり、親鸞聖人はこう悩んでおられていたのです。

「国の安泰を、人々の幸せを祈願しているのにこの世の有様とはなんたる無情なことか。私自身も一向に救われる道筋が見えてこない。私は、このままここにいていいのだろうか。本当に誰もが救われる道はないのだろうか・・・」

そして苦闘の果てに親鸞聖人は比叡山から下り、京都の街で生涯の師となる法然上人(浄土宗の開祖)と出会うことになります。

この出会いによっていよいよ、私達浄土真宗のお坊さんが髪がある理由へとつながっていくのであります。

・・・・

ざっくりと簡潔にお答えするつもりがすっかり長くなってしまいました。

しかしこの問いは一言で終わらすにはやはりもったいない!どうかこのあとの後編までお付き合い頂ければ幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございました。

合掌

後編はこちら↓

本日のお題 「なんでお坊さんなのに髪があるの?」(後編)

関連記事

HOME